Liveめくれ?

SJまみれ^^ それに絡んだ(?)旅とソーイング。最近は多肉に夢中🌵
訳の引用は、リンクのみでお願いしますm( )m

170422 arena homme 5月号(4/23更新)

2017-04-22 00:37:25 | SJ

ycloudsさんのキャプから、インタビューのところを訳してみた。
最初のところが光ってて見えないので、虫食いクイズみたいになってるけど
また見えるものが来たら、あらためるかな。

4/23 HEIRAさんがあげてくださったので、足しました。

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静かに 穏やかに
イェソンは静かに時を待っていた。チャンスは穏やかにやって来た。彼はドラマ〈voice〉とソロアルバム〈Spring Falling〉で訪れたチャンスをつかんだ

イェソンはいまだに少年のようだ。‘少年の魅力’を見せることが、今日のグラビアテーマだと話すと「30代中盤になったので、これからは僕も若く見られたい」と言いながら笑った。けれども、そう見られたくはなくても、彼は鋭い感性を持つ少年のように見えた。時にはとんでもない冗談で撮影現場の雰囲気を良くもする。
ソロ活動を控えているせいで、届いた暖かいピザを口にすることはなかったが、彼は瞬間的な満腹感より自分が任されたプロジェクトの完成度を選びたいと言った。
以前は何かを早く見せたいという焦りもあったが、今ではチャンスを待ちながら準備する時間を送れるとも。

彼は撮影が終わり、着替える前、フォトグラファーに了解を求め、モニターの前に座った。自分が撮られたカットを一つ一つ長いこと眺めていた。自分がこんな表情だったんだなぁ、こんなポーズをとるとこんなふうになるんだなぁ。彼は熱心に自分について勉強する学生のようだった。そうして、几帳面にモニタリングした後、次の撮影では必ず前とは違う姿を見せてくれた。

そうやって見ると、イェソンはいつも急がず、ゆっくり何かを成し遂げていく。彼はSuper Juniorのイェソンであり、演技者、ソロミュージシャンとして、とどまることなく挑戦し、より新しいことを始動する。

TVに映るアイドルグループの名前も混乱し、メンバーの名前と顔を一致させるのはさらにもっと難しいことだ。そういう意味では、Super Juniorは確実に’国民アイドルグループ’だ。大韓民国国民の大部分がSuper Juniorのメンバーを知っており、ヒット曲を歌える。変わらずバラエティ番組で、ドラマや映画で、そして音楽番組で、私たちはSuper Juniorに会える。

Super Juniorのリードボーカルイェソンは、2005年からSMに所属している’長期勤続者’だ。ドラマOSTで、また〈不朽の名曲〉などを通じ、彼がどれだけ歌がうまいかはすでに示されている。まだ知られていない面も多い彼は静かに時を待っていた。今がその時だ。
去る3月に終了したドラマ〈voice〉で、天才ハッカー’オヒョンホ’を演じ、高評価を受け、続いて2作目のソロアルバム〈Spring Falling〉を発表した。静かに穏やかに自分の時間を待っていたイェソンは、とうとうそのチャンスをつかみ、決して離さなかった。

失礼になるかもしれませんが、思ったより演技がうまくて驚きました。正式に演技でデビューしたのは2015年ドラマ〈錐〉だったんですか?

軍隊に行ってから演技を始めました。アイドルとしては年齢的に遅いかもしれませんが、演技者としてはふさわしい年齢で始められたように思います。もちろん、若い時に学生役もやってみたかったですが、なかなかチャンスが来なかったんです。
それで、僕が得意な歌とうまくなりたい演技ができるミュージカルに挑戦しました。〈錐〉は’労組’という難しい素材を扱った作品でした。本読みをしたこともない僕が、’ファンジュンチョル’役をやりました。

アイドルとしてデビューして演技に挑戦すると、大概明るく軽快な役から始めます。ジャンルで言うならロマンティックコメディのような。けれども、〈錐〉は’労組問題’が素材のドラマで、〈voice〉は残忍な事件を暴く捜査物です。何であれ、まずは始めてみようという気持ちでした。初めての演技でしたが、熱心に臨んだので〈錐〉というチャンスが訪れました。キャスティングディレクターが僕の目つきを気に入ってくださいました。ちょうど仲の良いチヒョヌが主役として選ばれた状態だったので、もっと一緒にやりたくなりました。

〈voice〉もオーディションを経て合流したんですか?

