暑い日が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
わたし個人としては、それほど暑いのは嫌いではないので、わりと調子はいい感じです。
今回は、日に日に女性が強さを増していくように感じる現代社会について、ふと考えたことを書いてみようと思います。
先日、といっても2ヶ月くらい前だと思いますが、「アオラレ」という映画をなんとなく見ていました。
ちょっと荒っぽく女性にクラクションを鳴らされたことにブチギレたラッセル・クロウが、どこまでも追いかけていくというお話でした。
まぁ映画としては、めちゃくちゃ面白いわけではないけど、つまらないというほどでもない、という個人の感想でした。
ただ、ラッセル・クロウがブチギレた背景として、ここ何年かのアメリカでの白人労働者の立場の低下、ということが描かれていました。
働いても働いても豊かにはならず、すぐにクビにされたりすることもあり、また家族からは疎まれるお父さん、という設定です。
以前のブログでも少し取り上げたところです。
「蜘蛛の糸」から分断社会を考察する - かんちがい
ただ、急にふと、映画「カラーパープル」が思い浮かびました。
アメリカではついぞ100年前、いや50年前とかは、黒人であり、女性であるという立場は、非常に弱いものだったんだよなぁ、と思い出しました。
スピルバーグ監督の隠れた名作ですね。
子どもの時だったか若い時だったか、だいぶ前に見たっきりだったので、また見返してみることにしました。
冒頭部分は本当に見てて辛かったので、10分ほど見てはアニメ「けいおん!」を見て癒される、ということをしていたら、先にけいおん!12話の方を見終わってしまいました。
ただ、主役の女の子が成長してウーピー・ゴールドバーグになると、少しコミカルな部分も出てきたりして、多少は見やすくなりました。
結構忘れてることも多くて、そういえばクソ旦那の役はダニー・グローバーだったなぁとか、ちょい役でローレンス・フィッシュバーン出てたのか、とか、気の強いおばちゃんソフィア役はオプラ・ウィンフリーだったのか、とか新たな発見もありました。
子ども心に一番印象が強かったシーンがあって、それがラストシーンだとずっと記憶していたのですが、見返すとその後も結構話が続いていて、記憶もあてにならないなぁと思いました。
20世紀初頭の黒人女性の立場というものは相当に弱かったようですが、21世紀初頭の現代ではかなり強くなってきていると見受けられます。
ミクロな視点から見るとまだまだ苦労することも多いのかも知れませんが、リトルマーメイドの主役だったりアメリカ副大統領だったりに黒人女性が抜擢されたりするなど、立場としては一般的には強くなってきているのではないでしょうか。
日本においても、アメリカとはもちろん文化や人種的な背景は異なりますが、50年前とは比べ物にならないくらい女性の立場が強くなってきているように感じます。
おじさんたちは、ちょっと間違えると、セクハラ!とかキモい!とかくさい!と言われてしまうのではないかと、ビクビクしながら暮らしている人も多いのではないでしょうか。
わたし自身も、独身の低収入で40代半ばのおっさん、ということで、日本の社会カースト的にはかなり低い層であることから、なんとなく肩身の狭い気持ちがしています。
もちろん自分のこれまでの選択による結果ということもあるのですが、ただそれと同時に、社会にいらない存在になってしまった気もして、イライラした気持ちを抱えていたことも事実です。
でも今回、ふと、女性や子どもたちが苦しむような社会よりも、おっさんたちの肩身の狭い社会の方が、まだ「良い社会」と言えるのではないか、と思いました。
女性や子どもが楽しく暮らせるのなら、多少おっさんの肩身が狭くても、「男冥利に尽きる」ってものかも知れない、と思ってしまいました。
そう考えると、心の中の重いものが、スッと軽くなったように感じました。
今の自分の中から、このようなある意味「宗教的」な考えが出てくるとは、少し自分でも驚きました。
