『OP. ローズダスト(上中下)』 福井晴敏 (文春文庫)
著者の福井晴敏がガンオタだけに、「茨の園で星の屑作戦」と言われていた本書のタイトルだが、内容もガンダム小説かと思うような雰囲気。逆シャアか、ガンダムW系(笑)
まぁ、そんなことはどうでもよくって、この小説の魅力は、主人公達のキャラクター性や、最後のお台場大爆破アクションでしょう。大作映画のノベライズっぽい。
ただ、SF読みとしてはどうしてもSFとしてこの小説を読んでしまう。
SFとして読んだときの読みどころは、新型爆弾TPexの特性を生かした攻防ですね。そして、未曾有の爆弾テロという極限状態が、現代日本という国の問題点を顕にするという構造。2004~2006年に書かれた近未来小説だが、今となってはリーマン危機に始まる世界的不況が反映されていないので、パラレルワールドものにも見える。
さて、その日本という国の問題点についてなわけですが……冒頭の問答がすべてなのかもしれません。
「国益」
「古い」
「主権」
「古いなあ」
「集団的自衛権」
「カビ生えてる」
「国家」
「再定義が必要」
戦後は終わったと何度も言われ、冷戦は終わり、対テロ戦争も大不況で尻すぼみな状況でありながら、政治の舞台で語られる国家観は古い言葉のオンパレード。そしてその古い言葉に対してすら無関心な大多数の国民。
この小説の中で生まれた新しい言葉は“ローズダスト”くらいで、しかもそれは爆弾テロの犯人が名乗る名前でしかない。そこがちょっと物足りないが、これを問題提起として受け止める読者はどの程度いるのだろうか?
実際、この小説で政治的に意味のある何かを読み取ることは難しい。しかし、「花火、夕立、蝉の声」といった単語が、心の中の夏休みの記憶を呼び覚まして切なくさせるように、心に政治的な何かを持っている人にとっては、それらを噴出させる呼び水になるような小説ではないだろうか。読み終わった後に政治を語りたくなる小説というか。
“新しい言葉”というキーワードにも、いろいろな想いが呼び覚まされる。新しい概念を“古い言葉”で語ってしまうと、その概念が途端に古い概念に取り込まれてしまう。ネトウヨ、ブサヨも、右翼、左翼といった古い言葉を押し付けることによって新しい概念を無効化する蔑称だ。
たとえば、リベラルなナショナリスト。親米であっても外圧には負けず、福祉に力を入れても影に特アが付いてこない。そんな政治姿勢をなんと呼ぶべきか?
経済界と官僚の言いなりに見える自民党でも、もれなく特アが付いてくる民主党でもない“新しい言葉”。今の日本国に必要なのは政権交代ではなく、政権再編か。しかし、再編される議員が今のままでは、単純にパワーゲームの組み換えにしかならないところが痛いな。
著者の福井晴敏がガンオタだけに、「茨の園で星の屑作戦」と言われていた本書のタイトルだが、内容もガンダム小説かと思うような雰囲気。逆シャアか、ガンダムW系(笑)
まぁ、そんなことはどうでもよくって、この小説の魅力は、主人公達のキャラクター性や、最後のお台場大爆破アクションでしょう。大作映画のノベライズっぽい。
ただ、SF読みとしてはどうしてもSFとしてこの小説を読んでしまう。
SFとして読んだときの読みどころは、新型爆弾TPexの特性を生かした攻防ですね。そして、未曾有の爆弾テロという極限状態が、現代日本という国の問題点を顕にするという構造。2004~2006年に書かれた近未来小説だが、今となってはリーマン危機に始まる世界的不況が反映されていないので、パラレルワールドものにも見える。
さて、その日本という国の問題点についてなわけですが……冒頭の問答がすべてなのかもしれません。
「国益」
「古い」
「主権」
「古いなあ」
「集団的自衛権」
「カビ生えてる」
「国家」
「再定義が必要」
戦後は終わったと何度も言われ、冷戦は終わり、対テロ戦争も大不況で尻すぼみな状況でありながら、政治の舞台で語られる国家観は古い言葉のオンパレード。そしてその古い言葉に対してすら無関心な大多数の国民。
この小説の中で生まれた新しい言葉は“ローズダスト”くらいで、しかもそれは爆弾テロの犯人が名乗る名前でしかない。そこがちょっと物足りないが、これを問題提起として受け止める読者はどの程度いるのだろうか?
実際、この小説で政治的に意味のある何かを読み取ることは難しい。しかし、「花火、夕立、蝉の声」といった単語が、心の中の夏休みの記憶を呼び覚まして切なくさせるように、心に政治的な何かを持っている人にとっては、それらを噴出させる呼び水になるような小説ではないだろうか。読み終わった後に政治を語りたくなる小説というか。
“新しい言葉”というキーワードにも、いろいろな想いが呼び覚まされる。新しい概念を“古い言葉”で語ってしまうと、その概念が途端に古い概念に取り込まれてしまう。ネトウヨ、ブサヨも、右翼、左翼といった古い言葉を押し付けることによって新しい概念を無効化する蔑称だ。
たとえば、リベラルなナショナリスト。親米であっても外圧には負けず、福祉に力を入れても影に特アが付いてこない。そんな政治姿勢をなんと呼ぶべきか?
経済界と官僚の言いなりに見える自民党でも、もれなく特アが付いてくる民主党でもない“新しい言葉”。今の日本国に必要なのは政権交代ではなく、政権再編か。しかし、再編される議員が今のままでは、単純にパワーゲームの組み換えにしかならないところが痛いな。