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「誕生日」と「思い入れのある選手」

2018-02-24 23:59:59 | 17期生のブログリレー

17期生 設楽です。

今日は、稼プロ!第8回目の講義でした、午前中の診断実習は大変勉強になりましたが、別の意味で金網先生の特別講義も大変勉強になりました。先生の講義内容はシークレットなので差し控えますが、講義の最初と最後に「誕生日」と「思い入れのある選手」について紹介がありましたので、私のケースに置き換えて(笑)書いてみます。

まず、誕生日は私の場合、3月30日で、非常に微妙な日に生まれました。これまでの人生で3人ほど同じ誕生日の方とお会いしましたが、産まれてきた瞬間、私の親は相当悩んだと聞きます。理由は出生日を4月2日にすることが可能で、そうすれば学年が1つ違うからです。
子どもの頃は、3/30に生まれたことによるデメリットの方に大きく振り回されました。4月生まれの同学年とは丸々1年発育が遅いのは当然のことで、学校の勉強はもちろんのこと、体育で差をつけられることが多かったです。かけっこでビリを重ね、完全に負け癖が身についてしまい、中学も高校もビリでした。おまけに春休みなので、友達に誕生日を祝ってもらうことも少なく、幼少期にいい思い出はありません。
が、そこから逆転します。浪人した時に「あ、これで逆に学年の先頭に立てる」と気軽な気持ちで浪人生活を過ごすことができ、次の年は無事第一希望に合格できました。さらに就職もバブル最終段階に駆け込みで入れました。もしそこで1年遅れていたら、世の中の就職状況が大きく変わっていたので、そのことを考えると1年の違いはとてつもなく大きく、早生まれでよかったと思っています。あくまでも結果論ですが。もちろん、4月2日になっていたらいたで後悔はしてないと思いますし、そもそも0歳児に選択権もないので「これでよかった」ということにさせてください。(笑)

次に「思い入れのある選手」ですが、私の場合は選手ではなく歌手です。角松敏生という歌手で、ファンというより「人生のメンター」に近いです。ファンクラブに入会して17年ほど経過しており、近年はアルバムも出なくなりましたが、それでも応援し続けています。角松敏生を知ったきっかけは、バブル最終期に入社直後、会社の研修で工場に1ヶ月間実習を行っていた際、同期の友人が聴いていたのに影響を受けたことです。氏の独特のサウンドに惹かれた私は実習が終わったあと、早速コンサートのチケットを買いました(早っ!)。が、開催間際ということもあり、八王子市民会館(当時)の2階席の端っこだったことを記憶しています。
で、会場入りしたのですが、入るや否や珍妙な光景が・・・。なんと、コンサート会場に入って、配られたチラシでみんな紙ヒコーキを一心不乱に作っているではありませんか。角松氏のコンサートでは氏の代表曲「Take you to the sky high」(Youtubeで検索願います!)のときに会場に紙ヒコーキが飛び交うというのがお約束なのですが、とにかく初めてだったのでびっくりしました。
ところがファンになってすぐ、1993年角松氏は突然引退します。最後の武道館ライブのチケットは全く手が届かず一瞬でソールドアウト。なんでも終演後に「辞めるな角松!」「うるせー、オレは辞める!」などと延々とファンとケンカしていたそうなのですが、真偽はよくわかりまあせん。
とはいうものの、その後も細々と活動をしており、1998年には長野オリンピックのテーマ曲として「WAになっておどろう」が使用されるなど話題に事欠かない角松氏でしたが、2001年本格的に再始動します。再始動もまた武道館でしたが、こちらも全く手が届かず。よって良席を確保すべくファンクラブに入りましたが、本当に飽きさせない人です。当時のライブに行くと「トシキー!」という女性の声が会場に鳴り響くのですが、角松氏の応援ではなく、母親が自分の息子に「トシキ」と名付けていた(笑)という逸話。あと、2006年の25周年記念ライブ(※私も0:58頃にちょこっと映ってます。この時は押しつぶされそうになりました(@_@))は横浜アリーナでやったのですが終了は終電越えの0:30で神奈川県警から苦情が入ったり、もうとんでもないヤンチャぶりです。
そんな角松氏が大好きだということで影響を受け、自分は結婚する前の何年かスキューバダイビングをやってました。おそらく角松氏がやってなかったら私もやってなかったでしょう。数年間でしたが、いろんな海を体験出来て楽しかったです。その話も機会があれば書きたいと思っています。
またこの25周年以降、5年おきに横浜アリーナでライブを開催していますが、30周年のときは25周年より更に多くの観客が入ったとのこと。ヒット曲もないのになんで観客が増えたのでしょう? そうです。母親が子供を連れてきたからです。親子2代でファンになる。すごいことです。前述のトシキ君も入っているのでしょうか。興味深いです。
そんなわけで、角松氏の思い出話は尽きないのでこのあたりにしますが、とにかく彼の存在は私の人生の中で大きかったです。年齢が自分より少し上ということもあり、見習うべき先達、人生のメンターとなってます。ファンクラブの会報の巻末に彼の写真と共にメッセージがあるのですが、何度励まされたことか。
診断士が独立する際にも「メンターとなるべき存在は重要」という話を何度か伺いましたが、サラリーマンでもそれは必要と考えており、身近な人ではないですが、私にとっては角松氏がそれにあたります。大好きな角松氏の音楽を聴きながら人生について考える。私はそんな日が昔も今も、そして未来も続けていくと思っています。

設楽英彦

コメント (1)
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