今日はご新規さんが1人で2人欠席で3人。何だか、365歩のマーチみたいなのねぇ・・・・3歩進んで2歩下がるぅぅぅ。
そんな中、ご新規さんの作品はこれなのね。まっ、このホヌに関しては、ほぼ下絵いらずみたいなもので、何度も結果は出ているが、
2時間の時間通りに完成したのは初めて・・・・。それなのに、このグレード・・・・しかもこの方、体験のモノ作りに慣れている。
時間を気にして帳尻を合わせて来た・・・・こう言う方が、もし体験の2時間では無くて、2.3回で1作品が終わるような作り方を
するのなら、確実に上手くなるんだけれど・・・・と思うのね。何しろ最初はどうして良いか判らないし、必死でやってたら、えっもうそんな時間・・・・なんて事が普通なのに・・・・。要するに作りながら時間配分していたって事になる・・・。
本来それは上手くなった人がやる事なんだけれど、すでにそんな事が出来るって言うのは、まず道具の使い方を把握するのが上手いと思われるのね。まぁこんなのは器用なんて言葉で解決なんだけれど、それと見て盗むのが上手なのね。
ここがこうしてある・・・とか、こんな感じかな・・・と、やった時に、かなりニアピンに真似が出来る・・・一見簡単そうな話だけれど、中々、サンプルと自分の比較の時の、盗むって言うのも1つの技術でね、職人なんてもんは、その盗むって言うのを覚えたもん
なのね・・・盗み方って言うのかな・・・?本来、そんな事をするのに何年も掛かったりするもんなんだけれどね。ただ逆に、サンプルがあるって事は結果が見えているもので、盗む事が上手い場合、それなら何処かから先人のモザイクのデザインを拝借すれば、
手馴れればいくらでも真似は簡単に出来るようになる。それ位の器用さをすでに持っていると言う事。それよりも凄い事が1つあって、モノ作りが好きなんです・・・って言うのね。その上に、好きなんてものが上乗せになるのだから、へこたれない。
つまりこれだけ持っている人の体験では、結果もこうして当然付いて来るから楽しいのね。後はここから先に進むか?進まないか?って話で、簡単だった面白かった・・・と思えておしまい・・・って言うのと、体験ではそこそこだったから・・・と、もう少し・・・
みたいに続けて見ようかな・・・とかになってね、続けるって方を選んだとするじゃない?進まなければおしまいなんだから、話は広がらないので、進んだ時に、2作目は何が作りたいですか?・・・・になるのね・・・ここは。
要するにみんな一緒で・・・・って言うのは、体験の時だけ。みんな好きなモチーフで、好きな課題を好きな時間の掛け方で、仕上げて行く・・・そんなスタイルだから、自分が何がしたいか?とか、何が欲しいか?とか、何回で終わりたいとか?いくらの予算だとか?
判らないながらも、何らかの考えを話してくれないと、先には進めない。勿論、いきなりぃぃぃって言う場合なら、2回位で終わる事を選んで、飾るのか?使うのか?で、使うのなら丈夫なタイルを選ばないとならないから、硬いタイルになるし、
けれど鍋ほど硬いものは乗せない・・・って言うのなら、コースターなら、ぺきぺきでも・・・と、自然と何かを1つ選べば、勝手にそれならこっち・・・・それならこっちと進んで行くのね。つまりすべてが思い描く事にはならないのね。
それは当たり前で、やりたい事と出来る事は違うのね。ただ、すべて無理・・・では無くて、出来そうな事を選びます・・・・って指導が始まるんだけれど・・・・。そこに問題が発生するのね。
つまりいつも先生の提案型のお教室に参加していた場合、良くも悪くも依存だった。終わる頃に次は何ですか?ってね。
確かにひと月に1回なら、12回しか無いので、ビックリするほど進まないし、提案も悪く無いとは思う。
では質問。もしかぐややキウイが次は何ですか?・・・・って言ったらどう思う?ここが好きな人達ならすぐ判るはずなのね。
そもそも上手くなった人達がどうして上手くなったのか?・・・・となると、そもそもが好きな課題を好きな時間で続けたから。
