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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

知の交流  

2024-11-02 14:23:43 | 文化

>共同通信   >「閉ざされていた」日本の大学、海外に活路 筑波大・東大・兄弟「知の交流」へ分校や拠点設置   >共同通信の意見・   >4時間・   

> 筑波大が9月、マレーシア校を首都クアラルンプールに開設した。   

>大学の本格的なアジア進出の先駆けで、他大でも拠点を設け研究や留学を通じた「知の交流」を促進しようとする動きが活発化している。   

>少子化を見据え、存在感向上を目指すが、乗り越えなければならない課題は多い。   

>日本の高等教育の国際化は本格的に進展していけるのか、実情と課題を取材した。   

>(共同通信シンガポール支局・本間麻衣、ニューデリー支局・岩橋拓郎)   

> ▽大学の「冒険」   

> 92日、クアラルンプール郊外の名門マラヤ大から間借りした校舎の開校式で、筑波大の永田恭介学長が「日本型、そして本学型の教育輸出であり、本学にとっての新たな冒険だ」と強調した。   

1期生となったマレーシア人7人、日本人6人の計13人の新入生は大勢の大人からの温かい拍手で迎えられ、背筋を伸ばした。   

>日本人の新入生の一人は「初めての1人暮らし、初めての海外生活となる。   

4年間で得られるものを吸収していきたい」と抱負を語った。   

> 設置したのは新たな学部の「学際サイエンス・デザイン専門学群」。   

>筑波大の強みとするデータサイエンスを軸に理系、文系の垣根を越える教育を提供する。   

>海外で初めて日本の学部の学位を授与する大学として筑波大の教授や准教授ら14人が専任で教壇に立ち、情報工学や生命環境学、政治学などを教える。   

>講義は日本語と英語で実施し、日本語は必修科目。   

>学費は「欧米の大学と地元国立大の中間ぐらい」(大学関係者)に設定したという。   

> 「日本留学は金銭的に大変で機会が限られていた。   

>マレーシアで日本の教育が受けられるようになる」。   

>マレーシアから日本への留学経験者グループ、東方政策元留学生同窓会のイスラミ会長はこう語り、筑波大の進出を歓迎した。   

> ▽元首相の要望   

> 日本や韓国の経済成長に学ぶルックイースト(東方)政策を推進したマハティール元首相の要望で約6年かけて実現した。   

>自身も子どもを日本に留学させており、開校後はオリエンテーションに駆け付けて学生ら一人一人と握手を交わした。   

>誘致関係者は日本の少子化を念頭に「大学も海外に活路を見いだす必要がある。   

>先に一歩踏み出した大学が有利だ」と語る。   

> 前例がなく手探りで2カ国の規制をクリアしてきたが前途は多難だ。   

>イスラム圏や東南アジアから学生を呼び込み、教育のハブを目指すマレーシアには既にイギリスやオーストラリア、中国などの海外10大学が進出し、競争は厳しい。   

>筑波大の1期生は日本人とマレーシア人だけで、定員40人には満たなかった。   

>文部科学省は大学の海外進出を支援するが、事例は極めて少ない。   

> ▽円安が痛手   

> 先行したケースの一つが東海大だ。   

1992年にアメリカ・ハワイに短大の「ハワイ東海インターナショナルカレッジ」を開設した。   

>日本人を中心に約120人が在籍し、8割以上がアメリカ内外の4年制大学に編入する。   

> 吉川直人学長は「日本の学生に進路の選択肢を増やし、アメリカの学生には日本の大学に編入してもらいたい。   

>いわばゲートウェイ(通路)の役割を果たしたいと思っている」と話す。   

>「日本もアメリカも中国も台湾も韓国も、同じ世代が同じ寮に住み、異文化コミュニケーションができる学生を育てたい」と狙いを説明した。   

> 一方で、新型コロナウイルス禍に続く円安やハワイの物価高は痛手だ。   

>「経営を考えると、学生数が足りない。  

>アジアのさまざまな国からもう少し学生を呼び込みたい」と展望を語った。   

> ▽流れつくれず   

> アジアでは存在感を高めようと他の大学も動く。   

>名古屋大はシンガポールに起業教育プログラムのための拠点を2023年に設けたほか、京都大も現地のスタートアップとの協力を模索する。   

