物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

『物理数学散歩』の紹介

2028-01-31 12:00:00 | 物理学
小著『物理数学散歩』(国土社、2011)の紹介のためにまず目次を挙げておこう。
 
1. 単振動の合成
2. 立体角
3. 自然対数の底eの近似値
4. arcsin x+arccos x=n/2を理解する
5. 微分をして、積分を求める
6. 母関数の方法
7. 関数の定義
8. ラプラス演算子の極座標表示
9. Legendre変換
10. 分岐点の定義
11. 積分公式の場合分けはいらない?
12. ベクトル積の成分表示
13. ベクトルの3重積の公式の導出
14. rot rot A=grad divA-ΔAの導出
15. テンソル解析の学習における問題点
16. 「Levi-Civita」再論
17. 「Levi-Civitaの記号の縮約」再々論
 
である。
 
この本はアマゾンコムでもAmazonのマーケットプレイスに出品されているものであるが、自著でもある。委託して販売をお願いしたのであるが、本当はとても役立つ本だと思う。
 
出版社との関係からうまく売り出せていない。それで、まずはお披露目したい。売価1,300円は安い(注)。安いと価値がないと思われるのが、残念だが値段以上の価値があると思っている。
 
内容の一部紹介をしておこう。
 
(2. 立体角)
だれにでもわかる立体角の説明はいまでは各所でみられるようになったが、私が書いたころには立体角の説明はほとんどなかった。いまでは「予備ノリたくみ」さんの本には私の本よりも詳しい説明がある。しかし、本質的なところは逃してはいないつもりである。
 
(5.  微分をして、積分を求める)
これは『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波書店)のある章のエピソードをエッセイの書く動機としたものだが、そういう動機づけが面白いと自分では思っている。この同じことをエッセイとして取り扱った本やエッセイもぼつぼつ現れてきている。
 
要するに、定積分の被積分関数の中にパラメータがあれば、そのパラメータで微分することによって定積分の値を求める方法である。この方法を使って多くの積分をファインマンはやって見せたので、積分なら何でもできる男との評判をとったという(2024.5.13付記参照)。
 
ファインマンは単に自分の知っていた方法が役立っただけだと言っているのだが、この方法はあまり学校の講義では強調して教えられることがない。それで私も悪乗りしてみたのだ。
 
私も「数学・物理通信」に3つほどその後同じタイトルでエッセイを書いている。関心のある方はインターネットで検索してみてほしい。
 
(6.  母関数の方法)
これは伏見康治先生の本『伏見康治著作集』(みすず書房)のある巻のエッセイからヒントを得て書いたエッセイであるが、中身は量子力学でも出てくるエルミートの多項式について述べている。要するに母関数の方法が重要だとの認識を伏見先生に教えてもらったから書いた。エルミートの多項式は母関数の方法の使えるほんの一例にすぎないが。
 
(7. 関数の定義)
高校の数学の先生なら、「ははあ、関数をブラックボックスと見るという関数の定義だな」と推察されるだろうが、そういう見方だけではなくもっと広い関数の定義について述べている。
 
もっともそれを知っていて、高校で数学を教えるときに役立つかなどと功利的な考えの人にはまったく役立たないだろう。だが、いろいろの関数の定義のしかたがあるのを楽しむ余裕のある人には世界が広がるかもしれない。
 
最近では若い人は私のような老人とはちがって特殊関数のことをあまり学ばないとか言われている。なんでもコンピュータが計算してくれるからだとか。
 
(8. ラプラス演算子の球座標表示)
量子力学、特に、水素原子の電子の状態やエネルギー準位を求めるときに球座標表示(3次元の極座標表示のこと)を使う。もっとも直交座標から球座標にラプラス演算子に変換するのは一苦労である。普通には一度直交座標系から円柱座標系にしておいて、それから続いて極座標系に変換する方法が用いられる(注1)。
 
