>人間には「バカの壁」がある、と指摘したのは、養老孟司氏だ。>あいつは俺より分かっていない、俺の方がずっと物事を深く考えている、と思うと、相手の知力や能力をバカにしたくなる。
そうですね。日本語には階称 (言葉遣い) というものがあって、序列 (順位) の判断なしでは過ごせませんからね。何しろわが国は序列社会ですから、天下の秀才が沢山います。
>すると、相手のやることなすこと話すこと、全部愚かしいものに見えて、聞くに値しないとみなしてしまい、相手から学ばなくなってしまう、という症状を表す言葉だ。
そうですね。日本人には、何事にも序列 (順位) の判断が先行しますね。
>こうした「バカの壁」は、社会のいたるところに発生している。
‘上とみるか・下とみるか’ の判定にこだわる序列の社会においては、バカの壁は国中のいたるところに発生していますね。
>もちろん、ビジネスの世界でも。>そして、「バカの壁」ができると、ビジネスでは致命的だ。>なにせ、人の話を聞かなくなってしまうわけだから。
なにしろ日本人の話は曖昧ですから、聞き手は忖度 (推察) を活用することが多いですね。忖度は、聞き手の勝手な解釈ですから、話し手には何の責任もありません。それで、対話は成り立ちません。とかく、この世は無責任。
>自分がバカにした人の意見は、たまによい意見だと思っても「たまたまだ」「誰かに入れ知恵されたんだろう」などと、バカにする理由を探すばかりで、まともに聞こうとしなくなる。
そうですね。思考停止と受け売りの多い社会になっていますね。
>けれど、これは大変もったいないことのように思う。>どんな人の、どんな言葉にも、新しいアイデアのヒントが秘められているかもしれないからだ
そうですね。新しいアイディアのヒントは、考える人のものですからね。思考停止では、どうにもなりませんね。日本語は、写生画 (現実) のための言語ですからね。考え (非現実) を文章にすることが難しい。
>○ 人気を集めたソクラテスの姿勢
>ソクラテスは、そういう意味では、歴史上に卓抜した存在のように思える。>この人には「バカの壁」が一切なかったように思われるからだ。
考える人には、バカな壁は不要ですね。
(略)
>その中に「メノン」というものがあり、なかなか興味深いシーンが描かれている。>数学の素養のないソクラテスが、これまた数学の知識がない人間に質問を重ねるうちに、それまで誰も発見したことがなかった図形の定理を見つけ出した、というエピソードだ。
それは、ハッピーな生活ですね。
>果たしてこれは実際にあったことなのか、プラトンの創作によるものなのか、はっきりしない。>しかし、ソクラテスが自分の得意技として考えていた技術を見事に表現した場面となっている。>ソクラテスの得意技、それは「産婆術」だ。
そうですね。産婆術は有名ですね。
>○ ソクラテスの「訊く」方法
>産婆術とは、文字通り読めば、赤ちゃんの出産を助ける助産師(産婆)の技術ということになる。>ソクラテスは、無知な者同士が語り合う中で新しい知を産みだす技術のことを産婆術と呼び、自分はそれが得意だと自認していた。
そうですね。
>では産婆術とは、どんなものだったのだろう? >端的に言えば、「訊く」ことだった。>「へえ、それはどういうこと?」「こういう面白い話があるんだけど、それと組み合わせて考えたらどうなるだろう?」と、質問を重ね、相手の思考を刺激し、発言を促す。>「聞く」とせずに「訊く」としたのは、相手の話をただ受け身で聞いているだけではなく、新しい情報を加えながら、質問を重ね、次から次へと思考の幅を広げながら話を聞く形だからだ。
訊問のことですね。
>このソクラテスの産婆術は、実は現代に蘇っている。>「コーチング」と名を変えて。>Yes/Noで答えるしかない質問ではなく、5W1H(What/Who/Where/When/Why/How)と呼ばれる「開かれた質問」(どう答えるかは、相手次第に任される)をすることで、会話を途切れさせず、次々と話題を展伸し、思考を深める技術だ。>カウンセリングでも「傾聴」が重視されている。>しかし傾聴するにも、ただ黙っているだけでは相手も話しにくい。>話すきっかけを与えるためにも、「訊く」ことが大切だ。
訊問が大切ですね。
>ソクラテスは、若い人と話すときには知恵の泉をどんどん発掘し、対話を楽しんだが、「俺は天才だ」という人と対話すると、不思議な現象が起こった。>天才たちはみな、怒り出したのだ。>原因は「天才」たちの知ったかぶりにあった。>プロタゴラスやゴルギアスといった、当代随一の天才と呼ばれた人たちは、ソクラテスから質問を受けると「ああそれはね、こういうことだよ」と、博識なところを見せつけた。
記憶力・暗記力の威力ですね。
