>読売新聞 >ノーベル平和賞の瞬間に立ち会った被爆4世の女子高校生、オスロで同世代に語る…「継承の意思表明」 >読売新聞によるストーリー・ >2時間・
> 【オスロ=小松大騎、美根京子】ノーベル平和賞の授賞式が行われるノルウェー・オスロには、高校生平和大使4人も派遣されている。
>被爆4世の女子高校生は、曽祖父母が残した手記を繰り返し読み、原稿にまとめた。「『被爆者なき時代』はすぐそこ。
>若い世代が被爆者の思いを継承しないといけない」。
>9日朝(日本時間9日夕)、現地の高校で行う出前授業で、同世代に呼びかける。
> 4人は、「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」の代表団より一足早い8日午前(日本時間8日夜)、オスロに到着した。
>飛行機の中でも出前授業の原稿の 推敲(すいこう) を重ねたという4人。
>空港の到着口で、現地の活動をサポートする平和大使のOBと合流すると、ホッとした表情を見せた。
> メンバーの一人で、曽祖父母2人が被爆した広島市立基町高2年の甲斐なつきさん(17)は2人の手記と遺影を持参した。
>「2人の思いや経験を現地のたくさんの人に伝えたい」と意気込みを語った。
> 〈頭を「ぐわん」と殴られたようなすごい音響と共に身体は爆風に吹き飛ばされた〉。
>長崎で被爆した父方の曽祖母、内藤和子さん(1994年に63歳で死去)は命は助かったものの、両親と弟2人を失った。
>〈たった一機の敵機が落とした原子爆弾一発の為長崎の町も人も皆無惨に、地獄の中で死んで行きました〉
> 曽祖父の渡辺新一郎さん(2002年に89歳で死去)は、陸軍隊員として原爆投下翌日に救護のために広島に入って被爆した。
>〈悲惨な状態は言語に絶する(中略)人間が造った核兵器によるもので許すことはできない〉。
>手記には憤りが満ちていた。
「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領)
> 2022年2月、ロシアによるウクライナ侵略が始まった。
>リアルタイムに飛び込んでくる現地の映像。
>「モノクロだった原爆の世界が一気に現実味を帯びた」。
>平和のために何かしたいと、高校に入学してすぐ、平和大使に参加した。
>街頭で署名を呼びかけ、今年8月にはスイス・ジュネーブの国連欧州本部に9万6000人分の署名を届けた。
> 「核廃絶なんてできるわけない」「きれいごとだ」……。
>心ない批判を浴び、落ち込むこともある。
>それでも、「被爆者の代わりに若い世代が行動しなければ、平和な世界は保たれない」と気持ちを奮い立たせる。
> 平和賞受賞が決まった10月11日夜、広島市役所であった代表委員の 箕牧(みまき) 智之さん(82)の記者会見に同席した。
>「世界が注目する被爆者が隣にいて、写真や映像が繰り返し報道された。
>社会とのつながりを実感して、身が引き締まった」。
>オスロへの派遣が決まり、曽祖父母の手記を何度も読み返した。
>生まれる前に亡くなった2人の人柄を祖父母から聞き、原稿をまとめた。
> 被爆者の平均年齢は85歳を超えた。
>ノーベル賞委員会は授賞理由の中で、〈日本の新たな世代が被爆者の経験と思いを語り継いでいる〉と言及した。
> 甲斐さんは「体験がなくても、批判を受けても、若者がオスロで証言する姿を示すことが『継承』への意思表明になる。
>被爆者や国際社会の期待に応える活動を続けたい」と誓う。
> ◆高校生平和大使= インドなどの核実験を受け、1998年に長崎の市民団体が国連に高校生2人を派遣して核兵器の廃絶を訴えたのが始まり。
>これまでに全国公募で450人以上が選ばれた。
>各地で集めた核廃絶を願う署名を毎年国連に届けており、累計で約270万筆に上る。
>「お前ならできる」長崎の祖父激励
> 長崎県立長崎東高2年の津田凜さん(16)は被爆3世だ。
>3歳だった祖父の岩崎強さん(82)は、長崎市内の自宅近くの川で遊んでいる時に被爆した。
>祖父は津田さんの幼い頃から入退院を繰り返し、今も胃や肝臓などにがんを併発している。
>ノーベル平和賞授賞式出席の日本被団協の代表団がノルウェー・オスロに到着 「平和が一番。一生懸命、緊張して予定をこなす」
> 病気がちな体をおして、津田さんの幼い頃から共働きの両親に代わって、おむつを替え、保育園の迎えをしてくれた「大好きなじいじ」。
>姿を近くで見るうち、「79年たった今も被害が続く、核兵器の恐ろしさを広く伝えなければならない」との思いが強まった。
> 今年6月に平和大使になると、祖父は「お前ならできるけん」と励ましてくれた。
>しかし、原爆の話を聞くと、「あんま覚えてないけんなあ」と切なそうに語る。
>そんな祖父の代わりにも頑張らなければとの思いに駆られている。
> 授賞理由を聞き、「平和賞はゴールではなく、被爆者たちの活動をどう受け継いでいくかのスタート」と責任感が湧いた。
>出前授業では祖父を思い、受賞の喜びの裏にあるたくさんの苦労を伝えたい。
>「自分たちが平和な世界をつくっていかなければならない」。
>その一歩としたい。
>(広島総局 中安瞳)
原爆慰霊碑の碑文には 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」ということばが刻まれています。過ちとは何か。それを繰り返さない保証はどうしたら得られるか。 それは誰しもが知りたいところである。
日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。だから、わが国からは過ちの責任者はついに出て来なかった。
連合国は7名の日本人を戦犯として死刑に処した。だが日本国自身はついに戦犯を捕らえることが出来なかった。この能力の差は何処から出て来るのか。
日本人には意思が無いので、意思決定の責任者を名指しできない。だから、兎角この世は無責任の状態となっている。
このような、個人の行為の分析不足で日本人は本当の過ち (戦争) を防ぐことができるのであろうか。日本人には意思がない。だから、被害者意識はあっても、加害者意識 (罪の意識) というものがない。
その為、わが国は ‘被害者だらけの国’・ ‘犠牲者だらけの国’ になっている。加害があって、被害がある。これは道理である。だがわが国ではこの道理が通用しない。戦争犠牲者の大勢いる中で加害者が全くいないのはどうした訳か。
何が過ちなのか分からない。その責任者もわからない。この様な状態の中で、’過ちは繰り返しませぬから’ と誓うことができるのはどうした訳か。それは‘うわ言’か。単なる歌詠みに過ぎないのか。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
民、信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]
日本テレビの単独インタビューで「このままでは日本人は滅びる」と日本の将来に危機感をあらわにしていた、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長。[2024年 10月] 10日の会見でも「日本人同士のなれ合いみたいなことは廃止すべき」と改めて警鐘を鳴らしました。
日本人は‘なあなあ主義’ で話をする。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。 ‘以心伝心・阿吽の呼吸’といったところか。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」
日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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