だが、そういう便法を使わないで直接に直交座標表示から球座標表示にするのが正道の方法ではないかという思いにとりつかれてしまった。
 
このやり方でその途中の計算をきちんと書いた本は最近はないわけではないが、昔はそんな面倒な計算を書いた本などなかった。これはE大学に勤めるようになってから、佐々木重吉先生ご本人から先生の著書『微分方程式概論 下』(槙書店)に書いてあると教わったが、それを参考にしている。
 
だいぶん後になってだが、上の方針でまともに計算したエッセイを読まれた、場の量子論で高名なN先生にこういう計算を学生にやらせるのは数学嫌いを助長するのではないかとのご批判をいただいた。もっともである。
 
その後、「数学・物理通信」に類似のエッセイをいくつか書いている。そしてそれらの中には、肝を冷やすようで面倒なこの種の計算を少し簡潔にできる方法で述べているものもある。関心のある方はインターネットで検索してほしい。
 
(9. Legendre変換)
Legendre変換の一番よく知られた例は解析力学のラグランジアン L からハミルトニアン H への変換である。H=p \dot{q}-Lだったかな。
 
もっとも解析力学を学んだ頃はそういうことはまったく知らなかった。ハミルトニアン Hへの変換は変な変換だなという印象しかない。 これがLegendre変換であることを知ったのは大学に勤めるようになってからである。このことは後年私も訳者の一人となったゴールドスタイン『古典力学』(吉岡書店)の初版を読んで知った。
 
だが、それよりも熱力学の第2法則での内部エネルギーUから、エンタルピーH=U+pVへの変換、ヘルムホルツの自由エネルギーF=U-TSとかギッブスの自由エネルギーG=H-TSへの変換がLegendre変換だとは物理化学の本でようやく知った。これらは物理化学でも天下りで定義として、教えられているのではないだろうか。
 
これはムーアの『物理化学』上(東京化学同人)を読んでようやく知ったことである。熱力学を学ぶのは物理化学の本からがわかりやすくてよいとは伏見康治先生のご自身の経験による教えだったらしいが。
 
(10. 分岐点の定義)
私のような頭のわるい者には複素解析の本に書いてある分岐点の定義はわからなかった。それがようやくわかったという、お粗末噺である。
 
だが、世の中の人はみんな頭がよくてわかってしまうらしい。
 
(12. ベクトル積の成分表示)
ベクトル積の成分表示を求める方法を書いている。最近ではこういうことを書いた本もときどき見かけるようになった。特に外国語の翻訳書に多く見かけるような気がする。私は原島鮮先生の力学の本から知ったと思う。『Feynman物理学』III(岩波書店)でもこの謎は解けないが。
 
(13. ベクトルの3重積の公式の導出)
ベクトルの3重積の公式 A*(B*C)=B(A・C)ーC(A・B)いわゆるbac-cabルールをどうやって導くか(注)。この公式の発見法的な導びき方を書いた本はいまではないわけではない。私はこれを原島鮮先生の力学の本から知った。最近ではこれについて書いた本もぽつぽつあるが、まだ一般的ではないのは残念である。
 
またここには書いていないが、ベクトルの3重積の公式の記憶法としては中央項ルールというのもある。記憶法は単なる記憶法ではあるが、計算するときには役立つ。
 
(注)bac-cabルールはベクトル三重積A*(B*C)=B(A・C)ーC(A・B)の記憶法の一つである。同じベクトル三重積(A*B)*C=B(A・C)ーA(B・C)をどう覚えるか。これにも役立つのが中央項ルールである。この中央項ルールの説明も「数学・物理通信」に掲載してある。インターネットで検索してみてほしい。
 
私自身はこの中央項ルールを知った後ではベクトル三重積の計算が嫌でなくなった気がする。
 
(14. rot rot A=grad divA-ΔAの導出)
これは『Feynman物理学』のFeynmanの発見法的な導き方と伝統的な、ただ公式を既知の事実として、その両辺を比べて正しいことを検証する方法とを並べて書いた。
 
