>今の学校教育は、奴隷にするための、教育である。
日本人には意思が無い。意思のあるところに方法はあるといわれています。(Where there’s a will, there’s a way.)
方法があれば、責任が果たせます。しかしながら、意思のない人間には責任の遂行は義務だけが残って、無残なものに成ります。そこには、奴隷・牛馬の苦しみがあります。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
>純粋な人間ほど道を踏み外しやすい。
処世術を使わなければ、純粋な人間になれます。ですから、天皇は純粋です。純粋な人間の生活を送るには、身分保障が必要でしょう。
処世術を駆使すれば、今だけ、金だけ、自分だけの庶民生活になります。 ‘不適当はであるが、法律違反とは言えない’ という状態は、秀才の極致でしょうね。道を踏み外したということでしょうか。
>まじめに受験勉強を一生懸命やってきて、大学に入学したら、受験勉強でまじめに勉強してきた事は、何の役にも立たない事に、気がつく。
受験勉強は大学の選抜試験のために用意されたものですから、人間の序列形成以外には役立たないものですね。人間序列は役人の好むところですね。責任感を伴わない序列体制を構築していますから、異常に気持ちが良いのです。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。
>社会へでたら、大学で勉強した事が、役に立たない。
実社会に出て役立つのは実学 (技術) ですね。大学で学んだ教養 (哲学) は、我が国の社会生活では役立ちませんね。
日本人は無哲学・能天気ですから、大学の教養は使い道がないのです。周りのものから尊敬が得られません。外国の大学で学んでも結果は同じになります。ですから、留学にも若者の人気が無いのです。
>むしろ、障害、弊害になるばかりである。
‘教養が邪魔になる’ のですか。よく聞く話ですね。学内の序列は、実社会で通用しませんからね。それで、生活の調子が狂います。
序列があって、教養が無い。これが日本人社会の特徴でしょう。
.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます