今日は、ちょっと昔の話です。
雨が降るこの季節になると思い出してしまう、ある猫との日々。
長くなりそうです・・・
テレビでシドニー・オリンピックのサッカー予選が映し出されていた頃
わたしは郊外の大きな病院に入院していました。
その5年前から、数値がちょっとだけ標準からはみ出して
「不治の病」持ちになってしまったわたしは、
パートで仕事をしながら、その病院に通院していたのですが、
自分では体調も良く感じていましたし
自宅から自転車で1時間かけて通院したこともあるほど元気でしたから
検査の結果を聞きに行った日も、「変わりないですね」と
いつも通りに帰されるとしか思っていませんでした。
ところが突然「数値が悪化していますね。検査と治療が必要です。入院してください」と
言われてしまったのです。頭の中が真っ白になりました。
入院は出産以外したことがありませんでしたし、子どもたちはまだ二人とも小学生でした。
病院の中でさえ、周りの人がみんな健康に見えて、
なんで自分だけが、という思いがぐるぐる回りました
辛くて悲しい以外のことは、入院という言葉からは考えられず、
入院してからも、数日後に受けた生検の痛みが消えるまでは、
眠れずに長い夜をじりじりとやり過ごしていました。
ただ、そんな時でも、ひとつだけ面白いことが起きていました。
それは、入院してすぐに、1匹の猫がわたしの前に現れたことでした
わたしが入院したのは、外来棟から何度も廊下を曲がった先にある病棟の1階でした。
昔は、結核病棟だったと後で知るのですが、部屋は割合広くて大きな収納が付いていました。
案内された時は、部屋の中には誰もおらず、
窓際のべッドでパジャマに着替えて次の指示を待っていると、
網戸になった扉のところに、ちょこんと猫が現れました。
自転車置き場などに出ている、「猫に餌をあげないでください」という看板は知っていましたが、
猫に会ったのは初めてでした。
ジっとわたしを見上げてくる猫に近づこうとしたとき、
ちょうど病棟主治医が入ってきました。
挨拶や、診療計画などを説明してもらっている間もその猫が気になりましたが、
先生が退室して振り返ったときには、すでに姿は見えませんでした。
隣のベッドの方とは、仕切りのカーテンを少し開けてお話することもありましたが、
入院されているのだから、やはり安静にしている方がいいに決まっていますし、
初めての入院で、どう時間を過ごしていいかわからず、ぼぉっと窓の外を見ていると、
通路や塀の上を、ときどき猫が通り過ぎていきます。
中には、チラッとわたしを見ていく猫もいるのですが
素っ気なく去ってゆくばかりで、午前中に来た猫とは、まるで感じが違っています。
夜は、あちこちの病室から辛そうな声が聞こえ、
ナースコールがひっきりなしに鳴り響き、
時計が止まったように長く長く感じました。
朝食のあと、部屋についている洗面台で歯磨きをしていると、
向かいのベッドのおばあちゃんが「あら、朝のご挨拶かしら」とわたしに声をかけてきました。
目配せされて扉の方を見ると、昨日の猫が来ています。
慌てて口を濯いで近づくと、網戸にスリっと頭を擦りつけます。
網戸越しに指で頭を撫でると
「猫にはわかるのね、猫好きさんが」とおばあちゃんが言いました。
「はい、大好きなんです」
「やっぱりね」
なんだか嬉しくて、ぐりぐりと頭を撫で続けていると、
「わたしのところへは、絶対来やしませんからねぇ」と続きました
予定が早まって翌朝、バタバタと生検を受けることになり、
その後は、24時間絶対安静の地獄が続きました。
ようやく自分で歩いてトイレに行けるようになった日の朝、
廊下の突き当たりのガラス戸に猫の姿が見えたので、ゆっくり近づいていくと、
なんと、その猫がじっとこちらを見て待っていました。
そこは網戸にはならないので、ガラス越しにぐりぐりすると、
まるで触っているみたいに頭を摺り寄せてくるので、
いつまでもぐりぐりしていると、
「あら~、そのコ、甘えるんだね」と声がかかりました。
