>言われたことを、言われたとおりにやる。>これも大切なことではあります。>しかし、それだけではいわゆるマニュアル人間になってしまうのも否定できない事実。
そうですね。自己の考えがないと、筋金入りの皇軍兵士になりますね。
>これからは、自ら考えて行動できる人物が求められる時代。
そうですね。ノンマニュアル人間が必要ですね。各人に哲学は必要です。Everyone needs a philosophy.
> 今回の無料メルマガ『起業教育のススメ~子供たちに起業スピリッツを!』では著者の石丸智信さんが、手段や手法を子供たち自身に決めさせることの大切さを説いている。
自分自身の頭で考えて、自分自身で決めることが大切ですね。
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>●手段、手法は、子どもたちが決める >先日、ニュースで小学校の教科書検定において、教科書のページ数が増えた、という内容が取り上げられていました。>短いニュースでしたが、その内容を聴いていると、子どもたちに、より考えさせる内容になっているように感じました。
現実の内容は、頭の外にある。それは、見ることができる。見ればわかる。唯一の正解がある。だから、考える必要がない。自分自身の頭を使って考えることがないと、無哲学・能天気の人になる。
>この話題に関連して、書籍名は失念しましたが、以前拝読した書籍に、以下の一節が著されていました。
> 迷子の子どもに目的地へ向けた細かい地図を渡すのではなく、方向を指し示しどのようにどんな手段で目的地に到着できるかは子どもに決めさせる。
>この一節は、まさに、目的、目標に向けての過程、プロセスは、子どもたちが自ら考えることの大切さを示唆しているように思います。>また、これから子どもたちが成長する上で必要となる考え方ではないかと思いました。
そうですね。自ら考えることの大切さですね。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。人によって考えは違う。だから、正解は多数ある。
>これまでは、何らかの目的や目標に向けて一から十まで指示や命令などがあり、それに基づいて行動していくことが求められていました。
そうですね。マニュアル人間の製造過程ですね。
>しかし、これからは、ある目的や目標といったある方向性があり、その方向に向けて手段や方法などは、自ら決めて行動していくことが求められるのではないでしょうか。
そうですね。自主・独立の人間ですね。世界観を持ち、方向性を示すことも必要ですね。
> 子どもたちが自立自律型の人財へと成長していくためには、3つの段階があるように思います。 >まずは、目的地を指し示して、子どもたちに細かい地図を渡す段階。 > 次は、本号でテーマにしました目的地を示して、そこまでのプロセスは、子どもたちに任せる段階。 >そして最終的には、子どもたち自身が目的地を明確にするとともに、そこに行き着くまでのプロセスすべてを自ら意思決定していく段階。
意思決定は大切ですね。しかし、日本人には意思がない。だから、意思決定にはならずに恣意決定になる。意思は文章内容になり、意味がある。恣意は文章内容にはならず、意味がない。兎角、この世は無責任となる。
>こういった段階を子どもの頃から様々な場面において体験、経験していくことによって、一歩ずつ自立自律型の人財へと成長していくのではないでしょうか。
そうですね。我々日本人には、自己の意思の表明が必要ですね。
> 平凡な教師は言って聞かせる。 >よい教師は説明する。 >優秀な教師はやってみせる。 >しかし最高の教師は子どもの心に火をつける。
そうですね。最高の教師は、子供に意思決定をさせる教師のことですね。
>この言葉は、ウィリアム・ウォード氏の言葉です。>教師の部分は、「リーダー」「コーチ」「監督」など、色々と置き換えることができますね。
そうですね。教師は、集団の意思決定をする責任者のことですね。
>人の成長に関わる人たちに共通して大切な考え方、姿勢ではないでしょうか。
そうですね。意思決定をする個人も必要ですが、その個人の存在を容認する構成員も必要ですね。意思のない国には、その責任者も見当たらない。この国がひっくり返った時にも、その責任者は出なかった。
>やはり、目的地を決めて、そこに向けて、様々な過程を経ながら進んでいくためにも、その人自身が主体的に進んでいく、という心構えを持つことが大切でしょうね。
そうですね。意思があれば、自主・独立もある。意思がなければ、優柔不断・意志薄弱となる。それではいけないと、精神修養が持ち出されてくる。精神主義の復活である。この道はいつか来た道。
わが国の敗因についてのコメント: ‘我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである’ (昭和天皇)
それで、きわめて危険な状態になる。山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘している。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。
>リンクより
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