こんにちは、24期の成嶋です。よろしくお願いします。
私、外見は大物感があるようですが、内面はとても繊細で傷つきやすく、とてもはかなげな男です。そのせいかストレスをためやすく、精神衛生上、その発散方法をいくつか持っています。例えば、睡眠、行きつけの店での飲酒や会話、日記、運動、マッサージ、サウナ、読書・テレビドラマ・映画鑑賞での号泣、京都旅行、写真撮影など、そのときの制約や気分で発散方法を選択してストレスを発散しています。
いくつかある私のストレス発散方法の一つに座禅がありました。半年前に左足首あたりを骨折したため足首が曲がらず、最近は座禅をしていませんが、骨折前は千駄木にある寺院の座禅会に時々参加もしていました。山岡鉄舟のお墓がある全生庵という寺院です。都内には座禅会を開催している寺院や場所はいくつかありますが、家から一番近いのと開催日時(毎週日曜18時から19時)が都合がよいということで全生庵の座禅会に参加させていただいておりました。
座禅会には老若男女、様々な人が参加しています。おおよそ50人ぐらいでしょうか。座禅を行うお堂に入ったら、私語厳禁です。大抵一人で参加しているようで、ただ座禅を組むために見ず知らずの人が集まり、終わったらそそくさと解散していく雰囲気は独特です。座禅会はまず住職の講話があり、そのあと座禅を組みます。座禅時間は線香が1本燃え尽きる時間の約25分×2セットです。そのあと、立ったり座ったりしての礼拝を行います。最後にお茶とお菓子をいただき、解散です。全体で所要時間は約1時間、お菓子代として300円を支払います。
座禅というと肩や背中を棒で叩かれるイメージがあると思いますが、私が参加していた座禅会は自己申告制です。合唱が「叩いてください」という合図になります。肩や背中を叩く音はとても響き、その音をきくとドキッとして身が引き締まります。私は怖くて叩いてもらったことはありませんが、何回も要求する人もいます。「お好きですね」と心の中で思ってしまいます。
座禅の作法に反することですが、私は座禅中に人間観察をします。座禅姿勢が美しく微動だにしていない人の左足の親指だけがピクピクと動いていたり、目の前の人が苦しそうだったり、棒を持って巡回している住職の足がきれいだったりするのに気づきます。人間観察に飽きてきたら、座禅に集中します。正しくは、数を心の中で数えて意識を保つようですが、私の場合、何も考えないようにしています。自己流ですが、呼吸を徐々に深くから浅く、そして段々とゆっくりにしていくと、そのうち意識がとんだような状態というか半分寝ているような状態になります。この感覚がとても心地よく心が落ち着きますが、自分が死にゆくときはこんな感覚になるではないかとちょっと怖くなったりもします。なお、完全に寝ると自己申告せずとも棒で叩かれる可能性はあります。
最後に私が座禅会にいったのは、今年の5月、新緑の季節の夕暮れ時、お堂が段々と暗くなっていく中、爽やかな風が舞い込んできて心地よいなと感じたこと、座禅会が終わった後、駅に向かって薄暗い谷中霊園を歩いているときに、桜の季節、ここは綺麗だろうなと思ったこと、そのあと日暮里から上野にいき居酒屋で一杯やったこと、心を落ち着けた後のお酒はいつもとは違った和やかな味がしたことを思い出します。座禅会参加後の少しの間は、いつもと異なった精神状態になり、世界の見え方、感じ方が少し違ったものになれるのかもしれません。何だか穏やかで平和で落ち着いて安心した気持ちになれます。みなさんも仕事などでストレスがたまったり、心が疲れたり、不安だったり、もやもやしているときは、試しに1回、座禅会に参加してみてはいかがでしょうか。リフレッシュできますよ。私も足首が曲がるようにったら、また座禅会に行きたいと思っています。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
「世界の見え方、感じ方が少し違ったものになれる」のですね。いいですね。改めて座禅会に参加してみたくなりました。
私も座禅や教会の礼拝に興味がありますが、私の場合は懺悔ですので、成島さんとは目的が違いました。
人間の幅は、まず成島さんの人間観察からヒントをいただくようにいたします。
私は畳の目を立体視することで集中しています。