今回、観音崎を往来する船舶を撮りましたが、これが観音崎を訪れたのは2度目になります。
最初は50年前で、撮ったのはこの写真、日本郵船「伊豫丸」です。
そうなんです本船の船長が私の父、戦中からの生粋の船乗りなんです。
一度航行中の父の写真を撮りたく、機会を狙っていましたら、〇〇時観音崎通過の電報が入り、
慌てて撮り行ったのが、この一枚の写真です。
拡大してみましたが、粗くて写真が醜くて申し訳ありません、ここを通過する今どきの船舶と違い、
かなりの速力が出ている事がわかります、もちろん水先案内人なしでで入って来ました。
清水港からと思いますが、横浜港に入ってすぐに荷役ができるようにデリックを上げたままのです。
太平洋横断時には下げるそうです。
ここで「伊豫丸」のご紹介 9,931総トン 12,3936重トン 全長145.0m 1965年(昭和40年)20次造船として
名村造船所(大阪)建造 主機 三菱横浜MANディーゼル10,000馬力 航海速力18.2ノット 試運転最高21.0ノット
昭和54年に売却リベリア船籍となり「IYO」と改名 昭和57年再び売却して「SOMALI NAVIGATOR」と改名
昭和60年解体のため台湾高雄に到着して20年の歴史に幕をおろしました。
この写真は、横浜港で撮りました。一等航海士が船首で指示しています。
この当時、岸壁が足りず沖のブイでの荷役が多くありました。
訪船するのには通船で行くしかなく、私はそれが大好きで父の船の停泊が、
ブイと聴くと、通船に乗りたさに良く出掛けました。
日本郵船のIクラスの「伊豫丸」は8隻ある同クラスの2番船で第一船の「伊勢丸」が常連の
三菱重工神戸で建造された以外は本船も含め、
あまり取引のなかった名村造船・日本鋼管・日立造船・石川島播磨で
2年間の短期の間に作られました。
日本郵船の貨物船は、頭文字でそのランクがわかります。ランク下から、Mクラス12隻、Hクラス4隻、
Nクラス2隻、Aクラス11隻、Sクラス15隻、Iクラス8隻、Fクラス3隻Yクラス4隻、Kクラス4隻、
重量物運搬船がW,タンカーはT,
鉱石運搬船はOでした。
昭和40年建造ですが、今見てもとてもスタイルの良い貨物船でしたね。
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