「わたしのところに来るのは白い猫で、このコもよく見かけるけど、
こんなふうに寄ってこないわよ」とも言います。
「それじゃあ、このコはわたしの担当なんですかね?」
「そうか~、担当制なのね」そう言って、初めて話した方と笑い合いました。
入院してから、楽しくて笑ったのは初めてでした。
いよいよ担当制なのがはっきりしたのは、生検から数日経って、
手が掛からなくなったわたしが、部屋を移動した時でした。
廊下を挟んだ反対側の部屋で、ラッキーなことにまた窓際でしたが、
あの猫は、部屋が変わったことなどわからず、もう来ないだろうと寂しく思っていました。
今度のお向かいの方も、静かに寝ていらっしゃるし、
カーテンを閉ざしたままのお隣の方は重症のようでした。
でもあと数日で退院出来るんだから、と自分に言い聞かせて
普段は見ることもない夕方のテレビを見たり、サッカーを見たりして過ごしました。
翌日、カーテンを開けて外を見ているわたしに、
お向かいのベッドの方が話しかけてくださり、なにか波長が合うものを感じました。
偶然こんな経験を、たまたま共にしただけなのに、
こんなに深く分かり合えるなんて、そう思えるほど夕方までいろいろなお話をしました。
そんな経験は今までしたことがありませんでした。
これは、入院というものの成せる技、そうとしか言いようがないと思いました。
そんな気持ちでいるところへ、驚いたことにあの猫がやって来ました。
嬉しくってたまらない気持ちと、どうしよう、この方が猫嫌いだったら迷惑かもしれない。
一瞬遠慮するようなわたしを見て
「あら~、かわいいお客さんだ」とその方の顔がほころびました。
「猫、お好きですか?」
少々ドギマギしながら尋ねるわたしに、その方は「もちろん」と一言。
先に退院されるまで、その猫が来ると「来たわね」と一緒に喜んでくださいました。
わたしの方は、1週間から10日と言われていた入院期間が終わる頃になって、
病棟主治医から「今、ちょっときつい治療をした方が良いようです」と言われて
1ヶ月も延長することになってしまいました。
それは、いろいろな人に迷惑をかけることでしたが、
事情が事情なので、みな治すことに専念しなさいと言ってくれました。
後は、自分が開き直るしかありません。
クヨクヨしていては、良くなるものもならないとも思いましたし、
その日からかなり大量に投与されたステロイドで、
副作用として聞いていたハイテンションになっていきました。
今、書こうとすると「やっぱりあほ そんなわけない」と思ってしまいますが、
あの頃、外を通る猫と以心伝心出来ていると本気で思っていました。
それも今まで素通りしていた猫たちとです。
日記を書いていると「外で遊ぼ」と誘われたり、「つまんないの~」と言われたり。
けれど、いつものあの猫は言葉が浮かびません。
その代わり、部屋に居づらくて、離れた場所の廊下にいても
すっと現れてガラス越しにスリスリっと頭を寄せてくれるのでした。
「飼い猫がお見舞いに来てるみたいね」と看護婦さんが言ってくれるほど
その猫はわたしに寄り添ってくれていました。
ソラン、名前を付けたらお別れ出来なくなる。
そう思いつつも、退院したら連れて帰りたいという気持ちも湧いていました。
わたしが入院していなければならなかったのは、
感染症予防のためだったのですが、
外来の診察時間前や混雑が過ぎた頃には、
病棟から出て散歩することも認められていました。
娘はダンナと一緒によく来てくれて、
その頃は病院の周りにあった雑木林から飛んでくる鳥を見たり、
亀が日光浴している池を見たりして過ごしました。
もちろんソランの話もよくしていたので姿を探すのですが、
なかなか会えませんでした。
そんなある日、ダンナが夕方来てくれて、車まで送って行く途中・・・
ソランがいたのです。
ドキドキしました。
まだまだ携帯電話など持つずっと前のことです。
ダンナに頼んでカメラを持ってきてもらったのが幸いして
ソランを写すことができました。
