nonnon日記
私の父は被爆者である。
当時、広島大学の学生で、理科系だった為に徴兵を免れていた父は
たまたま8月6日の‘その日’ー
風邪をひいて研究室に出掛けず、下宿の2階の部屋で寝ていた。
喉が渇いて、1階に水を飲みに下りた時に、‘閃光’が走った。
下宿は山の手にあったそうだが、後で2階の部屋を覗くと、ガラスの破片
だらけだったそうで、あのまま布団に寝ていたら、体中、ガラスまみれに
なっていただろう、と言っていた。
その後、町中から、体中焼け爛れた人々がぞろぞろ、山の手に避難して
来たそうで、‘水をください、水をください’と訴えるので、水を飲ませて
あげると、ガクッと、息を引き取った人がいて、
それから父は、お水をあげてはいけない、と判断したそうだ。
川の中には人が沢山浮いていて、それはもう
恐ろしい地獄図だったそうで・・・、父もあまり多くは語りたがらなかった。
陸上の選手で、体が丈夫だった父は、後で鼻血が出ただけで、何も
後遺症はなかったようだ。
その後、戦争未亡人で実家に出戻っていた母に‘執拗に’アタックして
ゴールインしたのだから、原爆も終戦もなにせむや・・・。
常に‘希望’と‘恋心’を忘れない‘タフな父ちゃん’・・・・。
母が67歳で亡くなって2年間は悲嘆に暮れて、お墓の前で酒飲んで
酔っ払って寝たり・・・・。
‘お母さんが、ここにいればいいのになぁ’と言ってお酒を飲みながら
リビングテーブルの私の向かい側でワーワー泣いたり・・・
しかし3年目、積極的に‘合コン’など出かけ・・・
その後の‘恋’も私が‘知ってる’だけで2回??
87歳の今も病室で ‘あの看護士さんが一番可愛い’ とか・・・
・・・・やれやれ・・・・娘としては・・・・ヤレヤレ・・・・。