雲雀野と郭公の森と

北アルプスと黒部川に育まれた片田舎
の住人の気まぐれ日記
あの「森の近況」の代替として・・・・・

伝説 黒部浦島物語

2015-07-23 16:30:27 | 雑記
知っている人はどれくらいいるのだろうか。
当地にはいろいろな伝説が伝わっていて
その一つ「黒部浦島(八人浦島)物語があります。

宇奈月町史にも掲載されていますが、多くの本に掲載されていてそれぞれが
ちょっとづつ違っているところがあります。
26日にラジオで朗読されるのが、どのパターンなのかはわかりません。

著作権の関係でまずいのかもしれませんが、参考として私が最初に目にしたものを暫時掲載します。

 8月6日、転載を削除しました。

もし知りたいという方がおいででしたら、連絡くださればメールに添付して
送ります。 ということであしからず。


 愛本橋の上流の村で、老若が集まって碁会をはじめ、かわるがわる宿を立てて碁を打って楽しんでいた。

 ある日のこと、歳のころ六十歳ばかりの老人がとぼとぼやってきて
「わたしは碁が好きです。どうぞ拝見させてください」
といって腰をかけ、碁を打っているところをじっと見ていた。
 その中の一人が
「あなたが打たれるならば、私がお相手いたしましょう」というと、
 老人は
「それは、ありがたいさらばどなたとでもてあわせしましょう」
というと、その村で一番といわれている男が
「わたしがかわってうってみましょう」
といって、互い先で打ち始めた。
 老人は、村の者よりは五目ばかりも強そうに見えた。村人たちは
「あなたは上手に打たれる」
と、ほめそやしたので老人は六目勝った。
老人は「明日またまいりましょう」といって帰った。

 そして次の日も、また次の日もと毎日やってきたが、
その老人はどこの人とも知るものがいなかった。

 かくして一年は過ぎた。

 そのうちに仲間の中で
「あの老人はなんというものでどこの人だろう」
といったが誰一人知る者がいない。そこで
「今度老人が見えたら宿し給え」といって老人の家へ行ってみようではないか
「それは、おもしろかろう」
といっているところへ老人がやって来た。そうして老人に向かって
「永い間碁会においでになるが、一度あなたのお家で宿をしていただけませんか。
私達一同
うちそろってまいります」
と言うと老人はいかにもうれしそうに、にこにこしながら
「自分もいつかお宿をしようと思っていました。しからば用意してあさってむかえにまいります
といって、碁を打ってから帰っていった。

 約束の日には朝早く老人が迎えに来たので、八人のものどもが打ち連れて老人の後について歩いた。
谷へ入り大きい滝のところへ出ると、老人は
「この滝の内に人の知らない近道があります。私といっしょに滝の中へ飛び込みなさい」