> 間もなく世界3位の経済大国に浮上するインドでは東京大や立命館大が首都ニューデリーに事務所を置き、日本に留学生を呼び込む。   

>東大の場合、大学院を含むインド人留学生数は事務所を設置した2012年の計29人から2024年には計82人に増えた。   

>だが全体の約1.6%に過ぎず、首位の中国の3396人に遠く及ばない。   

>日本全体でもインド人留学生は伸び悩む。   

> 東大の林香里理事・副学長は「中国から10万人ほど留学しているが、インドでは流れをつくれていない。   

>中国や韓国は歴史的な共通点や地理的な距離感があるが、インドが(日本の大学について)いつか分かってくれれば流れができるだろうという姿勢では難しい。   

>てこ入れをしていこうと考えている。   

>可能な限り戦略を練って動いていきたい」と話す。   

> ただインド人学生が求める将来の就職やキャリアについては「大学だけでは解決できず、産官学が協力しなければならない」と指摘した。   

> ▽大学も変わる必要   

> 林理事・副学長は「日本の教育はこれまで閉ざされていた。   

 

日本人は島国根性、日本の国は鎖国政策ですからね。   

日本人はなれ合っている。なあなあ主義ですね。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。‘以心伝心・阿吽の呼吸’といったところか。   

 

>教育とはコミュニケーションであり、現地の言葉や文化を学び、学生と対話をしながら大学側も変わっていく姿勢が必要だ」と、双方向のやりとりが重要との考えを示した。     

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)(引用終り)  

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。、、、、、日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)     

 

> 海外にも開かれた大学となり、現地の学生たちに認知してもらうための地道な努力は続けられている。   

92829日にニューデリーで開かれた日本のアニメを紹介するイベントの一環で、東大や筑波大、東京外国語大などが大学紹介のブースを出した。   

>日本から教職員が出張し、大学のパンフレットを配布。   

>来場者の質問にも答えていた。   

> 東大国際研究推進課のジェームス・フィーガンさんは「関心を持っている人は予想以上にいた。   

>学士だけでなく、修士・博士に関する質問が多かった」と手応えを感じた様子だった。   

 

そうでしょうね。高度な職業人に対する社会の要求は強いですからね。   

 

 

 

 

 

 

 


西尾幹二氏  

2024-11-02 06:30:07 | 文化

>産経新聞   >西尾幹二氏、日本の危険に警鐘鳴らす「カナリア」誇り奪う自虐史観と戦う   >8時間・   

>「炭坑のカナリア」という言葉がある。   

>炭坑入り行列の先頭で、ガス漏れを知らせるカナリアのように、いち早く危険を知らせるものを指す。   

>冷戦期には、戦争などの危険を知らせるカナリアの役割を担うのが、文学者らだという文脈でよく使われていた。   

>故人は日本にとっての「カナリア」でなかったか。   

>警鐘を鳴らしたのは、日本という国家、あるいは民族を衰弱させ、溶かしてしまうような危険である。   

>たとえば、日本を不当に貶める自虐史観である。   

>故人が「新しい歴史教科書をつくる会」(平成9年)を立ち上げた当時、中学生向けのすべての教科書に「従軍慰安婦」が掲載され、日本軍が30万人を殺害したという「南京大虐殺」の記述が大手を振るっていた。   

 

それが世界の常識でしょうね。   

 

>こうした自虐史観が、日本人の誇りを奪うものであることは言をまたない。   

 

そうですね。わが国には自虐史観があって贖罪がない。そこに天真爛漫な国民がいる。    

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。      

 

>先の大戦は日本が悪かったという思いは、国防にも悪影響を与える。   

 

大人であって罪のない人間はいない。だから悪びれた顔をするのは異常ではない。人生経験がそうさせるのである。      

 

>歴史教科書の不当な自虐的記述は現在ではずいぶんと減った。   

>間違いなく、つくる会の活動の成果である。   

 

