泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

マーラー 交響曲第五番

2007-02-03 22:46:54 | 音楽
 五楽章からなるこの交響曲には、タイトルがついていませんが、あえて名づけるなら、「恋愛」なのでしょうか。あるいは「恋心」「運命の愛」「出会い」「対話」「赤い糸」・・・。
 マーラーには、いつも想像力を掻き立てられます。この曲の始めは、印象的なトランペットが、甲高く鳴る。それは、運命の出会いを連想させます。その後のうねるような、打ち寄せては引く波のような、ときに消え入りそうになりながら、トランペットが、忘れさせるのを拒むように、どこからか、その人を引き戻します。始まった二人のドラマに。
 最初は、二人ではなかったのかもしれない。出会いに衝撃を覚え、湧き上がる感情に恐れ、不安になり、それまでの自分のやり方にすがるように戻りもする。第二楽章は、感情にもまれ、どちらに行けばいいのかわからなくなってしまった心の混乱を表現しているのでしょうか。過去と未来が、行ったり来たり。男と女が、見詰め合ったり無視したり。恨んだり、激しく求めたり。とても苦しいのですが、そこを通らなければどうしても先には進むことのできない、暗闇のトンネルのようです。
 第三楽章のホルン(?)は、大きな船の汽笛を思わせます。あるいは出口の光、こちらだという呼びかけ。喜びに踊っているようでもあります。
 そして、第四楽章。今の私もここにいるような気がします。バイオリンの悲しげな、また力強くもある声の連なり。ポロンと聞こえてくるのはハープでしょうか。愛の対象を、自分のふがいなさゆえ、あるいはどうしようもない障害により見失ってしまったのでしょうか。それとも、喧嘩して泣いているのでしょうか。離れていても、険悪になっても、忘れることができない。あなたが欲しい、あなたじゃないとだめなんだ、ほんとに愛してるんだ・・・。そんな言葉にできない思い。身を裂くような切なさ。でも耐えないといけない。雪の下に埋もれた、春を待つ種のように。
 第五楽章は、認め合った、許し合った、今までの自分を乗り越えた二人が、楽しそうにおしゃべりしている様が浮かんできます。尽きることのないキャッチボールは、最後の盛り上がりで、新しい人間を創造したかのようです。リズミカルに、とどろくバスは、鉄道の疾走を感じさせる。二人は着実に進んでいる。家族という安全な列車に乗って・・・。
 以上は、私の願望や思い込みが、たっぷりと入っています。マーラーが、どんな経験を、音楽に託したのか、それはわかりません。私の受けたもの、それも私のリフレクションですが、あるいは生じたもの、それが大切なのかもしれません。正解なんて、やっぱりない。
 でも、やっぱりマーラーはいいというのは、少なくともわかりました。
 第五楽章の、途中ではっきりと、でも自然に、がたっと調子が変わるところがあります。技術的にどういうことなのかわかりませんが、一組のカップルの成長を、カップルに限らず人間という小川が合流して、一本の太い流れにまとまる感動を、伝えているように思えてなりません。
 飛ばした彼の交響曲第三番、第四番も、やっぱり聴かないとだめですね。

レナード・バーンシュタイン指揮/ウィーン・フィルハーモニー

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