といわれて、不思議に思ったが、滝の中にとびこんだ。
 ところが、その中が洞になっていてりっぱな大道がついていた。
十余町も進んだかと思うころに、広々とした野原に出た。
その野原を四-五町いくとむこうに黒い立派な門が見えて来た。
 老人は
「あれにみえるのは自分の住家です」
門をくぐると正面に大きな式台があり、そこには大勢が出迎えて
「遠方よりようこそおいで下さいました」
とあいさつした。八人の者どもは座敷に通されたが、どの部屋を見てもきれいでこの世のものとも思えなかった。
 やがて老人が出てきて
「見苦しいところへようこそおいで下さいました。まことにうれしゅうございます。おゆるりとお遊びください」
と、さまざまなごちそうをしてもてなした。
 次の日には、近辺から碁の相手が来てかわるがわる碁を打って楽しんだ。
そのあとで山海の珍味が出されて酒宴が開かれた。
八人のものどもはおもしろくて家に帰るのも忘れたよう。老人は
「私に一人の娘がいます。踊りを習わせていますが、今夜は気晴らしに躍らせますから奥の座敷へ席をお替えください。
といって案内した。一同は奥の室へ入ると、灯台がならび十四、五から十七、八歳のきれいな娘たちが並んで
三味線、胡弓、尺八を持って調子をとり、調べにあわせて踊り唄をはじめると、むこうから美しい娘がでてきて
踊りはじめた。これに従う大勢の娘たち、その踊りに八人のものどもは度肝を抜かれて天にも昇る心地であった。 踊りが次々と変わり、終わる頃には夜が明けていた。
踊りと酒宴のごちそうになった八人は、口をそろえて娘さんの踊りを褒めたたえてあいさつした。
 老人は
「さて、おたいくつでしたでしょう。ゆっくりお休みください」
といって寝床へ案内した。間もなく一人の者が目をさまし
さてさて、不思議なところへ来て、四、五日と逗留した。いざ帰ろう
というと、みんなも起きでて、老人に
「ながなが手厚いおもてなしにあずかりありがとうございます。これでお暇申し上げます」
というと老人は
「せっかくのおいで、もうニ、三日とどまりなさい」
といったが、八人の者どもは
「家内の者どもがまっていましょうから、これで失礼いたします」
といったので、老人は
「しからばおこころにおまかせしましょう。しかしなにかのごちそうにと、世に求めがたいさかなをもとめました
そのさかなを料理してさしあげましょう。その前に台所でお目にかけましょう」
といって台所へ案内した。見ると頭は人の形で丸く、目耳鼻があって、胴は鯛のようであった。」老人は
「このさかなは人魚といいます」
座敷にもどると、老人は
「ただいまご馳走を運ばせます。このさかなを食べると長生きします。ごゆっくり召し上がってください。
と、あいさつした。
 みなの者どもは、初めて見たふしぎなさかななので、食べるように見せかけながら懐紙に包んで
「このようなめずらしいさかなを一人で食べるのはおしいから、持ち帰って家のものといっしょにわけていただきます。」といい
「身にあまるおもてなし、ありがたく終生忘れません」
とお礼を述べて、屋敷をでると、大勢の人たちが門の外まで見送り、老人は
「自分は滝まで、お見送りします」
といって、八人の先に立って滝のところまで案内し
「ここから外へでなさい」
といってから、あいさつをして別れた。八人の者どもは教えられた通りにして滝から飛び出し川ぶちでくだんの紙包み
の肴を川に捨て

「さても、不思議なところへいって遊び気をのばした」
と、いそいで家に帰ると、家族の者どもはびっくりして
いままで、どこへ行っていたのですか。ちょうど三年経ちました
というと、みなが顔をあわせて驚いた。
 紙包みのさかなを捨てないで持ち帰った一人が、何心なくとりだしたのを、
十歳になる娘が土産と思って、ひとりで食べてしまった。

 のちに、八人のものどもは、老人に連れられていった滝をたずねたが、探し明かすことができなかった。

 それからは、老人は碁をうちに来なくなったが、魚を食べた娘はいつも若々しく三百歳の寿命を保った。
とのことである。



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4 コメント

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ありがとうございます (たみまる)
2015-07-25 21:01:36
わがままな、リクエストにお答えくださって、ほんとうにありがとうございます。
拝読するのが遅くなってしまい、申し訳ありません。期間限定なのに。。。

面白いお話ですね。一気に年寄ったのではないのですね。人魚を食べた娘はいつまでも若かった・・・・
それを確認できた人は居たのでしょうか?
ひとりだけ長生きした娘は、寂しかったかもしれませんよね~
地方地方で、色んな昔ばなしがあるのですね。ずっと、残していって欲しい宝物です。

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Re:たみまるさん (たんご)
2015-07-25 21:18:30
>人魚を食べた娘はいつまでも若かった・・・・
>それを確認できた人は居たのでしょうか?

う~ん。 鋭いところを突きますねw
思うに、こっそり二人前の人魚を食べて600年生きた人がいたんじゃないですか。
 とすると600年生きたのを確認できたのは誰か?

というか、その長生きした娘の話がメインではなく
3~4日だと思っていた期間が3年だったという、アインシュタインも腰を抜かすようなところを・・・・・・


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(@_@;) (たみまる)
2015-07-26 22:58:00
すみません。
もちろん、3・4日のはずがってところが浦島なのだとわかっておりますです。

でもほら、欲を出して、痛い目に合うおばあさんのお話もたくさんありますでしょう?
で、この娘さんは、災難に遭うことなく過ごせたのかなぁと気になりましてございます。
申し訳ごじゃりませぬ。
主題から離れて浮遊するのは、私の悪い癖かもしれません。
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Re:(@_@;) (たんご)
2015-07-27 06:44:03
わかっていることはわかっていましたw

だいたい痛い目に合うおばあさんは欲が過ぎるおばあさんで。
ここに登場した娘さんは、お父さんの土産だと思って
食べただけですから
災難には合わなかったんだと思います。
人間万事塞翁が馬といいますから、何が幸運で何が災難かは何とも言えませぬが・・・・・・・
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