>自分の胸に手を当てて考えて見ると、どこかで国が助けてくれる、組織が助けてくれるそんな甘えに依存してしまうことがある。
そうですね。日本人には意思が無い。だから、問題解決の方法もない。無為無策でいるので、他力本願・神頼みになりますか。依存心が強い。
>ただ、その状況があると思っていたら変れない、思考停止したまま。
そうですね。思考停止の状態でいますね。
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>日本人は依存心が強く、生殺与奪の権限を持つ「上の人」が、何もかも「上げ膳・据え膳」で施してくれるものだと思っている。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。日本人は、’上とみるか・下とみるか’ の判断を的確にしないと会話ができません。そして、その想いが序列人間を作ります。その上、意思が無いのですから受動的な人間になりますね。
>だから、「上の人」に従順でさえあれば、あとは「上の人」が何でもやってくれると思っている。
日本人から意思の表明を要求されることはありません。他の者が、忖度 (推察) を使って助けてくれます。ラクチンです。なんとなく、赤ん坊に似たところがあります。
>大多数の凡庸な日本人にとって、「上の人」とは、自身の能力の割にラクで安定したリスクの少ない仕事を与えてくれて、そのワリに能力以上の生活費を支給してくれて、モラルに関する問題さえ起こさなければ、長幼の序に従って年々高い立場と高給を処遇してくれるものだと思っている。>そして、それでも足りない生活費は補助金として賄い、振舞ってくれる。
そうかもしれませんね。一族郎党の助け合いですか。
>社会インフラが足りなければ、いずれ整えてくれるものだと思っている。
他力本願・神頼みですね。’そのうち何とかなるだろう’ ということでしょうか。
>だから、何かを決める時は「上の人」のご意向が起点になり、「上の人」のご意向が無ければ思考停止になる。
上の人のご意向を下々は忖度 (推察) して受けています。
>まるで「上の人」は、神様だ。
序列制度の最上端は神様ですね。現実の世界に住む現人神のようなものに成りますね。
>誰も神様であるとは口にしないが、「上の人」に対してやっている事は神様扱いだ。
日本人の礼儀作法は、序列作法になっていますね。人を見損なってはいけない。序列判断は、日本人の強迫観念にまで高められています。
>だから、「上の人」を盲目的に祭り上げるし、自身の世間に降臨して仕事を共にすることを「天下り」とまで言う。
落下傘部隊の隊員のようなものですね。真価が判明すれば、価値が下がるかもしれません。
>そんな神様が人間臭い行為、特に「人間臭いあやまち」をするのは、神様だと思っているだけに許せない。
頭の中にいる神様ではない。頭の外にいる神様だから、人間臭い。
>日本人にとって、性は「秘め事」であり、不浄な行為であるから、神聖たるべき「上の人」の「性のあやまち」に厳しくなるのは自然なことだ。
畜産業の伝統は我が国の隅々まで行き渡っていませんね。
>私は、こういう矛盾と欺瞞に満ちた日本社会の「お上意識」と「依存心」が大嫌いだ。
上下社会の神頼みですね。世界が小さい。ユニバーサルでもなければ、グローバルでもない。
>そして、カリスマ的リーダーを求める世間の風潮も大嫌いだ。要は、依存心の裏返しである。
日本人には意思が無いので、どうしてもカリスマ的リーダーが欲しい。マッカーサがそれですか。
>自らは主体的に何もしないで指示を待つだけ。
能動的な態度は、難しいですね。もっぱら受け身。待ちの政治ですか。
>下手に本音や立場を表明すると損をする。
本音は恣意で、どんな社会でも受け入れられませんね。立場は党派的で、よそ者・非国民を作ります。
>黙って、オイシイ所だけイタダク事だけを願っている。
処世術ですね。今だけ、金だけ、自分だけですかね。
>「お上」に「強いリーダーシップ」を期待する人々は、自身が思考停止した無能者であることを意思表示するに等しい。
お上にも意思はありません。ですから、先導者にはなれません。
日本人自身は、思考を停止しています。日本語では、自分の考えの内容を時制 (tense) ある文章内容として表現できません。それは、日本語文法に時制というものが無いからです。
>日本には無能者が満ち溢れている。
日本人は、目先・手先を使って、頭を使いません。今、我が国は人手不足に陥っています。ですが、頭脳不足の話は聞いたことがありません。きっと、頭を遊ばせているのでしょうね。
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