読み出したら止まらなくなってしまいました。
「動物もの」と言っていいのかどうか。そんな単純な枠にははまらないように思います。
主人公は確かに犬です。犬と言っても、「犬」とくくれるものじゃない。それぞれに個性があります。その個性の違いがドラマを生んでいるとも言えます。
ゾーヤと名付けられた雌の子犬は、ナターシャの一家にあたたかく迎えられます。
でも、その幸せはほんの一瞬でした。その後、長く過酷なサバイバルが待っていました。
ナターシャの家は、チェルノブイリ原発のすぐ近くにありました。爆発、そして突然の避難。福島の記憶が蘇ります。
ペットを連れて行くことは禁止されていました。しかし、ナターシャはこっそりゾーヤを連れてきました。とても置いていくことはできなかったので。
バスに乗るとき、ゾーヤは見つかってしまいます。外に置かれたゾーヤは、バスが走り始めると一心に追いかけます。何かの遊びだと思って。だけど、バスは一向に止まらず、やがてゾーヤは追いかけることをやめてしまう。
ナターシャとゾーヤのその後が展開していきます。
ナターシャは人に本心を見せない勉強一途な科学者になっていきます。原発から避難してきた運命を受け入れてくれる人たちばかりではありません。変わった人と見られても、ナターシャは一人で過ごすことに慣れていきます。理解者であった父は、被曝の影響で早くに亡くなってしまいます。母は再婚しますが、その義理の父とナターシャは距離を置いたまま。ナターシャは父の勧めもあって核エネルギーの生みの親である物理の研究に邁進します。この道のりは、先にノーベル平和賞を受賞されてノルウェーで演説された日本原水爆被害者団体協議会の田中さんと似ています。成績は優秀で研究職にも恵まれますが、心には大きな穴が空いたままです。彼女は決して幸せではありませんでした。
ゾーヤは、「魔女」と言われていたお婆さんのカテリーナに拾われます。カテリーナは避難を指示されても従わず、残ることを選んだ人でした。カテリーナは結婚相手を亡くしており一人。ゾーヤはカテリーナに懐いて、カテリーナもゾーヤがいることで孤独を癒されていました。
が、狼がやってきます。そしてゾーヤは、雄の狼の魅力に抗えず、付いて行ってしまいます。そう、ゾーヤの中にも元々狼の血が入っていました。目の色が左右で違うのが証拠です。片方は冷たい青、もう片方は温かい茶色。
ゾーヤは子供を二匹産みました。森の中の洞穴で。ミーシャとブラタン。ブラタンは弟で、生まれつき後ろ足が弱くて早く歩けず、その代わり噛む力は犬一倍強い。
来る日も来る日も獲物探し。小熊と出会ったり、山猫に襲われたり。その中でも一番の強敵がやはり狼でした。
雌の狼、クロスフェイスがミーシャの宿敵となっていきます。
老いたゾーヤはカテリーナの家にかろうじて戻り、そこで安らかな最後を迎えますが、残されたミーシャとブラタンは、クロスフェイスから逃げるように住処を探す旅に出ます。
無人となった農家に出会います。そこには野生化し生き残っていた犬たちがいました。ミーシャとブラタンは、そこのボスのコーカシアンシェパードに認められて仲間となることを許されました。コーカシアンシェパードは、狼を退治するために改良された品種です。
ミーシャはそこで伴侶となるサルーキと出会う。
サルーキは、この本の表紙の右側で走っている犬ですが、狩猟犬で顔が小さく足が長く、人との歴史が七千年もあると言われている最も古い犬種です。
農家の地下室にソーセージを見つけてひとときの幸福を味わいますが、犬たちはまたしてもクロスフェイスが引きつれる狼軍団と戦うことになります。この場面は作者も一番力が入ったらしく、ハラハラドキドキの連続。かつての仲間だった馬が活躍したり、かつての遊び仲間だった小熊が助っ人に来たり。
その後も息をつかせない展開が続きます。
最終的にゾーヤの子であるミーシャはどうなったでしょうか?
大人になったナターシャは、故郷に放射線を測定するボランティアとして戻ってきます。それは野生化した動物たちの保護が目的だったのですが。
人間の活動によって「死の森」と化した場所が、かつてのペットたちの野生を取り戻す場所ともなったことが印象的です。犬が犬になり切れず、狼と連れ添うというのもこの作品では大きな特徴です。私は知りませんでした。狼と犬が、完全には別れていない種だったということが。人がいなくなったことによって動物たちが主導権を取り戻すかのように生き生きとする。それはいつも死と隣り合わせなのですが。
動物たちが決して擬人化されていません。動物は動物として、その個性を尊重されて描き分けられていることもこの作品の美点だと思います。だからこそ、読者は一つの動物に感情移入してページをめくる手が止まらない。
「たましいのきずなはけっして消えない」
愛された記憶は決して消えません。それが人を、人だけでなく動物も、生かしていく原動力なのだということを「死の森」が浮かび上がらせています。
アンソニー・マゴーワン 作/尾﨑愛子 訳/岩波書店/2024
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