翡翠庵閑話

野鳥が好きな、閑人の独り言と日常の見聞録。少し遅れてUPする場合が多いですが、内容と日付は、合うようにしています。

未来のバスツアー

2023年09月30日 | 講演会、公開行事

 名古屋市と地域の団体主催による、ちょっと面白そうな行事が地域でありましたので家内と参加してきました。

 下が体験者募集のチラシ。

 先着順に整理券配布とありましたので、取り敢えずそれを入手して時間に余裕があれば一度家へ帰って出直すと云う覚悟で出かけました。順番は午後になりましたので、一度家へ帰って昼食を食べて再度出かけました。

 バスは待っていました。乗車前にぐるりまわって勇姿を撮っておきました。

 運転席も1枚。電気自動車なのでメータ類は超シンプルです。将来は自動運転の観光地巡り用?かと思います。群馬ナンバーでした。まだ試作品?で各地へ貸し出しているのかなと思います。群馬出身の家内は大喜び?でした。

 速度は19km以下、後続車が有った時は、お先にどうぞと行かせていました。今回は、お客は7人、運転手と係の人2人、定員9人のミニバスでした。最後に感想などアンケートを書いて終わりです。ちょっとモーター音が大きいのが気になった事など書いておきました。

 帰りは、真夏の雰囲気の熱田神宮境内を散歩をしながら家へかえりました。


美術講座 「巨匠列伝 時代を切り拓いた画家たち ~洋画編~」 (古川美術館)

2019年04月11日 | 講演会、公開行事

 今、同館で開催されている展覧会にちなんだ、タイトルの講座へ行ってきました。

  講師 今回の展覧会も担当された、同館学芸員 林奈美恵 さん

 最初に今回展覧会企画の顛末を話してくれましたが、これは先日のギャラリートークとほぼ同じで、平成最後にちなんで30人(30年に企画したので30人の由)の明治以降の日本の巨匠を選んだ話でした。また、洋画と西洋画の違いについても改めて説明していただきました。

 本題の巨匠列伝では藤田嗣治を取り上げて、彼の歩んだ道を、詳細なレジメも作っていただいて解説していただきました。

 彼の展覧会は戦後しばらくは開催されなかったが、最近は一時行方不明の作品が見つかったり、没後50年を期して開かれるようになったりしている。講演の中でも展覧会が開かれた会場名が示唆され、また、レジメの中の絵も大部分を私も見ていることを思い出しました。検索してみると以下が出てきました。

2009年9月3日 レオナール・フジタ展 (松坂屋美術館)

2015年10月22日 小さな藤田嗣治展 (岐阜県立美術館)

2015年12月2日 MOMATコレクション 藤田嗣治特集 (東京国立近代美術館)

2016年6月29日 藤田嗣治展 (名古屋市美術館)

2017年11月10日 ランス美術館展 (名古屋市美術館)

 藤田嗣治(レオナール・フジタ)を改めて見直す機会になった講座でした。


浅井忠と近代京都のデザイン-京都工繊大コレクションから-

2019年01月13日 | 講演会、公開行事

 ヤマザキマザック美術館で開かれている浅井忠の展覧会にちなみ、タイトルの講演会があり聴講してきました。(タイトル・本文中の大学名は京都工芸繊維大学がフル表記ですが、短縮で表記しています。)

 講師:京都工繊大美術工芸資料館館長 並木誠士氏

 前半は資料館の「資料」がどのように収集され活用されたか、浅井忠がどのようにかかわったかについて収蔵品の説明がありました。

 要約すれば学校設立以前に教授陣に予定された人たちが、パリ万博などに派遣されているときに現地で収集して、実際に教材として使ったものがもとになっているということのようです。実際教材として持ち運びがしやすいように、掛け軸のように表装していたものもあったとか。

 資料館のパンフをいただきましたが、どんなものが収集されていたか大よそ判ります。(表示は一部のみです。)同資料館では54,000点に及ぶコレクションは、順次企画展を催して一般公開しています。

 後半では、浅井忠らの授業内容が当時の京都工芸界に、どれくらい影響を及ぼしていたかという内容でした。残念ながら伝統を重きに置く工芸会全体には受け入れられなかったようで、いわゆる琳派などの長い伝統は強かった?ようです。

 決定的なことは浅井忠が開学して数年後に51歳で亡くなってしまうということが強く影響したようです。浅井忠没後は建築教育にシフトしていったとのことです。浅井忠が長生きしておれば、また違った展開をしていたのかも知れません。


愛知県立芸大陶磁器専攻30周年記念展 ~柏会の軌跡~ スライドトーク (古川美術館)

2018年10月06日 | 講演会、公開行事

 タイトル展覧会のスライドトークは3回ありましたが、最終回の今回のみ聴講させて貰いました。

 陶磁器の作家さんのトークは初めてでしたが、絵画の場合と違って少し聴衆が少なかったようでしたが、ゆったりした気分で聞かせてもらうことができました。(台風25号の影響があるかも?というので欠席した人があった?)

