17期の荒井です。
一昨日の20日に診断実習に協力していただいた社長、いい方でしたね。打ち上げの最後に店名の謂われを伺った際の話も泣けました。酔っ払って覚えていない方もいるかもしれませんが。
しかし、ヒアリングの際に「この商店街は死んでいる」という社長の発言は気になりました。私は昭和っぽくって、いい商店街だと思ったのですが。「歩行者天国」もあるし。たしかに事前調査に来たときも、今回の探訪でも商店街の通りを歩いている人数はまばらでしたが、何が原因でしょう。以前大学院の授業で商店街の現地調査があり、私は家から近い北千住の「宿場町商店街」を調査対象としました。ここも古い店ばかりの通りでしたが、予想以上に人通りが多く驚きました。但し、人の流れは北千住駅に向かうだけで、商店の売り上げは苦戦しているようでした。と、思えば30年間人間ドックで通っている渋谷神山町の何の変哲もない商店街が「奥渋」として急に脚光を浴びています。この商店街は渋谷駅から10分以上離れた場所にあるので、人気は「駅近」が原因ではなさそうです。商店街にとっても4Pは複合的で、一律ではないのでしょう。
商店街の衰退といえば、地方にある商店街がよく例に挙げられます。私の出身地である仙台市でもその傾向が見られています。市内で一番賑やかな通りは「東一番町」で、「三越」の仙台支店と地元資本の2つのデパートがあり、子供のころは親に連れられて、普段よりいい服を着てこの通りに出かけたものです。いわば「晴れの場」。また、高校生の時分は仙台市民に定期戦(我が校と市内の某高校が毎年決まった時期に野球対戦を行っていた)への来場を呼びかけるため、弊衣破帽(死語ですな)に高下駄で練り歩く「アピール行進」を行ったのもこの通りです。しかし、現在は帰省時にたまに訪れても以前程の活気が感じられません。小学校や中学の同級生の店舗もポツリ、ポツリと無くなったり店が変わったり。帰省する度「宗平の店がなくなっている」「土屋の店がない」と以前と変わった様子を見つけてしまうのは寂しいものです。
結局、「昭和の臭い」と「個人的なノスタルジーが感じられる」ところが私の好きな商店街となります。高額な買い物は不能ですが、今後もちょこちょこ利用して協力して行きたいです。
実は、その前に息子さんからfbでリクエストをもらいました。ヒアリングについては、中小企業診断士とせっする機会がないので、有意義だったとコメントわもらいました。
明るい社長ですよね。最後のお話から、苦労から這い上がってきたこと、その中でお子さんを育ててきたんだなぁと……、だから素直な息子さんなんだなぁと実感しました。