なお、表題の公式の導出にはLevi-Civitaの記号を用いた方法が、Feynmanの発見法的な導出法以外にもある。
 
これは(15. テンソル解析の学習における問題点)の(3節 ベクトル解析への応用)で述べてある。ただし、Levi-Civitaの記号をフルに使ってではあるが。
 
(15.-17. 「ベクトル解析」関係)
標題はテンソル解析とかあったりするが、実は応用としてベクトル解析のベクトル代数関係には「Levi-Civitaの記号の縮約」再論とか再々論とかが役立つし、その前の「テンソル解析の学習における問題点」なども大いに役立つ。
 
この薄い本がすべてのことに役立つはずもないが、ベクトル解析の一部にはとても役立つ。ただ、あまりこの本の存在が知られていないのは出版社には、この書の価値がまるでわかっていないから。それよりもあまりに価格が低くて出版社の利益が出なかったことが理由だったかもしれない。
 
しかし、私のような多くの普通の人たちには目から鱗が落ちるような衝撃を与えるだろう。
 
(注)本来の定価は1、200円である。アマゾンマーケットプレイスに出品するにあたって、いくらか売価を値上げして申請されている。それがいくらだったか覚えていない。(2025.2.5注記)上にはまちがって売価2,200円と書いてあった。1,300円が正しいです。
 
 
(2024.5.13付記)
積分が上手だと聞いて記憶のいい人はマリー・キュリーの伝記を思い出すかもしれない。マリー・キュリーが積分が得意だったということがその伝記に書かれていたからである。
 
これは夫のピエール・キュリーは、学生が積分できないとか嘆いたら、「マリーが来るまでちょっと待ちなさい」とか言っていたとか書いてあったと思う。これがどこに出ていたのか、二女のエーブ・キュリーが書いた『キュリー夫人伝』にでもあったのだろうか。
 
要するに、微分は誰にでもできるが、基本的な積分を除いて、積分ができるためには、ある種の能力が必要だという証拠ではないかと思っている。
 
(注1)学生だったころにラプラス演算子の極座標表示に挑戦してみたことがある。1週間ほど頑張ってみたが、どうも計算がなかなかあわず残念ながら断念してしまった記憶がある。円柱座標を経由して球座標(3次元極座標系のこと)に変換する方法は当時学んだ高橋健人『物理数学』(培風館)に載っていたので、こちらの方は簡単にチェックできたと思う。
 
(注2)日本人は自分を自慢するのはいけない、慎むべきこととなっている。私自身も日本人だからそういうことも思わないでもない。しかし、外国人にとっては自己PRは普通のことである。そういう観点から自己PRすることにした。鼻につくと思う方はそう思えばいい。その覚悟はある。むしろ控えめであって他の人に役立たないよりは。
 
(2023.7.26付記) 実はこの本『物理数学散歩』と『数学散歩』についてはこれらの本のpdf文書を無料配布するというかなり多くのサイトができた。これは自慢しているわけではなく、事実を述べているだけである。
 
3,000円もしない本の無料pdf配布のサイトができたのはなぜなのか。多分、大学での数学のある分野に役立つからと思われたからであろう。そのときに著者の私のところには『物理数学散歩』の数百部の本が在庫していたというのに。これははっきり言って流通の問題であった。だれが価値がない本を誰がそのpdf資料を配布したりするだろうか。
 
インターネットの古本市場で一時14,000円などという高値がついていたこともある。そういう高い値段がつくのは著者としては心外であるが、「安かろう、悪かろう」の本ではないのだ。
 
昔、外国で出版された書籍を国内で闇で印刷して売るという海賊版があった。これはその当時日本円はとても弱くてそういう外国で出版された本など購入することが普通の日本人にはできなかったからである。いまでは私たちも外国の書籍をちょっと無理すれば、購入できる時代になった。だが、国内で『物理数学散歩』のような、現在の日本ではありえないような安価な書籍の海賊版が横行するとは信じられなかった。
 
(2023.7.27付記) ご注意を頂いたので付記しておく。『物理数学散歩』がインターネットで14,000円もの高値がつくのなら、2,200円で何冊かを買い占めてそれを14,000円で売ることを考える人がいるのではないかという心配である。
 