しかも、提案では無くて、自分があって、何がしたいか?を持っていて、こんなの出来ますか?の質問が出来て、これは無理だけれど、これなら出来るけれど・・・とやり取りの中で、1つ1つ手に入れて行った・・・・。
つまり最初から、提案のスタイルでやっていたのでは無くて、自分発信でそうするにはこう、こう・・・と相談相手であった関係で上手くなって行ったのね。またそんな形で上手くなっていく方なら良いんだけれど・・・・。
いずれにせよ、体験としては仕上がりも時間も完璧だった。お見事です。さて、そんなカルチャーの先輩2人の作品は?と言うと、
金町湯の方は新作に入ったのね。
では、上手くなった人への指導ってのは、どうなるか?って言うと、これを見て欲しいのね。
同じ距離からの画像では無いから、判りづらいかも知れないけれど、簡単に言えばタイルを切っているのでは無くて、目を切っている・・・意識の問題。例えば下絵を自分で描かないとして、アニメや絵画の1流の下絵だったとする。
その場合なら、意識は薄くて良い。つまりその下絵通りに切れさえすれば、その絵になるのだから。切る、張るが上手ければそれだけで良い。何故なら下絵が上手いのだから・・・。
では自分で描いた下絵では?果たしてその下絵通りでそもそも完璧なのであるのか?・・・になる。そこに意識無く、ただ下絵の線の通りに切る事、張る事は簡単に出来るようになっているのだから、はい出来た・・・になる。
これが幾何学模様の1つのパーツに過ぎないのなら、そのままで全く問題の無い。ただ同じ事を繰り返すだけ。意識はそれだけ。
けれど生き物の目は、切り方1つで表情が変わる。オス、メス、年齢、・・・・喜怒哀楽・・・・。
つまりそれが意識。この鳥はどんな感じなの?ってね。切る事、張る事が上手くなった人は、意識する事。
その意識の高さが上手さに繋がって行くのね。それが、満足に切れない、張れない・・・こんな始まったばかりの人が、
意識ばかりをしていたんじゃ進まない。つまり必要になっている人と言う事なのね・・・・この指導が必要な人に。
ただ、その意識の中の1つとして、小鳥である・・・しかも原寸大程度か、やや小さめな・・・。ここなのね。
小さめであり、小鳥・・・そもそもが小。しかも下絵はリアルでは無くて、可愛いデザイン。つまり可愛いって何?を意識する。
例えば、大きい鳥となると、今みどりが作っているフェニックス。観た事も無いのにリアルに見える・・・。
それは大きいスペースに精度の良いパーツを切って行くから、その精密度がリアルに繋がる事になる。だとするのなら、逆に可愛いって言うのはデフォルメする。つまりちょっと大げさに強調したりね。
後は別に小鳥に見えれば良いだけなら、品種を目指す訳じゃないので、羽が羽で無くても良い訳で・・・可愛い模様であっても。
何しろまともに見たまま・・・って言うのなら、きちんとした絵が必要になる。
何しろ可愛く・・・ここが大事になるんじゃないのかな?逆に仏像彫刻の方のように、この犬だと犬種がはっきりしていて、毛並みまで真似して作りに行っている・・・・それはリアルの追求だから、横に写真を置きながら作っている・・・。
大事なのは、この2人くらいになったら、今自分の作っているものは、どっちなんだ?くらいは意識する事。
絵を描くのとは違って、小さいスペースにリアルの追求は不可能。現物よりも大きく作らないとね・・・・。
それを、可愛いって言う場合、ぺきぺきで大きいパーツで本体をしっかり切って、バックをルーズに作ると、勝手に可愛くなるのだけれど、逆にぺきぺきでリアルに作るって言うのは、難しいものだったりする。
でも、もうこの程度の指導で十分出来る腕もあるのね・・・大事なのは意識の持ち方。何しろ2人はタイルを自分の思っている形に切れるようになって来ているから。後は素敵な配列や置く場所の意識・・・・何処の位置が可愛い?美しい?・・・?・?ってね。
ここに下絵の線があるから・・・・はいその通り・・・ってやらないって事。ただそれだけ。
