>ニューズウィーク日本版 >「移民大国」日本で我々は「なれ合い」つつ滅びるのか...ユニクロ柳井氏の発言から考える >外国人リレーコラム Tokyo Eye 石野シャハラン (異文化コミュニケーション アドバイザー) によるストーリー・ >4時間・
><中国やイランの海外移民と違い、日本人は外国では助け合わず、国内で仲間うちだけで「なれ合う」...これで我々は生き残れるのか?とイラン出身の石野シャハラン氏は問い掛ける>
>ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長がテレビのインタビューで「このままでは日本人は滅びる」と日本の将来に危機感をあらわにし、後日の記者会見でも「日本人同士のなれ合いみたいなことは廃止すべき」と警鐘を鳴らした話は、多くの方もご存じだろう。
そうですね。知っていますね。
>最初、私はこの「なれ合い」発言に少々反発を覚えた。
>私の祖国イランの国民は、毎年多くが国外へ移住している。
>2020年には、全人口に占める国外移住者が2.2%に膨らんだ。
>移住先の多くは欧米で、それぞれが近くに住み、頻繁に行き来をして助け合っている。
>私には日本に住む中国人の友人も多いが、やはりコミュニティーの団結は強い。
>新参の家族へのサポートはもちろん、母親が日本国外に単身赴任した家族には、近所の同胞たちが毎日夕飯のおかずを持って行き、朝早く家を訪れ登校前の娘の髪を結んでやるなど、温かくサポートしている。
>それに比べて海外在住の日本人は、あまり日本人同士でベッタリすることを好まない人が多い。
>付き合いはあっても、一定のライン以上は踏み込まないことを礼儀とするようだ。
>だからこそ日本人は現地になじみやすく、評判も悪くないであろうが、冷たいとも思える。
>アメリカの大学を卒業して現地でバリバリ働く友人の日本人男性は「英語の会議や入札がよく理解できないから、日本人のよしみで教えてくれ」と言ってくる人は大嫌いだといつも怒っている。
>彼のいら立ちも分からないではないが、これがイラン人や中国人だったら喜んで同胞の力になるだろう。
>日本は少子化で国内市場も小さくなり、企業は必然的に海外に出ていかなければならない。
>独立独歩の姿勢も素晴らしいが、外資企業や国外で成功するため、そして翻って日本社会が繁栄するためにも、日本人同士の助け合い、融通し合い、お互い様精神は必須だ。
>だが、柳井氏の「日本人のなれ合い」は私も大いに感じるところがある。
>日本は行政でさえも日本人しか相手にしていない。
>私はインバウンドの旅行社の仕事も手がけているが、残念ながら外国人が無許可でインバウンド客相手の旅行業務に携わっている例が多く見られる。
>つまり行政によって監督されず、集客や手配に関する法律やルールは無視してやりたい放題なのである。
>白タクや白バスも同様で、運転者の最低賃金や労働時間制限も守らず、極端に安い料金で集客するため、外国の旅行エージェントは無許可の旅行社や白タク白バスを選ぶ。
>日本人はインバウンドのおかげで経済的に潤っていると思っているだろうが、その少なくない利益が不法に外国人にかすめ取られていることを知ったほうがいいだろう。
>この事態は一見、日本人だけを厳しく律しているようでいて、ルールが通じやすい仲間うちだけで社会を回そうとする「なれ合い精神」の発露といえないだろうか。
そうですね。「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
>イラン人も中国人も、移民コミュニティーをつくりつつもその国の法律を守って仕事と生活をしている。
>日本に住む外国人もそのほとんどがキチンと法を守り生活している市民だ。
>だがところどころ法を逸脱している部分も見受けられる。
>日本に住む外国人も実際の法律適用の枠組みに入れて日本人と同様に監督・指導していかないと、外国人とは一緒に仕事ができないのだ。
そうですね。
>日本は、近年の統計で永住型移民の年間受け入れ数では先進国中10位、一時滞在型移民では6位、労働移民の年間受け入れ数では5位だ。
>実質的には移民受け入れ大国なのだから、外国人にも主張すべきところは主張し、法を守らせて共存しなければならない。
そうですね。
>それが柳井氏の言う、「なれ合い」を廃することの真意であるように思う。
>石野シャハラン
>SHAHRAN ISHINO
>1980年イラン・テヘラン生まれ。
>2002年に留学のため来日。
>2015年日本国籍取得。
>異文化コミュニケーションアドバイザー。
>YouTube:「イラン出身シャハランの『言いたい放題』」
>Twitter:@IshinoShahran
日本テレビの単独インタビューで「このままでは日本人は滅びる」と日本の将来に危機感をあらわにしていた、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長。[2024年 10月] 10日の会見でも「日本人同士のなれ合いみたいなことは廃止すべき」と改めて警鐘を鳴らしました。
日本人は‘なあなあ主義’ で話をする。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。 ‘以心伝心・阿吽の呼吸’といったところか。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」
TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。
孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。
、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。、、、、、日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)
日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)
宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。
宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)
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