歴史教科書に贖罪的記述はない。わが国には贖罪のための宗教もない。天真爛漫として曇りのない大人の人間を誰が信用するであろうか。いまさら子供ではあるまいし。      

 

>安易な「移民」の受け入れにも反対だった。   

80年代、労働力不足解消という目的を隠し、「日本の労働市場を開放し、発展途上国の民生と経済に役立たせる」というヒューマニズムで語られていた移民問題に、いち早く反対の声を上げた。   

 

日本人にはあるべき姿の内容がない。有るのは、口実・言い訳ばかりである。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)  

無哲学・能天気では、相手の信頼は得られない。信無くば立たず。   

 

>情報収集に熱心で、さまざまな識者を招いての勉強会も病を得るまで続けた。   

>そんな姿勢が「カナリア」のような鋭敏さの秘訣だったかもしれない。   

>なお、名誉のため、付け加えておきたい。   

>「カナリア」のようなか弱さとは無縁で、エネルギッシュな人だった。   

>(大阪正論室参与 小島新一)   

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には加害者意識がない。罪の意識もない。だから反省の色もない。勉強する余地もない。   

在るのは被害者意識ばかりである。だから実に恨めしい社会である。化け物も ‘恨めしや―’ と言って出て来る。これが日本の文化伝統である。      

自己の過ちに対する非難には、横並びの比較を利用して対抗する。罪のない人間はいない。だから、どっちもどっちだということになって沙汰止みになる。それで安心をする。進歩がない。   

我々には哲学が必要である。 (Everyone needs a philosophy.)  あるべき姿の内容を示すことが必要である。縦並びの比較をする必要がある。建設的な提案が必要である。我々には進歩が必要である。   

 

 

 

 

 


頭が良い人  

2024-11-02 04:49:12 | 文化

>東洋経済オンライン   >和田秀樹「学歴ではない本当に頭がよい人の特徴」日本人は頭のよさを固定的なものだと思っている   >和田秀樹の意見・   >1日・   

>高齢者専門の精神科医である和田秀樹さんは著書『脳と心が一瞬で整うシンプル習慣 60歳から頭はどんどんよくなる!』で、いくつになっても脳の働きを活性化させ、賢くなり続けられるのだと語っています。   

>一生、最高の自分を更新し続けたい人に役立つ同書から一部抜粋・再構成してお届けします。   

>いつまでも学歴を振りかざす人は、決して賢く見えない   

>これは日本人の悪い癖だなと感じるのですが、頭のよさを固定的なものだと思いこんでいる方が多くいます。   

>ですから何かというと皆さん、相手の肩書や学歴を知りたがるでしょう。   

>けれど、たとえば有名大学を出ていることで人を評価するのは、相手が過去に受験勉強を得意としていたかどうかだけで、その人を評価してしまっていることになります。   

 

そうですね。   

 

>私は東京大学出身ということで、60代に入った今でも「すごいですね」と称賛されることがあります。   

>確かに18歳当時の私は、受験勉強においてはそれなりに結果を出すことができたと言えるでしょう。   

>しかしながら、未だにそれによって「頭がよい」と判断されることには、少々げんなりしてしまうのです。   

>私が東大に合格したのは40年近く前のことですから、「それではこの40年間、私は成長していなかったということですか?」と相手に尋ねたくなってしまいます。   

>相手が過去に獲得した役職や学歴などによって、その人を勝ち組だと思い込むということは、その肩書を手にした時が、その人の人生のピークだと判断しているということになります。   

>それはちょっとおかしな話ですよね。   

>あるいは60歳を過ぎても、「俺は東大を出たんだ」と威張っている人がいたとしたら、私なら「あなたはいつまで過去の栄光を引きずっているのですか?」という気持ちになってしまいますし、その人に対して、決して「賢い人」という印象を持つことは私はありません。

 

そうですね。世界には東大以外にも優秀な大学が多くありますからね。   

 

>人の知性とは、かつてどのような権威を手にできたかということではなく、一生、進歩し続けられるかどうか、いうところにこそあるのです。   

 

そうですね。   

 