 各作家さんの、過去の作品や制作過程などをスライドで映してのトークなのでとてもわかり易く勉強になった会でした。今回は4人のトークで、印象に残った点は、それぞれにテーマを持って制作をしている点でした。以下トーク順に印象に残ったことを書いておきます。

① 熊沢文太さん 子供の頃から魚が好きでずっとテーマにしている。今回の出品作は「縄目魚紋大皿」

② 藤井茉弥さん 名古屋出身、高校は美術科。染付けは大学へ行ってからとのこと。現在のテーマ(モチーフ)はラディッシュ、今回の出品作は「ラディッシュ文皿 -舞-」染付けの工程を説明してくれ、エアーガン(スプレイ?)を使った濃淡の出し方の技法など参考になりました。

③ 屋我優人さん 出身地の沖縄の植物をテーマにしている。今回出品作は「彫文壷 -アダン-」上の写真では細かい点は判りにくいと思いますが、上部まわりにアダンの実と葉が彫られています。時にはパーツを作って貼り付けることもあるとか。帰郷したときに写真取材などをしているとのこと。

④ 小林真人さん 鳥をテーマにしており今回一番気になった作家さんです。出品作は、染付花器「翡翠」。スズメ、ミミズク、クジャク など過去の作品を見せてくれました。公募展ではつい目立つように色々画き込んであるものがあるが、実用面ではどうかと思うものもある。段々と無駄を省いてテーマを絞るようになった、という話は好感を持てた。最近は金魚もテーマにしているとのこと。


名古屋ボストン美術館最終展関連講演会(ビゲロウ) (都市センターホール)

2018年08月18日 | 講演会、公開行事

 名古屋ボストン美術館は10月8日に閉館します。今、最終展「ハピネス」が行われています。今回は最終展関連の講演会へ行ってきました。

演題 : ウィリアム・スタージ・ビゲロウ-日本の染織を誰よりも愛した外国人-

講師 : 長崎 巌 氏 (共立女子大学 教授)

 講師は30年以上毎年ボストン美術館へ出かけて今回テーマの染織関係のコレクションを調査研究されている由で、その中で得られた裏話的なことにも触れられ余韻ある内容でした。頭に残っていることを残しておきます。

① 明治維新後、封建制の崩壊、廃仏毀釈 等により多くの日本の美術品がお雇い外国人の手で海外へ流出したが、ビゲロウは自費でコレクションを作り、そのままボストン美術館へ寄贈している点は、一度他の人へ渡ってから寄贈されたフェノロサなどとは違う。

② 日本の美術品が買い手を捜しているという情報を有力仲介者としては中山商会が挙げられる。同商会は国内だけでなく、米、英、仏 等海外にも支店を出している。

③ ボストンに収蔵されているものの中には有力な情報が得られる、着物の畳紙(たとう)や陶磁器の箱が捨てられているものがある。収蔵するのにスペースを取る?からというのが理由だったようだが、今となっては、作者、出所などを調べる術がなくなり残念なことである。

④ 能衣装、内掛け 等の艶やかなものが米国や西欧諸国で人気があった理由の一つに、これらをテーブルクロス的な使い方が持てはやされた時期がある。

 この話を聴いたとき、イタリアを旅したときのことを思い出しました。日本人(陶芸家)とイタリア人(画家)が共同で農家を改装してアトリエを持っているという所へ寄ったことがあり、そこでイタリア人の画家がベッドカバーに内掛けを使っている所を目撃し、日本人では考え付かない、しかし実用的な発想にびっくりしたものです。どこで手に入れたのか聞いたら、神戸にいる時だと云っていました。  蛇足ですが、このとき案内してくれたのは、ホームステイした家の両親(Papaはカメラマン)。芸術家2人の展覧会をドイツで行う際の図録の写真を頼まれており、ちょうどドイツからも美術館の担当者が打合せに来ていました。思わぬところで、3ヶ国語入り乱れての日独伊会談?を楽しめたものでした。

 その他、今回展示されている染織関係のものの見所を解説してくれました。


クセ(特徴)がすごいぞ薬用植物! (マザックアートプラザ4F会議室)