そんなこんなで、アトリエに帰ってオードリー教室だったんだけれど、デジカメの電池切れ・・・って訳で明日。
そんな中、ご新規さんの作品はこれなのね。まっ、このホヌに関しては、ほぼ下絵いらずみたいなもので、何度も結果は出ているが、
2時間の時間通りに完成したのは初めて・・・・。それなのに、このグレード・・・・しかもこの方、体験のモノ作りに慣れている。
時間を気にして帳尻を合わせて来た・・・・こう言う方が、もし体験の2時間では無くて、2.3回で1作品が終わるような作り方を
するのなら、確実に上手くなるんだけれど・・・・と思うのね。何しろ最初はどうして良いか判らないし、必死でやってたら、えっもうそんな時間・・・・なんて事が普通なのに・・・・。要するに作りながら時間配分していたって事になる・・・。
本来それは上手くなった人がやる事なんだけれど、すでにそんな事が出来るって言うのは、まず道具の使い方を把握するのが上手いと思われるのね。まぁこんなのは器用なんて言葉で解決なんだけれど、それと見て盗むのが上手なのね。
ここがこうしてある・・・とか、こんな感じかな・・・と、やった時に、かなりニアピンに真似が出来る・・・一見簡単そうな話だけれど、中々、サンプルと自分の比較の時の、盗むって言うのも1つの技術でね、職人なんてもんは、その盗むって言うのを覚えたもん
なのね・・・盗み方って言うのかな・・・?本来、そんな事をするのに何年も掛かったりするもんなんだけれどね。ただ逆に、サンプルがあるって事は結果が見えているもので、盗む事が上手い場合、それなら何処かから先人のモザイクのデザインを拝借すれば、
手馴れればいくらでも真似は簡単に出来るようになる。それ位の器用さをすでに持っていると言う事。それよりも凄い事が1つあって、モノ作りが好きなんです・・・って言うのね。その上に、好きなんてものが上乗せになるのだから、へこたれない。
つまりこれだけ持っている人の体験では、結果もこうして当然付いて来るから楽しいのね。後はここから先に進むか?進まないか?って話で、簡単だった面白かった・・・と思えておしまい・・・って言うのと、体験ではそこそこだったから・・・と、もう少し・・・
みたいに続けて見ようかな・・・とかになってね、続けるって方を選んだとするじゃない?進まなければおしまいなんだから、話は広がらないので、進んだ時に、2作目は何が作りたいですか?・・・・になるのね・・・ここは。
要するにみんな一緒で・・・・って言うのは、体験の時だけ。みんな好きなモチーフで、好きな課題を好きな時間の掛け方で、仕上げて行く・・・そんなスタイルだから、自分が何がしたいか?とか、何が欲しいか?とか、何回で終わりたいとか?いくらの予算だとか?
判らないながらも、何らかの考えを話してくれないと、先には進めない。勿論、いきなりぃぃぃって言う場合なら、2回位で終わる事を選んで、飾るのか?使うのか?で、使うのなら丈夫なタイルを選ばないとならないから、硬いタイルになるし、
けれど鍋ほど硬いものは乗せない・・・って言うのなら、コースターなら、ぺきぺきでも・・・と、自然と何かを1つ選べば、勝手にそれならこっち・・・・それならこっちと進んで行くのね。つまりすべてが思い描く事にはならないのね。
それは当たり前で、やりたい事と出来る事は違うのね。ただ、すべて無理・・・では無くて、出来そうな事を選びます・・・・って指導が始まるんだけれど・・・・。そこに問題が発生するのね。
つまりいつも先生の提案型のお教室に参加していた場合、良くも悪くも依存だった。終わる頃に次は何ですか?ってね。
確かにひと月に1回なら、12回しか無いので、ビックリするほど進まないし、提案も悪く無いとは思う。
では質問。もしかぐややキウイが次は何ですか?・・・・って言ったらどう思う?ここが好きな人達ならすぐ判るはずなのね。
そもそも上手くなった人達がどうして上手くなったのか?・・・・となると、そもそもが好きな課題を好きな時間で続けたから。
