《映画『チャーリーとチョコレート工場』と日本人的道徳観》なんちゃってぇ...
(映画を ご覧になる予定のある方は、ご覧になった後で お読み下さい)
興行ランキングで 一位を快走中の『チャーリーとチョコレート工場』。 作品レビューを ちょこちょこ読んでいると、チャーリーが[拾ったお金で チョコレートを買い そのチョコレートにゴールデンチケットが入っていた]...ということに関して引っかかりを感じる という話が目に付きます。
なるほど...、私も このシーンに於ける原作でのチャーリーの躊躇が 映画では充分に表現されていないことに 一瞬 おやっ? と感じはしたのですが、ひょっとしたら これって 日本人的な道徳観に過ぎないのかもしれません...。しかも 戦後の道徳教育をしっかり受けすぎた 私と同年代くらい(えっ どのくらい...?)の方にとっては、[拾ったお金は交番へ]という意識があまりにも強い様な気もします。
実際は、財布ならともかく 裸で落ちていたお金(500円以下くらい...?)に関しては、届けたその場で お巡りさんがくれたりすることもあるくらい 落とし主が出てくるとは思えないものでもありますが、道徳というのは そういう理屈で片が付くものでもないかもしれませんね。
ここで 少し原作のことに触れてみたいのですが、まず チャーリーが拾ったお金は、時代背景の違いでしょう 映画では紙幣であるのに対して 原作では銀貨となっています。さて チャーリーはというと、いつもお腹がすいています。来る日も来る日もキャベツスープの食事では 育ち盛りのチャーリーのお腹が満たされるはずもありません。その上、この日は 特にお腹がすいていました。冬の寒さは空腹感を益々強くするのに充分です。思いがけず お金を拾ったチャーリーは、すぐ食べ物のことを考えました。[これで何を食べよう...そうだ チョコレートにしよう。チョコレートを買っても まだおつりがあるのだからそのおつりをおかあさんに渡せばいい。]原作にある彼の躊躇というのは、つまりはそういうことなのです。そう、彼の良心は 拾ったお金を家計の足しにすることは考えても 誰かに返すことなど考えたりはしません。そこには 日本と欧米の道徳観の違いもあるでしょうし、なによりチャーリーは 素直で賢い子どもであると同時に あまりにも貧しくあまりにもひもじい子どもなのです。チャーリー役のフレディ・ハイモアくん(トゥー・ブラザーズの)を見ている限りでは 今にも死にそうという程 不健康そうには見えないので 忘れてしまいがちですが...。
そして、映画では 拾ったお金で買ったチョコから すぐにゴールデンチケットが出てくるわけですが、原作では ちょっと違っていて、一枚目のチョコをむさぼるように食べてしまったチャーリーは おつりを眺め しばらく考えて もう一枚チョコを買ってしまいます。ここまでの彼は 大好きな...だけど一年に一度しか食べられないチョコレートで 空腹を満たすことしか考えていません。ゴールデンチケットが欲しくてチョコを買うのではないのです。ところが、そこで買った二枚目のチョコレートの包み紙を開けたその時! 運命のゴールデンチケットが出てくるのです。
拾ったお金で買ってもいいよね...チョコレート...。
古今東西‘おはなし’の中では、落ちている物は拾って使わなくちゃ 話にならないのだわっ。
【過去log】
『工場見学に行ってきました』
『けっこうブラック...?』
(映画を ご覧になる予定のある方は、ご覧になった後で お読み下さい)
興行ランキングで 一位を快走中の『チャーリーとチョコレート工場』。 作品レビューを ちょこちょこ読んでいると、チャーリーが[拾ったお金で チョコレートを買い そのチョコレートにゴールデンチケットが入っていた]...ということに関して引っかかりを感じる という話が目に付きます。
なるほど...、私も このシーンに於ける原作でのチャーリーの躊躇が 映画では充分に表現されていないことに 一瞬 おやっ? と感じはしたのですが、ひょっとしたら これって 日本人的な道徳観に過ぎないのかもしれません...。しかも 戦後の道徳教育をしっかり受けすぎた 私と同年代くらい(えっ どのくらい...?)の方にとっては、[拾ったお金は交番へ]という意識があまりにも強い様な気もします。
実際は、財布ならともかく 裸で落ちていたお金(500円以下くらい...?)に関しては、届けたその場で お巡りさんがくれたりすることもあるくらい 落とし主が出てくるとは思えないものでもありますが、道徳というのは そういう理屈で片が付くものでもないかもしれませんね。
ここで 少し原作のことに触れてみたいのですが、まず チャーリーが拾ったお金は、時代背景の違いでしょう 映画では紙幣であるのに対して 原作では銀貨となっています。さて チャーリーはというと、いつもお腹がすいています。来る日も来る日もキャベツスープの食事では 育ち盛りのチャーリーのお腹が満たされるはずもありません。その上、この日は 特にお腹がすいていました。冬の寒さは空腹感を益々強くするのに充分です。思いがけず お金を拾ったチャーリーは、すぐ食べ物のことを考えました。[これで何を食べよう...そうだ チョコレートにしよう。チョコレートを買っても まだおつりがあるのだからそのおつりをおかあさんに渡せばいい。]原作にある彼の躊躇というのは、つまりはそういうことなのです。そう、彼の良心は 拾ったお金を家計の足しにすることは考えても 誰かに返すことなど考えたりはしません。そこには 日本と欧米の道徳観の違いもあるでしょうし、なによりチャーリーは 素直で賢い子どもであると同時に あまりにも貧しくあまりにもひもじい子どもなのです。チャーリー役のフレディ・ハイモアくん(トゥー・ブラザーズの)を見ている限りでは 今にも死にそうという程 不健康そうには見えないので 忘れてしまいがちですが...。
そして、映画では 拾ったお金で買ったチョコから すぐにゴールデンチケットが出てくるわけですが、原作では ちょっと違っていて、一枚目のチョコをむさぼるように食べてしまったチャーリーは おつりを眺め しばらく考えて もう一枚チョコを買ってしまいます。ここまでの彼は 大好きな...だけど一年に一度しか食べられないチョコレートで 空腹を満たすことしか考えていません。ゴールデンチケットが欲しくてチョコを買うのではないのです。ところが、そこで買った二枚目のチョコレートの包み紙を開けたその時! 運命のゴールデンチケットが出てくるのです。
拾ったお金で買ってもいいよね...チョコレート...。
古今東西‘おはなし’の中では、落ちている物は拾って使わなくちゃ 話にならないのだわっ。
【過去log】
『工場見学に行ってきました』
『けっこうブラック...?』
ゴールデンチケットが当たって、帰宅後、おじいちゃんに「僕は行かない」って言ってたでしょ!?
