青い湖と桜貝の歌 ~☆羽生結弦さん応援ブログ☆~

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羽生結弦の力…オーサーではない1

2016年08月11日 14時20分17秒 | 羽生結弦さん
羽生選手の
世界選手権二連敗の結果を見て
私の考えが大きく変わりました。





バルセロナGPFのキス&クライ


ブライアン・オーサーは
キム・ヨナを金メダルに導いたコーチとして知られていますが
それは違うな…と思っています。
何故なら、キム・ヨナの場合「買収」の結果でしかない
あの銀河点にはカラクリがあった

そしてもう一つ
ハビエル選手は羽生選手より先にオーサーに師事しており
オーサーも羽生選手のことをハビエルに了解を求めたほどだ。
順番から行くと次はハビエルが五輪金が妥当なところ
だがソチ五輪ではノーメダルに終わっている

ハビエルが金メダルを獲れなかったのは
韓国人ではないため『買収』ができなかった。(笑)

一方、羽生選手はパトリック・チャンとの直接対決を経て
13年GPFでは見事パトリック・チャンを破り優勝した。
そしてソチ五輪で金メダルに輝いた。
これもオーサーの手柄になっているが私はそう思わない。
羽生選手はパトリック・チャンと対戦することによりパトリック選手から
多くを学ぶことができたのだ。

羽生選手は4歳でフィギュアスケートを始め
小学生で既に和製プルシェンコという異名を持つ少年だった
15歳で世界ジュニア優勝、16歳でシニア参戦。
17歳で世界選手権銅メダルなど、輝かしい経歴の持ち主だ。

12年の世戦の解説などを参考にするとユーロスポーツなどではすでにすごい才能の持ち主で未来のチャンピョンなどと評している

羽生選手に必要なものは、いつでもできる練習場所だった。
震災でホームリンクが壊れ、その年の60ものアイスショーを転々として練習を積み重ねた上での世界選手権銅メダルを獲得。
おいそれと真似できることではない。
阿部奈々美元コーチも「努力の天才」と言っている。
大変な苦労と努力の結果なのである。

カナダに移ってからも英語にも慣れずに悩んだ日々。
自分を見つめ事細かに分析し、何をなすべきか…
五輪まで2年しかないその日々を
クリケットクラブという貴重な練習場所を得て
羽生選手は努力に努力を重ねたのである。



≪つづく≫

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