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思想 1/2

2020-03-08 12:09:08 | 社会

> 『きけわだつみのこえと近代の超克』
>きけわだつみの声の手記を書いた若年インテリ層が愚かな戦に中での避けがたい死に、何とかして意味を与えようとした時に、より所とせざるをえなかったのは、『大東亜戦争』を賛美し神聖化した日本浪漫派と京都学派である。

それは本当に気の毒なことでしたね。

> 国粋主義者や官立大学の御用学者や翼賛的なジャーナリズムが2・26事件以来のファシズム『新体制』を正当化し、中国侵略戦争と太平洋戦争に理論的支持与えたのは明確であるが、戦場に追い立てられた『きけわわだつみのこえ』の知的な若者層にとって一番深い影響を与えたのは日本浪漫派と京都学派であった。 

それは残念なことでしたね。

> 日本浪漫派は読者の情念に訴え、『近代の超克』『悲願』『慟哭』『憧憬』『勤皇の心』『悠久のロマンチシズム』『民族という血で書かれた歴史の原始に遡る概念』などの小難しい言い回しで何の変哲もない言葉を有難そうにする安直な仕掛け以外には無い。

そうですね。日本人は無思想であり、かつ気分・雰囲気に酔いしれるのですね。玉砕する前に辞世の句を詠むようなものか。

>この日本浪漫派方言のペテンに引っかかった側にも大いに責任があろう。

ペテンには、わが国の文化・伝統に大いに関係していますからね。そうやすやすとは否定できませんね。

> 西田幾太郎の『絶対矛盾の自己同一』で有名な京都学派は外来の論理の何にでも適用出来る便利さを積極的に利用してたちまち『世界史の哲学』『近代の超克』でっち上げたが、これこそ日本の知識人に多かれ少なかれ伴われていた『思想の外来性』を極端に戯画化してみせているものは無い。

あくまでも思想は日本人にとって外来性ですからね。日本人に内在するものは無哲学・能天気 (反思想) でしょう。

>ここでは生活や経験、伝統と完全に遊離した外来思想の持つ特徴が、議論が具体的な現実に触れる時の徹底的に荒唐無稽な出鱈目ぶりと、それとは対照的な論理そのもののもっともらしさに、まったく鮮やかに現れている。 > 体制と権力が議会制民主主義を組織的に破壊していく過程のなかで、『近代の超克』を標榜して日本浪漫派は自由民権以前の世界へ戻ることを夢み、京都学派は西洋で『行き詰まった』議会制民主主義の先に出ることを夢み、つまるところ両者はファシズム権力の正当化に手を貸したのである。

そうですね。

> 本当の思想は体験や生活意識から出発するが、日本浪漫派も京都学派の両者とも外来の先進思想は頭の中だけで『建前』に過ぎなく(生活に浸透していない)て、二つが乖離して対立した場合には必然的に生活意識(その個人が属する小集団の家族的意識)が優先した。

わが国は、建前 (言い訳・口実) と本音 (恣意) の国ですからね。この両者で処世術を成り立たせています。

> 何故なら『思想』の生み出す価値観は、実生活上の便宜、習慣、感情(意識)に由来するので、つまるところ『超越しない。』 >これらの日本人の個人の『意識』は、『思想』を超越しないし、そもそも超越出来ない。 >何故なら日本では(古事記の昔から近代まで)初めから超越的なものは存在していなかった。

そうですね。現実から超越すれば哲学にはならずして、わが国においては空想か妄想になる。日本語には、非現実 (考え) の内容を搭載する構文 (時制のある文章) が存在しないからである。
見ることのできる内容は、’本当’ のことである。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。非現実 (考え) の内容は頭の中にあって見ることができない。だから、これは真実ではない。’嘘’ そのものである。
誰も ’見て来たような嘘を吐く人間’ にはなりたくない。だから、自己の非現実 (考え) の内容を口に出して言わない。これが則ち日本人の思考停止の状態である。これが無哲学・能天気の人間を作り出す機序 (mechanism) である。
現実の内容には正解が一つある。非現実 (考え) の内容には正解が多数ある。矛盾を含まない文章は全て正しい考えを示している。考えの内容は人様々であるから人間には個性が表れる。没個性は要注意である。個人主義が大切である。

> 美的価値観も、『思想』の生み出す価値観も、(否価値観ばかりでなく)科学的真理さえも、普遍的な超越的価値感・真理概念を、日本のいわゆる近代は、生んでいなかった。

そうですね。 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)

>したがってこれらの(身についていない)『思想』は、時と場合によっては捨て去るのに未練を無いものだったということである。

そうですね。無哲学・能天気の人間には、思想など身に付くはずもないでしょう。

(略)
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