てっきり、「拾ったお金で当たったものだから・・・」って言うもんだと思ってたら、
「高額で買うって人がいるんだ」って、・・・ヾ( ̄o ̄;)オイオイ 違うでしょー!って、心の中でツッコミ入れてました。
私は、子供の頃、目の前でお札をバラバラ落としながら歩いている人(わざと?)を見て以来、ナマのお金が落ちていても怖くて拾えません。
もちろん、お財布とかなら拾って届けるでしょうけれどね。
落ちているものを拾って 自分のものにしていいかどうかっていう感覚が 欧米人と日本人で違うとしたら、これは 狩猟民族と農耕民族の違いってことはないかしら...?
なんか、そんな気がするのよね。( ̄∧ ̄)(_ _)ウンウン・・・
やはり、原作では躊躇があったのだけれど、それはわたしが想像する躊躇じゃないということですね。
そう、あのフレディくんが、設定はともかく健康そうで満ち足りた顔してたり、お誕生日のチョコレートを家族全員に分けたりすると、キャベツスープの具がさらに減る状況に追い込まれているのに、そこまで逼迫したひもじさを感じないのです。それより「ゴールデンチケットが欲しい」としか見えなかった。
そこが、この作品を見誤るポイントなのでしょう。
日本人は、教育云々というより、「落ちているもの」は自分の物ではない限り、
「誰かが落として困っているだろう。その人に届けてあげなくちゃ」という実直な発想から、
交番に届けるなり、何なりするんですけど、
外国では「手から離したら、所有権を放棄した」と看做されるわけですから、
そこらへんの考え方の大きな違いなのでしょう。
その根底にあるものは、狩猟民族と農耕民族の違いと共通するものなのかもしれません。
書きっ放しで放置していたものを、もう1回考える機会を作ってくださってありがとうございます。
長々コメントしてごめんなさいね。
> 「手から離したら、所有権を放棄した」
そういうことなんだと思います。
欧米の方から見たら 日本人の七不思議の一つに「落とし物を交番に届ける」っていうのがあったりして! 冗談でなく。
正直ね、とも思いましたが
言われてみると確かにねぇ。
話がずれるかもしれないけど
日本人感覚ならば「獲った人が悪い」
欧米感覚ならば「獲られたらイカン」
だしね、「しょうがないじゃんアンタ落としたんだからアンタのものじゃないよ」ってことなんですかね。
「そんなことで引っかかるかぁ~?」みたいな?
あまり 落とした人のことまでは 考えないんじゃないかな...?
拾った側の 運の良さには注目するけどね。
私も一瞬 思いました が,これも含めてのラッキーなのよね。。。なんて次の瞬間には納得してストーリーに没頭していました。。
ジョニーディップ 最高ですね。こんな役の彼が大好きです。
> 次の瞬間には納得してストーリーに没頭していました
うんうん。(*^_^*)
せっかく出来のいい映画なので あそこに引っかかって楽しめない人が居るというのは もったいないな と思い、こんな文章にまとめてみました。
さくらさん 気に入って下さって よかったぁ~♪
私もネットでこの映画のレビュー記事を読み歩いていて、一番気になったのがこの点でした。私自身は原作をかなり読み込んでいたせいか映画のあのシーンに関しなんら倫理観を刺激されることがなかったので、多くの人があのチャーリーの行動を強く疑問視していることに逆に驚かされました。
「拾ったお金は交番に」が未だにこれほど浸透しているとは、さすがかつて世界一治安の良い国と言われただけのことはある、日本人もまだまだ捨てたもんじゃないな、なんて本筋と離れた感慨にふける一方、チャーリーを弁護したい気持ちがむくむくと沸き上がってきたところでmayumiさんの記事に辿り着き、このモヤモヤがだいぶすっきりしました。ありがとうございます。「欧米人から見た日本人の七不思議の一つ」本当にそうかも知れませんね。思いがけないところで異文化を知るきっかけになりました。
ちなみに私自身は拾ったお金は額や形態によって臨機応変に対応します。財布に入っていれば1円たりとも拝借しようとは思いませんが、むきだしの硬貨なら迷わずThanks, God!! です(^^)
私も、五百円玉 道に落ちていたら ちゃっかり猫ばば派デス。
あと...自販機のおつりが多い..とか。
あぁ~でも、お店の中とかで拾ったら 届けちゃうかな...ってな 平均的日本人でございます。
大多数の人は、子どもを連れている時は別として 失敬しちゃう自分を承知だと思います。でも 子どもが主人公の映画で こりゃどうなのよって 感じだと思うんですけど、
[文化の違い 倫理観の違い]に 行き着いたら すんなり納得して頂けるのではないでしょうか。