>私は、本当に頭がよい人というのは「ずっと進化し続けられる人」だと思います。   

>昨日より今日、今日より明日、と自分をアップデートし続けられる人は、移ろう時代のなかでも、しなやかに、そして人生に満足しながら生きていくことができるでしょう。   

>それこそが真の賢さだと思うのです。   

>前頭葉を活性化させれば、頭も体も若くいられる   

>年齢を重ねるほど体も脳も衰えていくものだという考え方が一般的でしょう。   

>だからこそ、この年齢からでも頭がよくなるということに、疑わしい思いを持つ方も多いかもしれません。   

>もちろん、体や脳の機能が加齢とともに衰えていくことは事実です。   

>けれど、高齢になっても体を鍛えれば筋力や体力がつくのと同じで、脳も鍛えることで、どんどん賢い人になることができるのです。   

>ここで着目したいのが、脳の「前頭葉」と呼ばれる領域です。   

>前頭葉は、人間の感情をコントロールするとともに、自発性、意欲、クリエイティビティなどの分野を司る部位です。   

>言語理解などを司る側頭葉や、計算理解などを司る頭頂葉といった部位の機能が、高齢になっても比較的衰えにくいのに比べ、前頭葉は、早い人では40代から縮んでしまうことがわかっています。   

>つまり医学的に見て、多くの場合、人の脳は前頭葉から老化していくということです。   

>前頭葉は感情や意欲、創造性を担う部分ですから、このエリアの働きが悪くなると、感情のコントロールができなくなったり、感性が乏しくなったり、あるいは意欲や積極性が低下してしまったりということが起こります。   

>公共の場で怒りを噴出させている高齢の方は、前頭葉の機能が衰退してしまっている状態だと考えられます。   

>このような感情部分の衰えを皮切りに、やがて脳のほかの機能や体、そして見た目も老いていってしまうのです。   

>脳も「どの部位を鍛えたいか」を意識する   

>反対に言えば、前頭葉を活性化させ、鍛えることで、人は若々しく、賢くいられるということです。   

>それは体や見た目の老化の停止にもつながっていきます。   

>たとえばお腹まわりをスッキリさせたいと思ったら、腹筋運動を頑張るのが効果的ですよね。   

>それと同じく、脳も「どの部位を鍛えたいか」を意識し、それに合った行動をとることが大切なのです。   

>もちろん、読書をしたり、計算ドリルをしたりするのもよい習慣だと思います。   

>ただ、「前頭葉を鍛える」ということに関しては、これらの行動は残念ながらあまり効果を発揮しません。   

>感情面を司る前頭葉の若さを保つためには、わくわくしながら前向きに生き、脳によい刺激を与えることが大切です。   

>後ろ向きな思考をしていては、前頭葉は萎縮し、老化へと一直線でひた走っていくことになってしまいます。   

>「人生、意外となんとかなる」と開き直って明るく生きてこそ、脳も生き生きと働き出すのです。   

 

そうですね。   

 

>そして、常識や前例にとらわれず、新しいことに挑戦し続けることで、前頭葉はどんどん活発に働くようになります。   

>だからこそ、毎日を実験するようなつもりで、「まだ知らなかった自分に出会う」ということを大切にしていただきたいと思います。   

>私は特に60歳以上の方に関して、この前頭葉を活性化させることは、非常に重要なポイントになると思っています。   

>前頭葉の若さを保つことは、頭や体のさまざまな機能の維持につながるのに加え、前頭葉の働きをよくするために効果的な思考や行動は、そのまま、老後の幸せな人生を送ることに直結するからです。   

>前頭葉を鍛えて、頭のよさと楽しい毎日、どちらも手に入れてみませんか?   

