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[SF] プリズムの瞳

2016-10-31 22:02:46 | SF

『プリズムの瞳』 菅浩江 (創元SF文庫)

 

うーん、いまひとつ納得がいかない読後感。

専門的な技術を持つが、感情を持たないロボット〈ピイ・シリーズ〉。感情を持ち、ひとと対等にコミュニケーション可能な〈フィー・シリーズ〉。紆余曲折の末、〈フィー・シリーズ〉は廃止され、生き残った〈ピイ・シリーズ〉は、与えられた専門技術に係わらず、絵を描くという目的のみに存続を許された。

感情を持たず、様々な手法で絵を描くだけのロボットに過ぎない〈ピイ・シリーズ〉に人々は何を見るのか。ピイの行動は想像を超え、写し鏡のように、人々の心をキャンバスに描き出すことになった。

物語の構成もわかる。コンセプトもわかる。しかし、その結果の人々の心の動きが理解できない。登場人物が物語に支配され、自分の意思ではなく、物語を成立させるために動いているような気がした。

すべての事件で糸を引く遠坂もおかしければ、“しーちゃん”こと与謝野博士もおかしい。その特異な外見だけでなく、全般的に、共感するどころか、そんな奴いるかとしか思えない。彼らはいわゆる狂言回しなので、それでも問題無いのかもしれないが、連作短編に登場する人物たちすべてにおいて共感できない。いったい、なんだこれは。

解説の“枕”に登場するアイボのお葬式のニュースには、いたく感心した記憶がある。アイボなんて、感情や専門技能どころか、単純な反応を繰り出すだけのおもちゃに対しでさえ、人々は個性や感情を見出すものである。そして、日本という国は、世界的に見て特異なほどに、人工知能やロボットに親和的な国なのではないかと思っている。

その解説の先に、なぜこの物語が繋がるのか。

ロボットが自分の職場に現れた時、ひとは尊厳を傷つけられたと思うのだろうか。そこでパートナーとして付き合っていくことはできないのだろうか。

たしかに、ロボットのせいで職を奪われるほどになれば、ロボットを恨むひとも出てくるだろう。しかし、その思いは、本当にロボットに向くのだろうか。かえって、ロボットの存在を認める人の方がロボットに対して敵意を持ち、ロボットの存在を認めない人は雇用者へ怒りの矛先を向けるものなのではないか。

そんなことをつらつらと取り留めも無く考えてみるのだが、やっぱりこの小説に描かれた未来は、俺が思い描くものとはかけ離れていて、現実味が無いと思うのだ。

ロボットは、少なくとも日本においては、本当に感情があろうとなかろうと、ひとの道具であり、それ以上に友達であり、恋人であり続けるのではないかと。楽観的かもしれないが、俺はそう思う。

 



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