>しかしソクラテスが質問を重ねると、さっきといまの発言の間に矛盾があることが浮き彫りになり、最後には「実は、その件はあまり知らないのだ」と白状する羽目となった。
矛盾のない文章は、すべて正しい考えを示している。矛盾のある文章であっても、その矛盾を取り除けば正しい考えとなる。
>天才たちを次々と論破したこの様子に衝撃を受けた人たちが、のちに「弁証法」としかつめらしい名前を付け、ソクラテスの偉大さをたたえたのだけれど、私には、ソクラテスの真の偉大さはそこにはないように思う。>ソクラテスは、誰からも「知」を吸収しようとした。>ソクラテスはおそらく、プロタゴラスやゴルギアスからも学びたかったのではないか。
知の吸収は、大切ですね。哲学博士への道ですね。
>しかし「天才」たちが勝手に「バカの壁」を設け、知ったかぶりをしたがために、自滅しただけのことなのだ。
自分が知らないということを知っているだけでも、’大したもの’ でしょうけどね。
>ソクラテスは若者に話すときと同様、「訊く」ようにしただけだ。>若い人には「産婆術」として働き、新しい知の発見につながる技術が、自分は天才で他はバカ、と思っている人に対しては「弁証法」と呼ばれて、知ったかぶりであることを明らかにしてしまう技術になるのだから、興味深い。
産婆術は弁証法ですね。弁証法は、現代の学校教育の内容になっていますね。
>○「バカの壁」を乗り越える
>「バカの壁」を取り払った人の話をしてみよう。板画家として世界的に名高い棟方志功氏は、若いころ、大変傲慢で、自分を天才と考え、他の人の芸術をこき下ろすこともたびたびだったという。>しかしそのことで、棟方氏は自ら「バカの壁」を作っていたともいえる。
そうですか。棟方氏は、’お山の大将’ だったのですね。
>しかし転機が訪れる。>柳宗悦氏との出会いだ。>柳氏は、無学な農家、庶民が作った民芸品の美しさを「発見」した人だ。>芸術に何の知識もない人たちが作り出した、素朴な美の存在に気付いた棟方氏は衝撃を受けた。>以後、棟方氏は、どんな人からも教えを乞うようになったという。
学問は言語の産物ですね。だが、造形美術 (民芸品) は非言語の産物ですね。両者は領域を異にしていますから、造形美術に無学は関係ないですね。
>どんな人の片言隻句からもヒントを得、学ぶことができることを知ったからだ。>哲学は、向こうの言葉でフィロソフィア(フィロ=愛、ソフィア=知)と呼ばれる。>愛知県みたいな言葉だが、本来なら「愛知」と訳されて当然の言葉だ。
そうですね。’哲学’ にも ‘哲人’ にも関係のないわが国民に、’哲学’ の訳語を持ち込んだ人がいて、我々の頭の調子をくるわせてしまいましたね。’愛知’ が訳語なら、迷いも少なくて済んでいたでしょうにね。
>ソクラテスはまさに「愛知」の人であり、バカの壁を一切設けなかった。>柳宗悦氏に出会ってからの棟方志功氏も、「愛知」の人になったと言える。>バカの壁を自ら設けず、ありとあらゆる人から、芸術のためのヒントを得ようとしていたのだから。
それは、幸いなことでしたね。
>あなたは「知を愛している」だろうか?
私よりも子供の方が知を愛していますね。いつも、’どうして・どうして’ と尋ねて来ますね。
>もしそうなら、バカの壁を設けるのはもったいない。>自分の方が優れているといって優越感を感じようとするのは、バカの壁を建設し始めた証拠だ。
そうですね。バカは禁句ですね。超国家主義・国粋主義に酔いしれる人たちも危ないですね。’上とみるか・下とみるか’ のメンタリティ (考え方) では、バカの壁は避けと通れませんね。
>それよりは、「この人は、私にはない、何を持っているのだろう?」と興味を持ち、自分にないものを引き出すために「訊く」ようにしてみてはどうだろう。
それは良い方法ですね。
>あなた自身が知の誕生を支える産婆になるのだ。>ソクラテスは、「バカの壁」を設けず、知恵をどん欲に吸収するというロールモデルを見事に体現した人物だ。
彼は先進技術の模範になる人ですね。
>コーチング技術の発見(産婆術の再発見)が行われたことで、改めてソクラテスの偉大さが再認識されつつあるように思う。
彼は、昔から有名な人でしたからね。
>新しい事業を起こしたい、新しい発想の商品を生み出したいという人は、ソクラテスを見習い、バカの壁を設けず、あらゆる人から「訊く」ことで知を生み出す産婆術をマスターしていただきたい。
それが良いですね。事業発展への道になりますね。
>そうすれば、ビジネスの世界はもっとワクワクするような現場に変わるだろう。
そうなると良いですね。何しろ日本人の場合は、もっぱら思考停止と暗記力ですからね。暗記力は、受け売りのために利用されていますね。ですから、個人の確立には程遠いですね。
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