しかも、提案では無くて、自分があって、何がしたいか?を持っていて、こんなの出来ますか?の質問が出来て、これは無理だけれど、これなら出来るけれど・・・とやり取りの中で、1つ1つ手に入れて行った・・・・。
つまり最初から、提案のスタイルでやっていたのでは無くて、自分発信でそうするにはこう、こう・・・と相談相手であった関係で上手くなって行ったのね。またそんな形で上手くなっていく方なら良いんだけれど・・・・。
いずれにせよ、体験としては仕上がりも時間も完璧だった。お見事です。さて、そんなカルチャーの先輩2人の作品は?と言うと、
金町湯の方は新作に入ったのね。
では、上手くなった人への指導ってのは、どうなるか?って言うと、これを見て欲しいのね。
同じ距離からの画像では無いから、判りづらいかも知れないけれど、簡単に言えばタイルを切っているのでは無くて、目を切っている・・・意識の問題。例えば下絵を自分で描かないとして、アニメや絵画の1流の下絵だったとする。
その場合なら、意識は薄くて良い。つまりその下絵通りに切れさえすれば、その絵になるのだから。切る、張るが上手ければそれだけで良い。何故なら下絵が上手いのだから・・・。
では自分で描いた下絵では?果たしてその下絵通りでそもそも完璧なのであるのか?・・・になる。そこに意識無く、ただ下絵の線の通りに切る事、張る事は簡単に出来るようになっているのだから、はい出来た・・・になる。
これが幾何学模様の1つのパーツに過ぎないのなら、そのままで全く問題の無い。ただ同じ事を繰り返すだけ。意識はそれだけ。
けれど生き物の目は、切り方1つで表情が変わる。オス、メス、年齢、・・・・喜怒哀楽・・・・。
つまりそれが意識。この鳥はどんな感じなの?ってね。切る事、張る事が上手くなった人は、意識する事。
その意識の高さが上手さに繋がって行くのね。それが、満足に切れない、張れない・・・こんな始まったばかりの人が、
意識ばかりをしていたんじゃ進まない。つまり必要になっている人と言う事なのね・・・・この指導が必要な人に。
ただ、その意識の中の1つとして、小鳥である・・・しかも原寸大程度か、やや小さめな・・・。ここなのね。
小さめであり、小鳥・・・そもそもが小。しかも下絵はリアルでは無くて、可愛いデザイン。つまり可愛いって何?を意識する。
例えば、大きい鳥となると、今みどりが作っているフェニックス。観た事も無いのにリアルに見える・・・。
それは大きいスペースに精度の良いパーツを切って行くから、その精密度がリアルに繋がる事になる。だとするのなら、逆に可愛いって言うのはデフォルメする。つまりちょっと大げさに強調したりね。
後は別に小鳥に見えれば良いだけなら、品種を目指す訳じゃないので、羽が羽で無くても良い訳で・・・可愛い模様であっても。
何しろまともに見たまま・・・って言うのなら、きちんとした絵が必要になる。
何しろ可愛く・・・ここが大事になるんじゃないのかな?逆に仏像彫刻の方のように、この犬だと犬種がはっきりしていて、毛並みまで真似して作りに行っている・・・・それはリアルの追求だから、横に写真を置きながら作っている・・・。
大事なのは、この2人くらいになったら、今自分の作っているものは、どっちなんだ?くらいは意識する事。
絵を描くのとは違って、小さいスペースにリアルの追求は不可能。現物よりも大きく作らないとね・・・・。
それを、可愛いって言う場合、ぺきぺきで大きいパーツで本体をしっかり切って、バックをルーズに作ると、勝手に可愛くなるのだけれど、逆にぺきぺきでリアルに作るって言うのは、難しいものだったりする。
でも、もうこの程度の指導で十分出来る腕もあるのね・・・大事なのは意識の持ち方。何しろ2人はタイルを自分の思っている形に切れるようになって来ているから。後は素敵な配列や置く場所の意識・・・・何処の位置が可愛い?美しい?・・・?・?ってね。
ここに下絵の線があるから・・・・はいその通り・・・ってやらないって事。ただそれだけ。
そんなこんなで、アトリエに帰ってオードリー教室だったんだけれど、デジカメの電池切れ・・・って訳で明日。