(略)
>三種の神器と呼ばれた冷蔵庫・洗濯機・テレビに代表されるようなソリューションは、グローバリゼーションと相まって世界中に広まっていきます。 >これが高度経済成長の原動力になり、日本の勝ちパターンを作りあげてきました。>ところが今はどうでしょう。>世界的に一定の生活水準が満たされ、役立つものが世界中であふれかえっている現代は、「役に立つ」に強みを置いていたメイド・イン・ジャパンは著しく価値を下げています。
中国は、世界の工場になりましたね。わが国は下がった。
>一方、「意味がある」というのは、その人の人生にとって意味があるということです。>ここでは必ずしも役に立つものである必要はありません。>ソリューションがあふれる現代においては、むしろ意味そのものを作り出す力の価値が高まっています。
そうですね。意味の価値が高まっていますね。個人の体験に価値を見出していますね。
>「役に立つ」の日本車、「意味がある」のランボルギーニ
‘役に立つ’ (usefulness) 手段は、追われている生活から逃れるために必要なものですね。’意味がある’ (meaningfulness) 手段は、自分の人生を満足するために必要なものでね。’衣食足りて礼節を知る’ といった順序のようなものか。
>一方、ベンツやBMW、アウディなどのドイツ車は、役に立つものでありながら、同時に意味も兼ね備えています。機能では日本車も負けていませんから、あえて価格の高いドイツ車を選んでいる人たちは、何かしらの意味をそこに置いているはずです。
そうですね。
>「役に立つ」と「意味がある」の違いを理解するために、自動車産業を当てはめてみましょう。>日本車が目指してきたのは、明らかに「役に立つ」領域です。>移動するために十分な機能を備え、燃費も優れている。>ところが、「意味があるか」と問われると、首をかしげざるを得ません。
その意味は、個人によって違いますね。
>そのため、どうしても価格競争になりがちです。
そうですね。没個性の価格競争は、万人が便利さを手に入れるための手段として役立ちますからね。
>「意味がある」を極端に追求したものは、フェラーリやランボルギーニに代表される高級車でしょう。
そうですね。それも ’極端に’ ですね。
>「役に立つ」の面から考えると、積載量も小さく燃費も悪いですから、一般的な日本車より劣っています。>500馬力の加速があったところで、公道でそんなスピードを出すことはできませんから、いわば “役に立たない”車なのです。
要は気分・雰囲気の違いの問題ですね。これは、夢と希望になる内容ですね。
>ところが、日本車、ドイツ車、高級車の価格を並べてみると、圧倒的に安いのは日本車であり、多くは100万円から300万円の間に収まります。ドイツ車は500万円から1000万円程度。そしてランボルギーニは3000万円を超えるレベルです。こうした事実を考えると、やはり「意味がある」ことに現代の人は高い価値を置いていることが分かるのではないでしょうか。
そうでしょうね。しかし、個人的に体験できることも大切ですね。高嶺の花の話だけでは意味がありません。絵葉書ばかりを眺めていて、世界旅行をしないようなものです。
>今後、カーシェアリングや自動運転などが安価で利用できるようになると、日本車や、ルノー、フィアットのような大衆車メーカーは淘汰される可能性が高いと考えています。
それは、必然の傾向ですね。’今すぐ’ ということではないでしょう。
>その一方でドイツ車や高級車は一定の愛好家によって市場に残るでしょう。
そういう個人的な傾向は、強められますね。でも、世界には生活に追われる人もまだまだ多く残っていますからね。生活苦は、個人的な傾向とは考えられませんね。
>自動車産業のこうした先行きは、投資家からの評価からも見えてきます。>PBR(株価純資産倍率)という指標をご存じでしょうか。
Price Book – Value Ratio (PBR) のことですね。
>PBRは1株あたり純資産の何倍の値段がつけられているかを示す投資尺度であり、ある意味で会社への期待度を示すものです。
>このPBRが、トヨタは約1.0であり、日産に至っては0.7を下回っています。これは、「日本の自動車メーカーは未来に期待されていない」という実態の現れなのです。
そういうことになりますね。これは、未来と個人的な人気に関する事柄ですね。’我々は、どこに向かうか’ の命題に関する答えでしょう。人さまざまですからね。個人の主張とその実現に向かって世界は進むことでしょう。ご唱和の世界よ、さようなら。
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