もっともなご心配だが、そういうよからぬことを考える人は成功しないことを知っておいてほしい。私は買っていただくことには反対はしないが。
 
ちょっと考えたらわかることだが、いくらいい本だと言っても、これは値段との相談であって、14,000円も出してこの本を買う人はいない。2,200円ならお買い得品であるが、そこを間違えてはいけない。私は14,000円という値段をつけた人がいたとは言ったが、それが売れたとは思わない。私だってたとえ喉から手が出るほど欲しくてもその高い値段を考えてやめにするからである。
 
小著『四元数の発見』(海鳴社)もpdf版が出回ったことがあった。いまは出まわってはいないと思うが。いまどき2,200円で買える本などあまりない。税込みだとそれよりはすこし高いが。それだって相当に安価な本である。それだのに無料のpdf版が出回るとはどういうことだろうか。日本の文化のために嘆かわしいことである。著作権もなにもあったものではない。
 
安いことが価値がないことだとは思わないでほしい。価値のあることを安くても良心的な気持ちで提供していることもあるのだから。この物価高の世であっても。
 
ちなみに私自身は著作権が死後50年というのを延長したいという考えには反対である。アメリカでディズニーの著作権を50年から70年に延長するという試みがあるとか、またはその延長が認められたとかとも聞くが、これはあまりに利益偏重で文化をないがしろにする話である。
 
(2024.6.23付記)
小著『数学散歩』だが、神田の有名な自然科学の古本店「明倫館」で6,000円で売っているのを今さっきインターネット「日本の古本屋」で見かけた。この書は私の手元にも自分用の数冊しか残っていない。
 
一方、『物理数学散歩』は多量の在庫があるのだが。
 
(2024.9.30付記)
小著『物理数学散歩』だが、神田の有名な自然科学の古本店「明倫館」で1,000円で売っている。
 
(2025.1.14付記)
実は『物理数学散歩』はちょっといまでは不十分であり、新しい書を出すべきかもしれない。というのはこれらの原稿の多くはかなり改訂されて「数学・物理通信」に出ているからである。
 
ただ、それらはあちこちに出ているので、あまり使い勝手がよくない。それといまではあまりにエッセイ風のものの寄せ集めは世間には好まれないらしい。
 
体系的なものが必要とされているのではなかろか。しかし、これは私のような者には難しい。
 
(2025.2.20付記)
アマゾン・マーケッティング・プレイスで売っていただいているはずの、この『物理数学散歩』を先日検索しても消えており、「この書籍はお取り扱いできません」とあった。どうしてかわからない。販売をお願いしてある書店の方からはもう全部売り切れたという連絡は私の子どもを通じても、もらっているわけではない。
 
私の手元にはまだ100部以上残っている。開封していない箱が2箱は残っているのだから。だいぶん売れたとは思うが、それでもまだ残部はあり、きっと皆様のお役に立てるはずだ。

2月の俳句

2025-02-26 11:18:33 | 外国語

早くも2月が終わりそうになった。あわてて子規の2月の俳句を書いておこう。

 暖炉取りて六畳の間の広さかな   子規

 putting away the coal-burning stove

    my six-mat room

    is large                                                Shiki     1901

「暖炉取りて」とは「暖炉をかたづけて」のだということがわかった。日本語ではその辺の意味がとりかねたが、英訳の方で意味がしっかりした。英語で日本語の意味が分かるというのも変だが、こういうことはよくあるのだ。暖炉とは石炭を燃やすストーブであることもわかった。

何年、日本人をやっているのでしょうね、私は。    


松山では

2025-02-25 12:35:33 | 本と雑誌

松山では天気がよければ、日差しは暖かくなってきた。もちろん、空気はまだ冷たいのだが、風が吹かない天気だと日差しは次第に強くなっている。春の到来の兆しを示している。

そういえば、2月とか3月とかいえば、カーニヴァルであろうか。私自身はあまりカーニヴァルという語にはなじみがない。ファスナハトという方になじみがある。ライン河中流のドイツの都市マインツとかデュセルドルフとかがカーニヴァルの盛んなところと知られている。これらはカトリックの盛んなところである。

