アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

日本の会社はすべてブラック企業

2013-03-05 06:00:02 | つれづれ
ブラック企業という言葉も、もはや完全に市民権を持つようになった様子だが、その名も「ブラック企業」という名前の本がきっかけとなり、いろんな人がいろんなことを書いている。


 そもそもブラック企業とは、「違法とも言える労働条件で社員を働かせ、ついていけない者については、巧妙に会社から追い出す企業のことをさしている」らしい。
 まあ、この辺が微妙な感じで、個人の取り方とかで定義も変わりそうだが、共通の前提となっているのが、「違法とも言える労働条件で社員を働かせている」部分だろう。

 サービス残業という言葉は、世界中で日本にしかない言葉だそうだが、ことの本質を見誤らせる空気を醸し出す。正しくは、無賃金労働というべきだ。
 小生が若手社員の頃は、家に持ち帰るのは当たり前だといわれたし、18時過ぎに、「急ぐ必要はない、明日の朝までに」と言われる仕事も多かった。そのセリフが出るときは、必ずその上司から飲みか麻雀に付き合わされた。「明日の朝までに仕上げておけばいいから」という理由で、拒否などできなかった。

 これに対して、「日本の会社はすべて『ブラック企業』である」という表題の記事が目に留まり、個人的には納得した。
 違法とも言える労働条件で・・・なんてのはどこでも普通にあるとした上で、以下のような整理をしている。

 日本のサラリーマンは、長期的関係という「見えない鎖」でつながれた奴隷だが、これまでは年功序列のメリットがあったので、皆がまんをしていた。
 しかし、今やそれもなくなり、「ブラック企業」は日本的雇用慣行のブラックな部分だけとり、身分保証しない「いいところどり」をしているという整理だ。


 この後の議論は別に、私見をあえて書いておきたい。小生も今は完璧な窓際族だが、若い頃はいわゆる7-11勤務が普通だった。もっとも出勤簿上は9-18時勤務だったが。
 当時の上司たちの優雅な勤務ぶりと高給を眺め、いずれは・・・と頑張った。だが、グローバル化とか成果主義なる言葉とともに、労働条件はブラック化の一途。

 小生でみれば、あの頃の上司はおろか、20代のころの処遇と肩を並べつつある実状だ。
 おっしゃる通り、成果を挙げたものを評価するという理屈は納得できるが、問題なのはその評価の物差しが、多くの場合「成果に沿っていない」ことだろう

 成果を挙げているかどうかわからない人が評価される一方で、明確な成果を挙げても、なぜか成果として評価されない人も少なくない。こうした矛盾が表に見えれば、しょせんは・・・なんて腐る人も多くなる。こうした人間がたくさんいれば、企業としてのモチベーションイコール生産性は下がっていくことになろう。
 だが、ここではもうひとつの点にさらに疑問を呈したい。

 グローバル化で、競争に勝ち残るために・・・といわれるが、要は日本の企業の多くは違法勤務を無賃金でさせないと競争に勝てないというぐらい、生産性が低いということか
 窓際になる前に、上司からは「欧米のエリートたちは、こんな甘い勤務ではない」とよく言われたが、その彼らの報酬は、我々と一桁違っていたはず。そもそも、我々はエリートじゃないし・・・って(苦笑)

 なぜそんなに出せるのか、逆になぜ日本の企業は出せないのか。そこについては、小生の持論があるが、その辺はまたいずれの日にか機会があれば書かせていただきたい。
 ともあれ、年功序列型賃金と、終身雇用が日本なりの労働のモチベーション維持装置であり、それがゆえに、(結果として)成果も挙がっていたと考えるのはおかしいだろうか。

 企業のブラック化が進む中、サラリーマンの未来に希望は持ちにくいのかも。
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