けれど、あんなに触れたいと思っていたソランに、なかなか手が出せませんでした。
出してはいけないような気がしたのです。
思い切って鼻の上をそっと撫でてみましたが、
ソランはいつものようにすりすりと甘えてきません。
わかってくれてるんだ、そう思えました。
やっぱり連れて帰ることは出来ない。
ソランはここで「イッパイアッテナ」のように
たくさんの名前をもらっているに違いないから。
それからまもなく退院の日が決まってからは、
毎日毎日雨が降って、ソランもほかの猫たちも、姿を見せませんでした。
退院の前の日になって久しぶりに晴れて、ソランが来ました。
何度も何度も来ました。
退院する朝もソランは来てくれました。
ちょうど、退院したのは6月の終わりの今頃でした。
当初、あんなに哀しい気持ちにしかなれなかった入院が、
ソランがいてくれたお陰で、毎年懐かしい気持ちになれる優しい思い出になりました。
今でも年に2回は経過観察で通っていますが、
今ではすぐ隣の新しい建物に移転して、古い病棟はバリケードで囲まれたまま数年が経ちました。
猫に餌をあげないでください。
そんな看板も今では必要なくなり、猫の姿もどこにもありません。
入院を懐かしむなんて変かな~。
少し後ろめたい気持ちを抱きながら、
今回が最後かもという思いがわたしをあの病棟の廊下の突き当たりに向かわせます。
草がぼうぼうになった中庭、裏庭。
夜のトイレに行く時、怖くてたまらなかった長い廊下。
面会室を乗っ取ってテレビを独占していたオヤジたち。
先生に針を刺しましょうよと笑った女性陣。
それなのに、退院してからまもなく亡くなった先生。
わたしが今も元気に里山に出かけられるのは、あの日々があったから。
先生、今でもわたしは透析になってないですよ。
‘先生の木‘ユリノキにありがとうございましたと頭を下げて帰ってきます。
あんな入院が体験出来たわたしは、やっぱりラッキーだったと
またあらためて感じています
長々と読んでくださって ありがとうございました
雨が降るこの季節になると思い出してしまう、ある猫との日々。
長くなりそうです・・・
テレビでシドニー・オリンピックのサッカー予選が映し出されていた頃
わたしは郊外の大きな病院に入院していました。
その5年前から、数値がちょっとだけ標準からはみ出して
「不治の病」持ちになってしまったわたしは、
パートで仕事をしながら、その病院に通院していたのですが、
自分では体調も良く感じていましたし
自宅から自転車で1時間かけて通院したこともあるほど元気でしたから
検査の結果を聞きに行った日も、「変わりないですね」と
いつも通りに帰されるとしか思っていませんでした。
ところが突然「数値が悪化していますね。検査と治療が必要です。入院してください」と
言われてしまったのです。頭の中が真っ白になりました。
入院は出産以外したことがありませんでしたし、子どもたちはまだ二人とも小学生でした。
病院の中でさえ、周りの人がみんな健康に見えて、
なんで自分だけが、という思いがぐるぐる回りました
辛くて悲しい以外のことは、入院という言葉からは考えられず、
入院してからも、数日後に受けた生検の痛みが消えるまでは、
眠れずに長い夜をじりじりとやり過ごしていました。
ただ、そんな時でも、ひとつだけ面白いことが起きていました。
それは、入院してすぐに、1匹の猫がわたしの前に現れたことでした
わたしが入院したのは、外来棟から何度も廊下を曲がった先にある病棟の1階でした。
昔は、結核病棟だったと後で知るのですが、部屋は割合広くて大きな収納が付いていました。
案内された時は、部屋の中には誰もおらず、
窓際のべッドでパジャマに着替えて次の指示を待っていると、
網戸になった扉のところに、ちょこんと猫が現れました。
自転車置き場などに出ている、「猫に餌をあげないでください」という看板は知っていましたが、
猫に会ったのは初めてでした。
ジっとわたしを見上げてくる猫に近づこうとしたとき、