そのファスナハトの行列を見たのは1976年のフライブルクとかスイスのBaselである。また次の年の1977年には住んでいたマインツでファスナハトの行列を見た。長々と延々と続く行列で土地の人たちが春の到来を喜ぶのだろうか。

もちろんこの時の観光客の数は半端ではない。沿道で行列を見た観光客とかその他の方々の落としたごみをそのあとですぐに市の係りの清掃員がきれいに清掃しているのを見かけた。きれい好きのドイツ人らしい光景であった。掃除は大掛かりのものであり、その清掃のためにもうもうと埃が舞い上がるほどの徹底した掃除ぶりでもある。


手摺

2025-02-25 12:16:11 | 外国語

歯科に歯の掃除に行った。歯科医院に行くには地下の歩道を潜り抜けて行く。階段があるので、手すりをもってやっとのことで降りていく。階段を上るのは降りるのと比べてまだ楽である。

それで気がついた。もう50年に以上ドイツ語を学んでいるのに手すりというドイツ語を知らない。それで家に帰って和独辞典を引いてみた。Gelaenderと出てきた。英語ではどういうのだろう。インターネットではhandrailと出てきた。

なかなかこういう言葉も気にしないと英語を話す国に行っていたり、ドイツ語を話すところへ行ったりするわけではないので、なかなかなじまないのだ。

私などは老人なので、こういう言葉がやけに身に染みるということだ。ちなみに手すりのドイツ語Gelaenderは中性名詞である。geがつく名詞は特定の女性名詞を示す語尾がつかない限り中性名詞であることがとても多い。

こういうことは中級以上のドイツ語を知っている人でないと知らない事柄であろう。私も長年ドイツ語を独習しているが、NHKのドイツ語講座の放送でもあまり聞いたことがない。多分一度も。


四元数の行列表現

2025-02-24 15:10:48 | 数学

四元数の行列表現と言っても2行2列のマトリックスで表すのではなくて、4行4列で表すことである。昨夜たまたま見た龍孫江さんのインターネットの講義で見たのだが、それがどこから来たものか知りたいという気がした。

それで、堀源一郎『ハミルトンと四元数』(海鳴社)を引っ張り出してきてようやく先ほどその起源をつきとめたばかりである。それにしてもいろいろな行列表現があるものですね。

私自身もいくつかの四元数の行列表現を書いたかなと思います。『四元数の発見』はPauli行列くらいしか書いてないけれども、本にまだ収録していない「数学・物理通信」の記事ではいくつか調べて書いたかなと思います。もっとも4行4列のマトリックスでは書いたことがなかったのかな。あとで調べてみたいです。

龍孫江さんのインターネットの講義はたまたま見かけたのですが、彼がこの4行4列のマトリックスがどこから来たのか説明をその講義ではされていませんでした。もっともたくさんの講義をしているのだろうから、ほかの講義で種明かしをされているんだろうと思います。

私自身はその講義をすべてみているわけではないので、説明をどこかでされているのかどうかは存じません。


『物理のための数学』の衝撃

2025-02-23 10:45:25 | 数学

『物理のための数学』(ベレ出版)を最近購入した。これは主としてベクトル解析の主要な定理である「ストークスの定理」、「ガウスの定理」についてどのように書かれているかを知りたいと思ってであった。

もちろんそのことについて書かれた章は読んだのだが、他の章も読んでみた。複素関数について書かれた6章とか7章も読んでこの短いページの中に複素関数のことをうまく要約して書かれていることを知った。

それに続いて、昨夜11章、12章も読んでみた。これは私もよく知っているはずの量子力学に関した章である。うまくこの2章に複素数を行列要素とするベクトル空間とかヒルベルト空間へのいざないとかを書かれているのだが、ある種の衝撃を受けた。

これはそれらの事実を私が知らなかったということではない。そうではなくて、そういう解説があればいいのだなという実感である。それであまりいままで読んだことがなかった、今村勤『物理と行列』(岩波書店)を読む気が起きた。

