教員になり、初めて教壇に立ってから40数年の年月が経ちました。
経った時間は長いのですが、過ぎた時間はあっという間だったような気がします。
最初の赴任地は、豊田小学校でした。
学校が分離する前だったので、各学年6クラスで1500人の子どもたちがいました。
1クラス平均が40人でした。転校生などがあり、40人を超える時もありました。
体育館での始業式。
各学級が横や縦に詰めないと全員の子どもたちが入りきれません。
初めて教員になり、新任紹介でステージに立った時のどきどき感は今でも忘れることができません。
そんな時代の子どもたちも、今は社会の最前線で輝きながら、ある時はとまどいながら活躍・生活をしています。
よくその当時の子どもたちから、
「先生を先生にしてあげたのは、私たちよ。」
と言われます。
「先生を先生にしてあげたのは、私たちよ。」
と言われます。
しかし、その通りです。
先日、当時の子どもの一人が、大阪から仕事で戻ってきました。
会うことができました。
同級生の家族が営むお店で何人かで会話を楽しみながら、晩秋の夜が更けるまで食事をしました。
あれから月日が経ち、当時の子どもたちも、いろんな経験を積み、話をしながら、考え方や人を思う心の素晴らしさに心を打たれるものもありました。
歩く道の中で、小学生の頃とはちがって、いろんな苦しい出来事などもあったでしょう。
今、置かれた状況の中でも、親の介護や自分自身の健康などの問題にも直面することもあったことでしょう。
それを乗り越えながら、頼もしくたくましく社会の中で生き抜いています。
「先生、よく22,3歳で先生できたね。」
たしかにその通りです。
たしかにその通りです。
当時の子どもたちのお子さんがその年齢になって考える言葉でしょう。
しかし、子どもたちをはじめ、お家の方、親の年齢くらいの方が多くいた職場の先生方・・・に支えながら、時を過ごしました。
退職の時もお祝いをしてもらいました。
40年以上の時を超え、こうして一人の大人と大人として会えることに幸せに感じます。
あの時もそして今も、自分なりに子どもたちを大切にするという気持ちを持ちながら、残された教員生活を過ごしていきたいと思います。
最後の〆は、お店の看板メニューの「カツカレー」でした。
喜びを感じる満腹でした。