ちょうど病棟主治医が入ってきました。
挨拶や、診療計画などを説明してもらっている間もその猫が気になりましたが、
先生が退室して振り返ったときには、すでに姿は見えませんでした。
隣のベッドの方とは、仕切りのカーテンを少し開けてお話することもありましたが、
入院されているのだから、やはり安静にしている方がいいに決まっていますし、
初めての入院で、どう時間を過ごしていいかわからず、ぼぉっと窓の外を見ていると、
通路や塀の上を、ときどき猫が通り過ぎていきます。
中には、チラッとわたしを見ていく猫もいるのですが
素っ気なく去ってゆくばかりで、午前中に来た猫とは、まるで感じが違っています。
夜は、あちこちの病室から辛そうな声が聞こえ、
ナースコールがひっきりなしに鳴り響き、
時計が止まったように長く長く感じました。
朝食のあと、部屋についている洗面台で歯磨きをしていると、
向かいのベッドのおばあちゃんが「あら、朝のご挨拶かしら」とわたしに声をかけてきました。
目配せされて扉の方を見ると、昨日の猫が来ています。
慌てて口を濯いで近づくと、網戸にスリっと頭を擦りつけます。
網戸越しに指で頭を撫でると
「猫にはわかるのね、猫好きさんが」とおばあちゃんが言いました。
「はい、大好きなんです」
「やっぱりね」
なんだか嬉しくて、ぐりぐりと頭を撫で続けていると、
「わたしのところへは、絶対来やしませんからねぇ」と続きました
予定が早まって翌朝、バタバタと生検を受けることになり、
その後は、24時間絶対安静の地獄が続きました。
ようやく自分で歩いてトイレに行けるようになった日の朝、
廊下の突き当たりのガラス戸に猫の姿が見えたので、ゆっくり近づいていくと、
なんと、その猫がじっとこちらを見て待っていました。
そこは網戸にはならないので、ガラス越しにぐりぐりすると、
まるで触っているみたいに頭を摺り寄せてくるので、
いつまでもぐりぐりしていると、
「あら~、そのコ、甘えるんだね」と声がかかりました。
「わたしのところに来るのは白い猫で、このコもよく見かけるけど、
こんなふうに寄ってこないわよ」とも言います。
「それじゃあ、このコはわたしの担当なんですかね?」
「そうか~、担当制なのね」そう言って、初めて話した方と笑い合いました。
入院してから、楽しくて笑ったのは初めてでした。
いよいよ担当制なのがはっきりしたのは、生検から数日経って、
手が掛からなくなったわたしが、部屋を移動した時でした。
廊下を挟んだ反対側の部屋で、ラッキーなことにまた窓際でしたが、
あの猫は、部屋が変わったことなどわからず、もう来ないだろうと寂しく思っていました。
今度のお向かいの方も、静かに寝ていらっしゃるし、
カーテンを閉ざしたままのお隣の方は重症のようでした。
でもあと数日で退院出来るんだから、と自分に言い聞かせて
普段は見ることもない夕方のテレビを見たり、サッカーを見たりして過ごしました。
翌日、カーテンを開けて外を見ているわたしに、
お向かいのベッドの方が話しかけてくださり、なにか波長が合うものを感じました。
偶然こんな経験を、たまたま共にしただけなのに、
こんなに深く分かり合えるなんて、そう思えるほど夕方までいろいろなお話をしました。
そんな経験は今までしたことがありませんでした。
これは、入院というものの成せる技、そうとしか言いようがないと思いました。
そんな気持ちでいるところへ、驚いたことにあの猫がやって来ました。
嬉しくってたまらない気持ちと、どうしよう、この方が猫嫌いだったら迷惑かもしれない。
一瞬遠慮するようなわたしを見て
「あら~、かわいいお客さんだ」とその方の顔がほころびました。
「猫、お好きですか?」
少々ドギマギしながら尋ねるわたしに、その方は「もちろん」と一言。
先に退院されるまで、その猫が来ると「来たわね」と一緒に喜んでくださいました。
わたしの方は、1週間から10日と言われていた入院期間が終わる頃になって、
病棟主治医から「今、ちょっときつい治療をした方が良いようです」と言われて
