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先日、映画関ケ原を見たことを紹介したが、冒頭はあまりに有名な三成の三献のお茶の話からであった。
このエピソードは後世のねつ造説もあるが、近年は事実であっただろうなんて言われている。くだんのお寺は「伊富貴山観音寺」、俗称「大原観音寺」と呼ばれていて、米原にある。当時秀吉は長浜城にいたが、そこからほど近い。
実は、その映画を見ていて思い出したのが今日紹介するお寺だ。
お寺の名前は浄土院という。場所は京都の上京区千本今出川付近だ。だが、このお寺は浄土院というよりも「湯沢山茶くれん寺」という名前の方が有名だ。
この風変りな名前は、秀吉が突然このお寺に来たときのことが由来になっている。小生が拙い文章で書くのも・・・なので、こちらをご覧いただこう。
このエピソードに怒ることなく、こんなシャレのきいた名前をつけるところが、秀吉の秀吉たるところかも知れない。
ちなみに当日は歴史に残る北野天満宮の大茶会の日であり、そちらに向かう前に立ち寄ったようだ。場所的にもそれは納得がいく。
さて、小生がこのお寺の名前を聞いたのは中学生のときの修学旅行のバスの中であった。清水寺の参道にある森食堂でカレーライスとゆで卵を食べ、乗り込んだバスで奈良へ向かう途中だった。忘れもしない宇治の平等院の見学の後に車内で聞いた。
ということで、恥ずかしながら小生、このお寺を宇治周辺とばかり思っていた。
上京区にあったとは・・・京都に勤務していた頃なら住まいから徒歩圏内であった。今になっては遅すぎるが、当時調べていれば・・・だ。
その修学旅行の宿泊ホテルは本能寺会館といい、今でもあるが、まさに京都の住まいからは指呼の間であったし、実際当時の思い出で巡回してみたのだから。
初日は伊豆からこだまで移動、米原で降りて比叡山へ、そこから銀閣寺と平安神宮、三十三間堂でホテルへ。
二日目は、金閣寺から清水寺に回り、平等院から奈良公園で東大寺から春日大社。猿沢の池のほとりの大和路というホテルだった。
最後の三日目は、法隆寺から大阪へ抜けて造幣局もそして伊豆へという行程だった。今でも、懐かしい思い出である・・・
それにしても三成の聡明さを今に伝えるエピソードといい、茶くれん寺のエピソードといい、秀吉がどれだけのエピソードを持っているのかって・・・
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