こういう気が起きたのは私には『物理のための数学』のこの11章、12章を読んだためであり、ある種の衝撃を私に与えてくれた箇所である。まだ13章のフーリエ変換の章は読んでいないが、最近ではいい意味の衝撃を与えてくれた書である。

もっとも、こういう感じ方はその人その人によって違うので私がある種の衝撃を受けたからといって、他の人が読んで衝撃を受けたり、感動したりするとは限らない。これは当然のことであろう。

 


体系的なものを目指すか

2025-02-22 16:09:26 | 本と雑誌

私は数学エッセイと自分で言っているものに勢力を使ってあまり体系的なものを目指してこなかった。

しかし、どうも体系的なものでないと評価が低いようである。全く体系的なものを目指したことがないかと言われれば、少しは体系的なものを目指したことはある。

物理の分野ではあまり目指したことはないだのが、数学の分野でのいわゆる「数学ミニマム」とでもいうべき小冊子を定年近くになってまとめて学科の学生用につくったこともある。もちろん先生方にも無料で配布していた。

量子力学の講義のテクストは2,000円かで売っていたのだが、こちらは私の研究費で印刷して学生に無料配布していた。

量子力学の講義のテクストは購入してもらっていたので、私の講義を聞いたある学生は、この「電気電子工学科ミニマム」と称する冊子を高い金を払って購入さされたとまちがえて不平をもらしたサイトを見たことがある。

しかし、これは無料配布で金など取った覚えはない。私のつくった「電気電子工学科ミニマム」は高学年の4回生とか大学院生には好評だったと聞いている。卒業研究とか自分で研究を始めると役立つのだが、低学年ではあまりその有用性に気づかないようだった。

ある数学の先生はこういう簡便なものが出てくると自分の数学の講義を聞いてくれなくなるのではないかという恐れを持った方もおられたとも聞く。そういう心配をされるのもしかたがないかもしれない。

だが、もちろん数学の講義を聞かないために作った小冊子ではない。私などは学校教育を受けるのは一時で、学校に行かない時期が人生の大部分であり、必要があれば、自学自習するしかないと思っている。そして、そういうときはどの大学生の個人にも必ずやってくる。そういう視点がほしいのだ。

「電気電子工学科ミニマム」の目次だけでもあげておこう。

1.はじめに

2.三角関数

3.指数関数と対数関数

4.微分と積分

5.Taylor展開

6.ベクトル解析

7.フーリエ解析

8.微分方程式

9.複素数

10.線形代数の有用な定理と公式

11.偏微分

12.双曲線関数

13.デルタ関数

A1.定数表

A2. ギリシャ文字

A3. 逆双曲線関数

編集後記

である。国会図書館にも1冊だが、この書の第3版を献本してある。はじめの10章まではwordで書いてあるが、11章以降はlatexの原稿となっている。

 

 

 


ブログを書くことなど

2025-02-21 18:25:12 | 本と雑誌

ブログを書くことなど今日は思いつきもしなかった。以前に書いた文書を新しいlualatexに変換する仕事を一日中していた。新しいtexになれるのに時間がかかっている。

それに今日は魔の金曜日である。明日の土曜のただ塾の中学数学の準備を食後にしなければならないだろう。

まあ、日曜のあののんびりした気分を味わうことができると思えば、今日のつらさはなんてことはない。

(2025年2月22日付記)

とかいいながら、22時前後までのんびりしていた。そうだ、明日ただ塾があったのだとはその時に気が付いた。それで夜中の2時まで頑張って準備をした。


viennoiserie

2025-02-20 10:44:43 | 本と雑誌

viennoiserie(ヴィノワズリ)とはなんだ!。50年以上フランス語を学んでいるが、聞いたことがなかった。もっともこれもラジオのNHKフランス語講座の「まいにちフランス語」の初級編に出てきた言葉である。

これは今は前の放送の再放送なので、前にも聞いたはずなので今回ようやく目に留まったという私のお粗末である。「菓子パン類」と訳が付いていた。ちなみに私の持っている仏和辞典Le Dicoにはこのviennoiserieは採用されていない。