1ヶ月も延長することになってしまいました。
それは、いろいろな人に迷惑をかけることでしたが、
事情が事情なので、みな治すことに専念しなさいと言ってくれました。
後は、自分が開き直るしかありません。
クヨクヨしていては、良くなるものもならないとも思いましたし、
その日からかなり大量に投与されたステロイドで、
副作用として聞いていたハイテンションになっていきました。
今、書こうとすると「やっぱりあほ そんなわけない」と思ってしまいますが、
あの頃、外を通る猫と以心伝心出来ていると本気で思っていました。
それも今まで素通りしていた猫たちとです。
日記を書いていると「外で遊ぼ」と誘われたり、「つまんないの~」と言われたり。
けれど、いつものあの猫は言葉が浮かびません。
その代わり、部屋に居づらくて、離れた場所の廊下にいても
すっと現れてガラス越しにスリスリっと頭を寄せてくれるのでした。
「飼い猫がお見舞いに来てるみたいね」と看護婦さんが言ってくれるほど
その猫はわたしに寄り添ってくれていました。
ソラン、名前を付けたらお別れ出来なくなる。
そう思いつつも、退院したら連れて帰りたいという気持ちも湧いていました。
わたしが入院していなければならなかったのは、
感染症予防のためだったのですが、
外来の診察時間前や混雑が過ぎた頃には、
病棟から出て散歩することも認められていました。
娘はダンナと一緒によく来てくれて、
その頃は病院の周りにあった雑木林から飛んでくる鳥を見たり、
亀が日光浴している池を見たりして過ごしました。
もちろんソランの話もよくしていたので姿を探すのですが、
なかなか会えませんでした。
そんなある日、ダンナが夕方来てくれて、車まで送って行く途中・・・
ソランがいたのです。
ドキドキしました。
まだまだ携帯電話など持つずっと前のことです。
ダンナに頼んでカメラを持ってきてもらったのが幸いして
ソランを写すことができました。
けれど、あんなに触れたいと思っていたソランに、なかなか手が出せませんでした。
出してはいけないような気がしたのです。
思い切って鼻の上をそっと撫でてみましたが、
ソランはいつものようにすりすりと甘えてきません。
わかってくれてるんだ、そう思えました。
やっぱり連れて帰ることは出来ない。
ソランはここで「イッパイアッテナ」のように
たくさんの名前をもらっているに違いないから。
それからまもなく退院の日が決まってからは、
毎日毎日雨が降って、ソランもほかの猫たちも、姿を見せませんでした。
退院の前の日になって久しぶりに晴れて、ソランが来ました。
何度も何度も来ました。
退院する朝もソランは来てくれました。
ちょうど、退院したのは6月の終わりの今頃でした。
当初、あんなに哀しい気持ちにしかなれなかった入院が、
ソランがいてくれたお陰で、毎年懐かしい気持ちになれる優しい思い出になりました。
今でも年に2回は経過観察で通っていますが、
今ではすぐ隣の新しい建物に移転して、古い病棟はバリケードで囲まれたまま数年が経ちました。
猫に餌をあげないでください。
そんな看板も今では必要なくなり、猫の姿もどこにもありません。
入院を懐かしむなんて変かな~。
少し後ろめたい気持ちを抱きながら、
今回が最後かもという思いがわたしをあの病棟の廊下の突き当たりに向かわせます。
草がぼうぼうになった中庭、裏庭。
夜のトイレに行く時、怖くてたまらなかった長い廊下。
面会室を乗っ取ってテレビを独占していたオヤジたち。
先生に針を刺しましょうよと笑った女性陣。
それなのに、退院してからまもなく亡くなった先生。
わたしが今も元気に里山に出かけられるのは、あの日々があったから。
先生、今でもわたしは透析になってないですよ。
‘先生の木‘ユリノキにありがとうございましたと頭を下げて帰ってきます。
あんな入院が体験出来たわたしは、やっぱりラッキーだったと
またあらためて感じています
長々と読んでくださって ありがとうございました