最近は哲学入門の本を読んでいるのですが、このような「人のためなら自分が苦しんでも構わない」という考え方は、ニーチェが否定したもののようで、人は自分の幸せをあきらめてはならない、というのが超人思想というもののようなので、そのうちニーチェをちょっと掘り下げてみようかなと思っています。
女性の立場が強くなったとは言っても、それは全体的な印象のことで、ミクロな視点に限らずとも、まだまだ女性は苦労することも多いと思います。
軒並みな言葉しか出てきませんが、誰もが幸せな社会というものはなかなかに難しいですね。
あとがき
カラーパープルを見た後、元気なウーピーが見たいと思い、「ゴースト」を見ました。
何度見ても、銀行に行くシーンで爆笑します。
でも、今見ると、オダ・メイ(ウーピー)が一番映画の中では活躍してるよなーと思いました。
しかも無償で。
書いてたら、優しいパパを演じているダニー・グローバーもちょっと見返したくなってきたかも。
上で少し触れましたが、そういえば「ぼっちざろっく」は見たけど「けいおん!」は見てなかったな、と思い、見ていました。
アニ豚ホイホイって感じのアニメでしたが、まぁわたしもアニ豚の端くれなので。
(むぎちゃんかわいい)
名作、とまでは言えないような気はしますが、見ていて楽しい作品でした。
ぼざろはアジカンがモチーフになっているということで、けいおんもモデルのバンドとかいるのかなぁと思って調べてみたら、なんとP-MODELがモチーフになっているみたいですね。
平沢進 → 平沢唯 みたいに。
ご本人がツイートしたことがあって、平沢進けいおん見てるのかよ!って話題になったこともあったみたいです。
ただ、楽曲的にはガールズポップって感じでした。
もうここまでくると、自分がアニ豚であることを認めよう。と思い、ガルパンを見てみることにしました。
まぁ女の子がなんでミニスカで戦車乗るのかというツッコミはごもっともという感じですが。
いやーでも面白かったですね。一気に見てしまいました。
今さらながら、
「ガルパンはいいぞ」
ではまた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
わたし個人としては、それほど暑いのは嫌いではないので、わりと調子はいい感じです。
今回は、日に日に女性が強さを増していくように感じる現代社会について、ふと考えたことを書いてみようと思います。
先日、といっても2ヶ月くらい前だと思いますが、「アオラレ」という映画をなんとなく見ていました。
ちょっと荒っぽく女性にクラクションを鳴らされたことにブチギレたラッセル・クロウが、どこまでも追いかけていくというお話でした。
まぁ映画としては、めちゃくちゃ面白いわけではないけど、つまらないというほどでもない、という個人の感想でした。
ただ、ラッセル・クロウがブチギレた背景として、ここ何年かのアメリカでの白人労働者の立場の低下、ということが描かれていました。
働いても働いても豊かにはならず、すぐにクビにされたりすることもあり、また家族からは疎まれるお父さん、という設定です。
以前のブログでも少し取り上げたところです。
「蜘蛛の糸」から分断社会を考察する - かんちがい
ただ、急にふと、映画「カラーパープル」が思い浮かびました。
アメリカではついぞ100年前、いや50年前とかは、黒人であり、女性であるという立場は、非常に弱いものだったんだよなぁ、と思い出しました。
スピルバーグ監督の隠れた名作ですね。
子どもの時だったか若い時だったか、だいぶ前に見たっきりだったので、また見返してみることにしました。
冒頭部分は本当に見てて辛かったので、10分ほど見てはアニメ「けいおん!」を見て癒される、ということをしていたら、先にけいおん!12話の方を見終わってしまいました。
ただ、主役の女の子が成長してウーピー・ゴールドバーグになると、少しコミカルな部分も出てきたりして、多少は見やすくなりました。
結構忘れてることも多くて、そういえばクソ旦那の役はダニー・グローバーだったなぁとか、ちょい役でローレンス・フィッシュバーン出てたのか、とか、気の強いおばちゃんソフィア役はオプラ・ウィンフリーだったのか、とか新たな発見もありました。
