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ここは入り口でお酒を一杯くれた。いつものようにおなかいっぱいになって外に出るとちょうど正面に定遠館がある。
1894年日本は清と戦争をした。10年後の戦争のときはなおさらであったが、だれも勝つとは思わない戦争を始めてしまった。
このときの敵の主力であった定遠級戦艦の定遠そのものの一部がここに展示されている。雨ざらしになっているのは残念だ。
小国日本が全力で戦い勝利した近代海戦の証がここにある。そしてだれも知らない。定遠は日本に鹵獲されるよりはと自沈した。日本は翌日引揚げて戦利品として一部を戦意向上のため全国に配った。
洗濯ものを軍艦のワイヤーに干したり雨かと思えば戦闘中も傘をさすような軍隊に帝国は意地でも負けるわけにはいかなかった。
戦艦鎮遠も鹵獲しているがこれはのちの日露戦争で使う。鎮遠は当時東洋最大の戦艦と言われたがあっけなく鹵獲されている。
日本人は自分たちが貧乏であることをだれでも自覚していた。中国が鎮遠や定遠を揃えたとき、日本はその半分の大きさの戦艦を国家予算の8割を使ってそろえた。このような貧乏国は後がないのだ。負けるということは国の消滅を意味していた。
足が飛び首が飛び日本のために戦って勝った将兵たちの証がこんなにさびついていいのか。
負けていたら日本はいまごろ必ず支那人の一つの省になっている。