菓子パンと聞くと私などは日本人の発明だと思っていた。なぜなら、アンパンとかジャムパンだとかクリームパンだとかはパンも日本化してしまう、日本人ならではだと密かに自慢していたからだ。

少なくとも50年ほど前に住んでいたドイツでは「菓子パン類」は見かけなかったようなパン類だと思っていたからである。

viennoiserieの語源だが、これはviennois, -e(ヴィエノワ)すなわち、「ウィーンの」から来ている。オーストリアから来たパン職人がもたらしたものだということらしい。

具体的にはles brioches, les pains au chocolat, les croissants, les chaussons aux pommes, les pains aux raisins (ブリオッシュ、パン・オ・ショコラ、クロワサン、ショッソン・オ・ポム、パン・オ・レザン)等であるという。

結構菓子パンの類はありますね。そういえば、クロワッサンはドイツにもありました。クロワッサンは普通のパンよりも高価なので、日曜日とか特別な日に食べるとか聞いていました。


午前中に理髪店に

2025-02-19 13:51:19 | 数学

午前中に理髪店に行った。理髪後、ついでにデパート三越松山店の5階にあるジュンク堂へ立ち寄った。

数学その他の理系書を眺めて1冊だけ本を買ってきた。『物理学のための数学』(ベレ出版)である。ベクトル解析についてどう書いているのか関心があるためである。

テイラー展開の説明はこの書でも感心はしない。これは最近読み直しているヨビノリたくみさんの『予備校のノリで学ぶ大学数学』(東京出版)でも同じである。

どうして単刀直入に関数 f(x) が x または x-a のべき級数で表されるとして、このべき級数での各べきの項を両辺を未定の係数を何回も微分することによって決めていくという風になぜしないのか。

もっとも多くの微分積分のテクストを読んでも直接にそこからテイラー展開の説明が始まる本は少ないのが原因であろうが、嘆かわしい。

だから、そういうことを後の方になって書いている本はいくつかあるのだが。この『物理学のための数学』だってそうではないか。

もっともこの書にはLevi-Civitaの記号の縮約の証明が付録に出ていた。これは私のお得意の説明の一つだが、まあよかった。

 


ディドローはどういう失態をしたか

2025-02-18 14:47:11 | 本と雑誌

ディドローはどういう失態をしたか。いやこれはランスロット・ホグベンの『百万人の数学』上によればの話であって、実話かどうかはわからないが。

ディドローはあるときロシアに招かれて、宮廷に滞在していたときのことである。彼の優雅なおしゃべりに大いにロシアの貴人たちが楽しんだらしい。

ただ、廷臣たちに無神論の虫がついたら大変だと心配した女帝は、当時世界一といわれた数学者オイラーに命じてディドローと公開論争を行わせた。

ディドローはある日、ある数学者が神の存在を証明した、というだけで論争相手の名前も知らされずに論争に招待されたという。

オイラーは廷臣たちの居並ぶ前で、荘重な口調で「(a+b^{n})/m=x、ゆえに神在り、返答せよ」と言って論争を挑んできた。代数はディドローにとっては全く苦手であった。不幸にもそれが落し穴だとは気が付かなかったという。

それで御前を退出し部屋に閉じこもり、旅券を申請してフランスに帰ってしまった、という。

もっとも、この話はランスロット・ホグベンのどうも作話だというのが数学者の故遠山啓さんである。ディドローは数学の論文も書いているのだと彼は言っている。

もし、遠山さんの言うことが正しいとすれば、ホグベンのいたずらに私たちはまんまと乗せられたことになるが。お互いに数学に弱いことを白状することになるのである。いや、これは人間らしくていいですか。

 


小学校レベルからはじめて

2025-02-17 23:05:50 | 数学

小学校レベルからはじめて中学高校レベルの数学を題材にした小文がおよそ100あった。正確には99だが、100以上小文を書いてはいるが、どなたかの論文へのコメントとかはその中には入れていない。