2018年08月04日 | 講演会、公開行事

 ヤマザキマザック美術館で開催の「尾州徳川の花相撲」関連の講演会へ行ってきました。

 講師は、野崎香樹氏 武田薬品工業 京都薬用植物園 大学は法科を卒業してから大学院農学部で学んだという。ちょっと異色の経歴をお持ちの方でした。

 美術館の展示には、薬用植物つまり漢方薬のもとになる植物についての展示があります。また美術館のある辺りは、宗春が蟄居させられた御下屋敷で、その一角では薬用植物が栽培され、特に朝鮮人参の栽培に力を入れていたという。この薬草園は後年、名古屋の医学をおおいに発展させるもとになったという。

 講演に先立ち、講師持参の漢方薬に使う植物(採れたて!)の実物見学や薬研の体験が行われました。

  朝鮮人参(4年もの)

  キハダ(実と幹を短く切ったもの)

  トリカブト(手前の黒い塊状)

  キハダの入った奈良の飴 

 下:薬研の実習体験(かなり力が要った由)

 講演会では、チョウセンニンジン センブリ ウラルカンゾウ トンキンニッケイ キハダ アカジソ2種 トリカブト ナツメ など漢方薬としてよく使われるものについて、その実物(乾燥したもの)を舐めたりしながら効能などについて貴重な話を聴くことができました。ただし、トリカブトだけは、見るだけ聴くだけでした。

 チョウセンニンジンは栽培が難しく、今のものは輸入の天然物が多いが、辺境の地での採取が山が荒れ砂漠化につながるという心配な話でした。アカジソは薬用(香りが強い)と色が良いもの(梅干用)があるのは面白い話でした。

 下:味見用に配られた乾燥した原料の数々。青シール:センブリ(穂先と茎、葉 にがい!) 赤:ウラルカンゾウ(甘い) 緑:キハダ(幹の皮部分 中の葉っぱはナツメ、味覚が阻害される物質を含む) 黄:チョウセンニンジン 白:トンキンニッケイ(肉桂)

 現代ではなるほどといわれる効能が大手製薬会社でも解析(注目)されている、ということも伝わってくる講演会でした。ただし、国内の漢方薬シェア1位(80%以上)は、講師の会社ではなく「ツムラ」だそうです。私が今処方されて服用しているものも「ツムラ」でした。


空から見た「名古屋の歴史」展 (名古屋都市センター まちづくり広場)

2018年07月22日 | 講演会、公開行事

 前項の美術館の講演のあと、ホールの周囲にある「まちづくり広場」で近代名古屋の歴史をたどる展覧会をやっていましたので、バス待ちの時間を利用してみてきました。

 江戸初期から市域が拡大し、人口が増えていくところをポイントとして、人口、地域、当時の尾張名所図会、古地図などを並べて、名古屋の変遷を知ってもらう内容で、私としては興味あるものでした。

 江戸初期 55千人、明治初期 71千人、大正期616千人、昭和前期 1379千人、戦後597千人、高度成長期 2013千人、平成期 2311千人 という人口の拡大と街の発展を見るのはなるほどとうなずくものがあります。


曽我蕭白作品の修復について (名古屋都市センターホール)

2018年07月22日 | 講演会、公開行事

 今週末から始まる名古屋ボストン美術館最終展の、プレ講演会であるタイトル講演会へ行ってきました。

 このところの同館の展覧会では開会の日に、本家の方から出展作品(目玉作品)にかかわった修復士か、キュレータの人が講演をするのが恒例になっていました。今回はタイトルのように曾我蕭白の作品についてでした。

 講師:ボストン美術館 長倉友子氏、フィリップ・メンデレス氏

 今回講演者、1人は日本人ですが、もう1人のフィリップ氏も京都で10年以上修行したとかで、滑らかな日本語での講演でした。

 元は襖絵だったものがボストンへ渡ってからは、六曲一双の屏風に仕立てられてしまっていたのを、本展では本来の襖絵に仕立て直して展示されますが、その経緯や内容についての講演でした。

 題名の「琴棋書画図」は人生の楽しみ、琴を弾く、将棋を指す、書を書く、絵を画く の4つを併せており、絵の内容もそれぞれ楽しんでいるところを画いてあります。今回テーマのハピネスに相応しい作品です。

 上はパンフから同作品の部分を切り取ってみましたが、これはまだ修復前の姿。これがふすま絵に仕立て直されて展示されます。スライドでチラッと修復後の姿も映してくれましたが、本物は見てのお楽しみです。


