nonnon日記
いつか、この日が来るのは解っていたことでした。
3年8か月前、ハクを17歳で引き取った時から、近い将来に来る‘別れ’は覚悟
していました。でもいつもそこにいたハクが今、全くどこにもいなくなった
喪失感に・・慣れて生活するには、まだ時間がかかりそうです。
6月初め、ベランダから外に飛び出す程、元気だったハクですが、6月下旬
から足が弱ってきました。ソファに上がろうとしてずり落ちるようになり、
ご飯を食べる時もフラつかないよう支えが必要になりました。支えてあげると、
ヒルズの腎臓病用缶詰ツナシチューにDHAをかけたものを、バクバク食べて、
私を喜ばせてくれました。
点滴の間隔はそれまで10日に1回でしたが次第に狭まって、仕舞いには1日
置きになりました。ハクは15分~20分、よく動かずに我慢してくれました。
腎不全の薬、カリナールとセミントラは1年間、毎日飲みました。
6月からは、急に私の布団の中で寝るようになり、手を舐めてくれたり、私の
顔に頬をスリスリ(それまで、そんなことをしてくれたことはないのに・・・
私がするように、いつの間にか学習していたらしく。)してくれたのです。
ハクも、もうじき別れが来ることを、予感していたのでしょうか?
コロナの影響で、夫の付き添いをさせてもらえず、3月からずっと家に居た
ので、ハクと一緒に過ごす時間が長かったのは、少し救いでした。
(夫は可哀想ですが)
「その日」(7月下旬)の2日前、市内に住む息子が、ハクが弱ったと聞いて、
会いに訪れたのですが、オムツをして、抱っこされていても、息子の顔を見る
なり「ギャー」と大きな声で叫んだのには、ビックリしました。
ハクは息子も、夏に2回帰省した娘にも孫にも、なついて、大好きでした。
遊びに来た友人達にもすぐになついて、愛された猫でした。
「その日」私はハクが弱っているにもかかわらず、(母の命日に間に合うよう
にお供えを送らなくては)と「ハク、お母さん、出かけてくる。すぐ帰ってくる
からね。」と言ったら、ハクはガッカリしたように目をつぶりました。
帰ってきて「お母さん、帰ったよー」と布団の中を覗いたら、
ハクは目をパッチリ開けました・・・。
それから1時間後、急に息が荒くなって、フーツと長い息を吐いて、
目を大きく見開いて逝ってしまった。
(私の帰りを、待っていてくれたのだろう、と思う。あの日、出掛けず、
ずっと傍に居てやればよかった、と悔やまれます。)
驚いたように大きく目を開いて虚空を見て・・・優しい顔で逝ってしまった。
苦しくなさそうな、ハクらしい、静かな死だった・・・。
あれは、私の、いつもの「ハク、カワイ、カワイ」の必死の声が聞こえた
せいか・・それとも、先に亡くなったハクの親猫シロとジイチャンの迎えの姿が
見えていたのか・・・どちらにせよ
最期のハクの顔は、とても穏やかな笑っているような、幸福そうな表情だった。
ハクを、生まれた時から見守ってきて、私の所に送ってくれた姉によると・・・
「ハクはね、人間に甘えたくても、甘えられない、苦労したー淋しい、淋しい
猫だったからね・・・最期に可愛がってもらえて、きっと感謝して逝ったよ。」
コーディネーターとして、姉は的確だった・・・。
別れて悲しいけれど、
ハクやー、3年と8か月、
私にもみんなにも、いっぱい愛をくれてありがとう!
あなたは、大した猫でした・・・。 合掌