2つの作品ともミーティングをそれぞれ2回ほどしました。〈voice〉も競争相手がかなりいました。すでに僕の前に2人が面接を受け、僕の後にも2人いました。その上、そのうちの一人とは偶然出会ってしまいました。歌手の後輩でした、彼も(笑)だから、心を空にしました。
うれしい気持ちで’オヒョンホ’役を任され、撮影しながらもここまでたくさんの方に愛されるとは想像もできませんでした。こんなに素晴らしい機会を下さった〈錐〉と〈voice〉の関係者の方々にこの場を借りて、感謝の言葉を伝えたいです。

受賞の言葉かと思いました。今回のドラマでは序盤にはほぼ座った状態で無線と電話で独白する場面が多かったです。それから、中盤からはチャンヒョクとともに現場に投入されました

後半ではアイデンティティを失いました(笑)僕もくやしかったですが、制作陣もやはり申し訳なく思っていたようです。どうなったとしても、この作品を通じてものすごく演技が伸び、ためになりました。残念だとおっしゃる視聴者もいらっしゃいますが、僕はすべてが良い経験だったと思います。
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注〉PPLのために、ドラマの本筋から無理くりSUBWAYを探したり食べたりする流れになっていたことを指しているよう
[SC초점] PPL커플? '보이스'의 아쉬운 예성X손은서 활용법
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〈錐〉と〈voice〉はジャンルも異なり、また演じたキャラクターも全く異なりました

’ファンジュンチョル’は本来の僕の性格と本当によく似ていたので、むしろ楽に演技できました。〈voice〉は普段はあまり使わない’タナカ’体を使わなければならず、難しい操作用語が多かったです。
未だに忘れないセリフがあります。『コードゼロ事件発生、コードゼロ事件発生、今日午後4時23分頃、ソンウォン地方警察庁付近の路地、11センター長カンコンジュ警艦』こう始まって、休まずずっとセリフを言いました。興奮した状態で、急いて、それも無線機をつかみ、独白で演技しなければならないので、本当に難しかったです。
チャンヒョクひょんがこのシーンを見て、おっしゃいました。「イェソン、俺はお前が’生麦生米生卵’って言ってるのかと思った。いっそのこと寒くても外で時間をつぶす方がはるかに楽だと思う」と。’オヒョンホ’役を通じて、’独白の果て’を走っていたようです。それ自体が僕にとって大きな挑戦でした。

2001年からSMで練習生として準備を重ね、Super Juniorとしてデビューし、13年目にさしかかっています。Super Juniorとして、最初の、あるいは最高の記録を並べるとしたら?

今でこそSuper Juniorのようなグループが増えましたが、2005年当時は新鮮でした。韓流の始まりという意味では先駆けではありませんが、拍車をかける役割を果たしたと自負しています。特に、中華圏は僕たちが足がかりになったのではと思います。大型グループの始まりを共にしました。

そして、現メンバー全員が、一つの事務所で10年以上活動していることも記録的なことではありませんか?
アイドルグループとしては、最初に’トロット’のユニットを作り、新人賞や大賞などグランドスラムも達成しました。

あ、それから僕たちがデビューした日、〈人気歌謡〉に韓国のファン1500人以上が来ていました。練習生としての活動も長く、演技者として先にデビューしたメンバーがいたから可能だったことですが、今考えても驚くべきことです。
音楽番組が終わって、近くの公園でシンプルなファンミーティングをしたことも思い出します。その時僕たちが出会った、あのファンたち、今でも元気にしているか一度尋ねてみたいです。
それから、何があったっけ。

いや、今言ったことだけでも十分です。果てしなく話してますよ

あ、フランス公演と南米ツアーでも草分け的な存在です。
フランスのファンたちがルーブル博物館の前で'sorry sorry'を踊りながら、コンサートに来てほしいとデモンストレーションまでして。

台湾で121週連続1位だったことも記録的なことです。これはニュースでもたくさん報道され、また、韓国のグループで最初に、イギリスオックスフォード大学で特別講演をやりました。こんなふうに一つ一つ上げてみるとすごい記録です。