武藤徹先生は晩年に平面幾何学のモーリーの定理にこだわっていくつかの論文を書かれていたから、それについてのコメントとかを私も書いたりしている。それらとは直接に関係ないが、大学を定年退職したときに、同僚が開いてくれた退職を祝う会でお話しした自分の大学の講義に関係した感想を述べたスピーチとかもある。

研究に関係したスピーチもこのときではないが、通称で環瀬戸シンポといわれている会でしたのだが、それはその会のレジュメには書いたが、どこにも発表はしていない。

ああそうだった。教育関係のスピーチと一緒に研究関係のスピーチも印刷して祝賀会に来てくださった方々には配ったのを思い出した。これは自己満足である。

他人でその研究に関したこの私の研究の回顧の文章を読んで理解できる人は私以外には私を物理の研究で指導してくださった数名の先生方を除いては理解できないだろう。それくらいマイナーなテーマである。初期の段階での共同研究者だった、H君ももう亡くなってから10年以上になるかもしれない。


できなかったことよりも

2025-02-17 10:09:24 | 本と雑誌

「できなかったことよりも、すこしでもできたことを認めた方がよいのではないか」

これは朝食後に長年にわたって、自分が主宰してきたパソコンクラブを閉じることにした妻に、私が言ったことである。ある出来事があって、それが主な原因かどうかはわからないが、医療生協活動の重要な班活動であった「パソコンクラブ」を閉じることになった妻の繰り言を聞いていて言った言葉であった。

妻もすぐに反応して彼女が最近熱心に聞いているNHKラジオの「ビジネス英語」の講師・柴田進先生がいつも放送の冒頭で『自己肯定感をもって「ビジネス英語」を学びましょうと言ってるね』と返してくれた。

私などはもう半世紀以上も長く学んでいるドイツ語だって片言ドイツ語しか話せないのだが、最近は「片言ドイツ語が話せる」と胸を張って言っている。これこそ自己肯定感ではなかろうか。


金曜日が魔の金曜日なら

2025-02-16 12:47:49 | 数学

金曜日が魔の金曜日なら、日曜日はのんびりの日曜日である。さきほどまで新聞を読んでいたのだが、それを読み終えて、ようやくブログのところへたどり着いたという次第である。

のんびりすることの幸せったらこんな幸せはない。しかし、これも魔の金曜日があっての幸せでもあるのだろう。

私は高校時代にあまり平面幾何を学ばなかった世代であるので、最近の中学数学での平面幾何の証明を学んで得るところが多い。

例えばの話だが、直角三角形の合同条件を示すのをどうするのかは知らなかった。大学に入って物理の初歩で平面幾何の知識が必要なので自分で本を読んで学んだ。そのとき直角三角形の合同条件を覚えたが、その証明は覚えていなかった。

それが今、中学数学の平面幾何でその証明にまで気が向くようになった。なんでも苦労するものである。ただ塾の数学の先生としていちばん役立っているのは私自身にであるのかもしれない

 


Une Encyclop'edie ne s'ordonne point.

2025-02-15 16:17:11 | 本と雑誌

Une Encyclop'edie ne s'ordonne point. (ユンヌ アンシクロぺディ ヌ ソルドンヌ ポワン)(百科全書はだれの命令もうけない)と書くと何のことかと思うだろう。かくいう私もそのうちの一人である。(カタカナはフランス語を全く知らない方のためだから、知っている人はパスしてください)

これはいまNHKラジオの「まいにちフランス語」の応用編で講師の逸見龍生(へんみたつお)先生からディドロの王権に対する独立性を高らかに宣言したものだということを教わって、ようやくその心意気が理解できる気がした。百科全書派というのを歴史の講義で聞いてもその心意気まではなかなか伝わってこない。

私などはランスロット・ホグベン『百万人の数学』(筑摩書房)の冒頭部でディドローのことを知り聞くぐらいだったが、百科全書派はどうしてどうして啓蒙思想家として面目躍如たるところがある人たちだったらしいことを知った。

今なら、百科全書は書斎の片隅の飾り物くらいにしかすぎないかもしれないが、18世紀には明らかにその思想の権力に対する独立性がとても顕著であり、自由の象徴でもあったということである。