子ども心に一番印象が強かったシーンがあって、それがラストシーンだとずっと記憶していたのですが、見返すとその後も結構話が続いていて、記憶もあてにならないなぁと思いました。
20世紀初頭の黒人女性の立場というものは相当に弱かったようですが、21世紀初頭の現代ではかなり強くなってきていると見受けられます。
ミクロな視点から見るとまだまだ苦労することも多いのかも知れませんが、リトルマーメイドの主役だったりアメリカ副大統領だったりに黒人女性が抜擢されたりするなど、立場としては一般的には強くなってきているのではないでしょうか。
日本においても、アメリカとはもちろん文化や人種的な背景は異なりますが、50年前とは比べ物にならないくらい女性の立場が強くなってきているように感じます。
おじさんたちは、ちょっと間違えると、セクハラ!とかキモい!とかくさい!と言われてしまうのではないかと、ビクビクしながら暮らしている人も多いのではないでしょうか。
わたし自身も、独身の低収入で40代半ばのおっさん、ということで、日本の社会カースト的にはかなり低い層であることから、なんとなく肩身の狭い気持ちがしています。
もちろん自分のこれまでの選択による結果ということもあるのですが、ただそれと同時に、社会にいらない存在になってしまった気もして、イライラした気持ちを抱えていたことも事実です。
でも今回、ふと、女性や子どもたちが苦しむような社会よりも、おっさんたちの肩身の狭い社会の方が、まだ「良い社会」と言えるのではないか、と思いました。
女性や子どもが楽しく暮らせるのなら、多少おっさんの肩身が狭くても、「男冥利に尽きる」ってものかも知れない、と思ってしまいました。
そう考えると、心の中の重いものが、スッと軽くなったように感じました。
今の自分の中から、このようなある意味「宗教的」な考えが出てくるとは、少し自分でも驚きました。
最近は哲学入門の本を読んでいるのですが、このような「人のためなら自分が苦しんでも構わない」という考え方は、ニーチェが否定したもののようで、人は自分の幸せをあきらめてはならない、というのが超人思想というもののようなので、そのうちニーチェをちょっと掘り下げてみようかなと思っています。
女性の立場が強くなったとは言っても、それは全体的な印象のことで、ミクロな視点に限らずとも、まだまだ女性は苦労することも多いと思います。
軒並みな言葉しか出てきませんが、誰もが幸せな社会というものはなかなかに難しいですね。
あとがき
カラーパープルを見た後、元気なウーピーが見たいと思い、「ゴースト」を見ました。
何度見ても、銀行に行くシーンで爆笑します。
でも、今見ると、オダ・メイ(ウーピー)が一番映画の中では活躍してるよなーと思いました。
しかも無償で。
書いてたら、優しいパパを演じているダニー・グローバーもちょっと見返したくなってきたかも。
上で少し触れましたが、そういえば「ぼっちざろっく」は見たけど「けいおん!」は見てなかったな、と思い、見ていました。
アニ豚ホイホイって感じのアニメでしたが、まぁわたしもアニ豚の端くれなので。
(むぎちゃんかわいい)
名作、とまでは言えないような気はしますが、見ていて楽しい作品でした。
ぼざろはアジカンがモチーフになっているということで、けいおんもモデルのバンドとかいるのかなぁと思って調べてみたら、なんとP-MODELがモチーフになっているみたいですね。
平沢進 → 平沢唯 みたいに。
ご本人がツイートしたことがあって、平沢進けいおん見てるのかよ!って話題になったこともあったみたいです。
ただ、楽曲的にはガールズポップって感じでした。
もうここまでくると、自分がアニ豚であることを認めよう。と思い、ガルパンを見てみることにしました。
まぁ女の子がなんでミニスカで戦車乗るのかというツッコミはごもっともという感じですが。
いやーでも面白かったですね。一気に見てしまいました。
今さらながら、
「ガルパンはいいぞ」
ではまた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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