尾張の植物と自然 (マザックアートプラザ4F会議室)

2018年06月24日 | 講演会、公開行事

 ヤマザキマザック美術館で開催中の「尾州徳川の花相撲」関連の講演会へ行ってきました。会場は美術館隣のビルの会議室ですが、ゆったりしていて机もあって80名。当日は補助椅子も入れて120名くらいの皆さんが聴きにみえました。

 講師を勤められた方は、北岡明彦氏(豊田市森林課副主幹 とよた森林学校主任講師)で、この地方の自然保護団体ではちょっと名の知れた方です。肩書きから推察するとお役人みたいな人が現れると思いきゃ、明るい空色のバンダナを頭に巻いた粋な格好で登壇されました。

 講演の中で記憶に残っているものは次のとおりです。

 ① 尾張は日本の植物の縮図である。国内では5~7千種の植物があるが、この地方には約1500種程度あると考えられる。海抜0m~千m程度までの種類が分布している。また、これは英国中の種類数より多い。

 ② 尾張には江戸時代から植物学が盛んで、水谷豊文、伊藤圭介ら本草学の大家がいた。彼らはシーボルトとも交流があり、このルートで海外にも情報が伝わった。彼らはシーボルトの弟子という見方もあるが、むしろ共同研究者であると考えている。なぜならシーボルトは日本国内を自由に歩き回ることは禁じられており、彼が通行を許された海道筋は植物は多くは無かったから、彼が直接情報(標本)を集めることは不可能であった。

 ③ 明治以降は学問の中心が東京に移り、尾張は空白地帯となった。

 ④ 尾張ゆかりの植物は、なんと云っても徳川家の紋にもなっている葵である。紋は三つ葉葵であるがこれは実在しない。下賀茂神社の御神紋になった双葉葵をもとに縁起の良い三つ葉にデザインしたものであろう。

 ⑤ 愛知県には3種類のカンアオイが分布している。フタバカンアオイ、ヒメカンアオイ、スズカカンアオイである。フタバカンアオイは三河に少し分布するのみである。

 ⑥ ヒメカンアオイは矢作川の東に多く分布しており、西側には矢作川に近いところに若干あるのみである。スズカカンアオイは西に分布しており、東側にはまったく無い。

 ⑦ カンアオイの種子は蟻が運んで拡散するので(アリ散布型種子)、矢作川が形成される前の分布をそのまま保っていると思われ、地球の歴史と関係あることを如術に語っている。

 ⑧ スズカカンアオイは三重県の藤原岳で発見されこの名前が付いたが、今は藤原には無い。東海地方の固有種である。

 等々大変興味ある話を伺うことができました。

 講演会後、美術館へ寄りカンアオイの展示のところへもう一度行ってみました。詳細は手持ち撮影では、はっきりはしませんので、葵の紋を目印に展覧会場でご覧になって下さい。

 今回の展覧会は撮影OKのところが多くありました。エミールガレの作品と彼が見たかもしれない古文書と並べた展示もあります。


コレクションする人間~好奇心の行き先~ (名古屋ボストン美術館レクチュアールーム)

2018年05月12日 | 講演会、公開行事

 ちょっと表題からは想像が付きにくい講演会へ行ってきました。もともとは3月10日開催のレクチュアでしたが、講師の都合でこの日開催になったものです。冒頭、講師から実は急に手術を受けることになったので、とりあえず中止、経過良好になったので改めて開催ということになりました、という挨拶がありました。こんな急な連絡も、今はメールでしてもらうので、早めに情報が伝わり、便利な世の中になったものです。(私の場合、聴講申し込みももちろんネットです。)

 講演の内容は私たちにもできる手軽なコレクションもありますよ、というものでした。講師のしているコレクションをスライドで見せていただきましたが、撮影もOKということで最初だけ撮影させてもらいました。

 講師のコレクションの初めに出たもの。ポテトチップの製品バーコード、よく見ると実に良くデザインされています。私はポテチは買ってまで食べないので気が付きませんでしたが、無味乾燥なバーコードを製品のイメージアップにうまくつなげています。デザイン的にも楽しい。次のシリーズが出たらまた!という気にさせます。

 その後に出たシリーズの数々。確かに面白いし、記念に残して(コレクションして)おこうという気にさせるデザインです。

 このポテチに始まって、マンホールのふた、交番のデザイン、交差点のポール 等々最近の商品、都市のデザインの中にコレクションして(写真に撮る)おけるものが多々あることを教えてくれたレクチュアでした。