katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室とヤモリのウエルカムボード

2021-04-09 02:15:40 | モザイク作家

今日はキウイ教室なんだけれど、公開出来ない小物作品なんで、画像は無し。そんな中、ヤモリのウエルカムボードを見て、良いぃぃ、これ良いって言ってくれたんだけれど、正直どっちも感想は用意があって、例えば良いって言った場合は、

ヤモリのモチーフ自体は好きじゃ無いけど、純粋にモザイクとして見てくれて、そのグレードのみで判断してくれた・・・こんな場合は良いって言うだろうし、逆にモチーフのヤモリが嫌い・・・これで感想は好きじゃ無いって事でおしまい。

こんな2つがあるのね。上手くなるって言うのは、技術も大事だけれど、そんな眼に見える事は反復練習である程度何とかなるのね。けど、目利きって言うような眼に見えない事って言うのは、感じるって部分だから、五感の話になる。

その感って言う感じる部分が敏感じゃ無いと、別に、別にの連呼なら、それ以上は上手くならないし、そんな場合は、オリジナルを作らずにコピーをして考えずに、常に切るのみに徹すれば、そこそこ結果は出るし、上手くも見える。

それをひとたび、オリジナルに手を出せば、古典落語じゃ無くて、新作落語になるし、歌舞伎じゃ無くて、スーパー歌舞伎になるし、肉じゃがやきんぴらじゃ無く、創作料理になる。それがオリジナル。

その時に例えば、バランスなんて言葉が出て来たりした時、その絵が片足を上げてやじろべえみたいな感覚で見た時に、右側が重く見えるとか、だから左側に何かが欲しい・・・みたいな事を感じられるかどうか?なのね。

他にはお笑いのボケと突っ込み。ボケはおふざけで、突っ込みは正当みたいなバランスだとする。つまり作品の中で、おふざけの量と正当のバランスは?と考えれば、ふざけ過ぎかな・・・とか、真面目かっ・・・とか、その分量で作品の内容

が変わって来るのね。そんな事を踏まえて考えると、例えば文字はオリジナルじゃ無いから、おふざけは無し。ヤモリもリアルな感じとなれば、真面目かっのみになっている。つまりバックに入る前のヤモリにはおふざけは一切無い事になる。

だとすれば、ここまでの感想は真面目かっ・・・だから、凄いみたいな方向になりがち。だから無難に普通にするのなら、バックがクラッシュで1色・・・例えば白とかにすれば普通にワッペンみたいな感じで、まずまずな出来栄え。

ただそれでは、らしく無い感じがするのよ。それとリアルなままだとお嫌いです・・・なんて人がいるだろうから、おふざけ感が花なんだけれど、これがバラとかなら素敵なんて事に繋がるだろうが、子供のお絵描きみたいなお花・・・。

つまり感想の最高は可愛い・・・って感じになる。つまり仕上がりがキモ可愛いになる。キモがヤモリ部分で可愛いが花。ボケと突っ込みのバランスって言うのは、こんな感じだと思うんだけれど。

 


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