>60歳以上の人にこそ、頭がよくなる伸びしろがある   

>私は、60代から人生を向上させていくことは十分に可能ですし、むしろ、60代以降の方こそ、みるみる頭がよくなっていくポテンシャルを秘めていると思っています。   

>まず、常識に縛られたり、誰かの指示に従ったりする必要がなくなるというのは、シニア世代の大きな強みです。   

>会社で働いていたりすれば、不本意ながら上からの指令に従わなくてはいけなかったり、自分の気持ちを抑圧して周囲に合わせなければならなかったりといったことも多かったことでしょう。   

>前頭葉の栄養になるのは、創造性やクリエイティブな発想力であるにも関わらず、そのような状況下ではそれらは活性化されず、衰えていくばかりです。   

>「言われたことをそのままこなす」「前例にそのまま倣う」ような生き方では、前頭葉は稼働しないため、どんどん働きが鈍くなっていってしまうのです。   

>そういった生き方から解き放たれ、自由な感性を持つことを許されるというのは、シニア世代になることの醍醐味だと思うのです。   

>我慢とストレスは脳にとって害悪以外の何物でもありません。   

>せっかく「常識や制約にとらわれない自由」を持てるようになったのですから、胸を張って我が道を歩みましょう。   

 

そうですね。   

 

>それが前頭葉にとっての良薬になります。   

>そして、現役時代に比べて自由な時間が増えるのもまた、年齢を重ねることのメリットです。   

>私はよく、「自分が天才になれるものを探すことが大切だ」と言っています。   

 

そうですね。   

 

>たとえば親御さんが私のところに小さなお子さんを連れてきて、「この子を天才にしたいんです」と言ってきたとき、私は「では100個くらい、習い事をさせてみたらどうですか」と答えています。   

100個習い事をさせてみれば、一つくらいは何かしら突出した才能を見せる可能性があるからです。   

>ピアノもスイミングも習字も苦手だった、でもダンスは異様に上手にできたとか、そういったことが起こり得るということです。   

>イチロー選手にしても大谷翔平選手にしても、野球に出会わなかったら、スポーツの得意なお兄さんとして人生を送っていたかもしれません。   

>とにかく、自分がずば抜けた能力を発揮できるものに出会うということが大切なのです。   

 

そうですね。   

 

>もちろん、100個習い事をしても、全部芳しい結果に終わらなかったということもあるでしょう。   

>けれど、なにも試さないでいるよりは、天才になる確率ははるかに上がるはずです。   

>『101回目のプロポーズ』ではないですが、100個やってみて駄目だったら、101個目にまた挑戦すればよいのです。   

>自由な時間ができるということは、そのように、次々と新しいことに挑戦する余地があるということです。   

 

そうですね。   

 

>ですから本書で紹介する頭をよくするためのメソッドにも、臆せずどんどんトライして、ご自分に合うものを探してみてください。   

>聡明な人は、長いスパンで物事を見る   

60歳以上の方の強みは、なんといっても、豊かな経験知(経験したことによって培われた知識)を持っているということです。   

60年以上も生きていれば、これまでに多くのことを経験し、学びを得てきたことでしょう。   

>何かについて語りたいとき、自分自身の経験と照らし合わせたり、あるいは織り交ぜたりしながら話ができるというのは、シニア世代の方の武器であると言えます。   

>そこには強い説得力が生まれます。   

>長く生きてきたからこそ浮かぶ発想があり、言える言葉があります。   

>そのことに自信を持ってください。   

 

そうですね。   

 

>年齢を重ねた方の頭のよさというのは、「連続性」にあると思います。   

>これまでの豊かな経験を生かして、今起きている出来事と結び付けて考えることができる。   

>要は、長い流れの中で物事を見つめることができるということです。   

>これは英語学者で哲学者の渡部昇一さんに聞いた話なのですが、かつて円高で不況になり、日本中がその状況を悲観していたとき、昭和天皇は「円が高くて何が悪いのか」と仰ったと言います。   

>昭和天皇は、戦前、1ドルが2円だった時代を知っておられたわけです。   

>だからこそ、円の価値が高くなったということは国力が強まったことにほかならないということを理解されていたのです。   

>そのような発想は、長い歴史の中で生きておられたからこそ思い浮かぶものだと思います。   

>長く生きるほど、長いスパンで物事を見ることができるようになります。   

>目の前の出来事に翻弄され、一喜一憂するのではなく、もっと広い視点で物事と向き合うことができる。   

>その姿勢はそのまま、人としての成熟さや賢さに結び付くでしょう。   

 

そうですね。