最高の記録を立てたグループのメンバーとして、13年を過ごしました。最高になれたとだけ思っていたら、このように長い時間をバランスよく過ごせなかったと思いますが。

僕は歌謡コンテストを通じてSMに入りました。2万2千人が集まり、そこで選ばれたんです。当時も、僕が2万2千対1の競争をくぐり抜けて、SMに入ったということがうれしかったです。
けれども、男性の練習生だけでも約80人くらいいて、3か月過ぎると30人が入れ替わりました。みんなかっこよくて、何にでもなれる人のように見えました。
僕がそこでどうやって生き残れるか思いを巡らしてみると、歌が答えでした。諦めたい瞬間ももちろん多くありました。
Super Juniorにもかろうじて入れて、デビューしました。グループが売れたので幸せでしたが、僕個人の活動はなかなか進みませんでした。チャンスが簡単には来なかったんです。あるときは、デビュー前に天安とソウルを往復しながら練習した頃よりもっとしんどいと感じたりもしました。僕たちのグループは売れたけど、僕だけ売れてないような気がして。
でも、僕から見てもうちのメンバーが当時はもともとかっこよかったし、秀でてはいました。

あ、あえて過去形で言いましたよね?今は違う?

今では対等になったということです、はは。
とにかく当時は若かったし、すべてがしんどかったです。ようやくデビューしたのに、自分の姿がカメラに映りもしなかったので。けれど、メンバーのせいだと思ったことは一度もありません。嫌いになったり嫉妬したりはしませんでした。これがうちのグループが長くやれている理由です。
むしろ、劣等感が僕の原動力になりました。瞬間的な楽しみを選んだからと言って、自分の人生が楽しくなるとは思えませんでした。それで、食べて寝て楽しむよりは、もっと大きな目標のために、どの瞬間も最善を尽くしました。
ちょっと寂しくはありました。家にDVDが5000枚くらいあるんですけど、一人で映画を見ながら演技を練習しました。そんな努力が今になって実っているようでうれしいです。

それから、2作目のソロアルバムも出ます。気持ちを楽に宣伝するなら?

昨年軍隊を終えた直後に初ソロアルバムを出したんですけど、あまり宣伝できませんでした。タイトル曲’문열어봐 Here I am’も自分で書いて、プロデュースもしました。でも、思ったより扉を開けませんでした(笑)
もともと作曲していたわけではなくて、自分が歌いたい歌を作りたくて習い始めたんです。
今回出した2作目のソロアルバムは’自分の思い通り’と言うよりは、少し大衆性に歩み寄りました。まずは僕が書いた曲はタイトル曲に選ばれませんでした。'Spring Falling'という曲で活動するんですが、少し不安です。

どうして?

タイトル通り、春の日のにわか雨のように一瞬で終わってしまうんじゃないかと。
いっそのこと’四季の長雨’ってつければよかったかもしれません。4月に優れた歌手がたくさんカムバックするそうで、まずは楽しく活動するのが目標です。

今年中にSuper Juniorの活動も計画されていると聞きました。

ある時日本のプロダクション、ジャニーズから’アツ’い新人がデビューしました。当然そのグループがチャートの1位になると予想されたのに、活動を始めて20年を超えるバンドが10年ぶりに出したアルバムがオリコンチャート1位を占め、驚いたことがあります。僕たちもこんなふうに長い間愛されながら活動するグループになれたらうれしいです。
今年メンバーが軍隊から除隊して、’完全体’とまではいきませんが、ある程度は戻ります。本当に久しぶりに多くの人が活動する時期で、死活をかけています。アルバムの成績よりも’SJらしく’活動するのが目標です。

Super Juniorへの愛情が深いんですね

そうです。Super Juniorのなかでも兄貴分の僕がちゃんと活動して、弟分たちがまた戻ってきたときに’やっぱりSJとして戻ってきてよかった’と思えたらうれしい
です。
いつもグループへの愛情にあふれています。これからも今と同じ気持ちでずっと歌って演技していくと思います。


cr.HEIRA


cr.yclouds



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兄さんが言ってほしいこと言ってくれてて
久しぶりに訳してみたのです。

voiceのセリフのところは、ちと自信がありません…


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