明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
と、言っておきながら、気持ちは沈みます。
「明けなければよかった」と、思っている人たちもいるでしょう。
正月の16時に震度7とは。
翌日に羽田空港での事故。
震災がなかったら。
なぜ、私が?
こんなとき、田村隆一の詩の一節を思い出します。
「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」(「帰途」の冒頭です)
人は言葉を覚えたから、意味を探す。
でも、その地震は言葉を持っていない。
人は、物語っていくしかない。
語って語って、やっと受け入れ難いものを少しずつ消化していく。
言葉があるからこそ苦しみ、言葉があるからこそ救われる。
実際には、言葉にできないことの方が多いかもしれません。
それでもアートやスポーツや、あらゆる手仕事に、気持ちを託すこともできます。
この本は、年末に少しずつ読んでいたものです。
この本も、仙台の3・11メモリアル交流館で出会ったもの。
重松さんの作品は、これで何作目かわからないほど。敬愛している作家の一人。
その人が、東日本大震災の被災地を度々訪問し、作品にしていたことは知りませんでした。
まさに今読むべき、私に必要な本でした。
一度読んだだけでは読み飛ばしたところがあるかもと思い、続けてもう一度読みました。
著者は言います。「想像力の乏しさは本書にも及んでいるかもしれない」と。
「読んでくださったひとの胸になにかを浮かび上がらせるよすがになってくれたなら、と願って、祈ってもいる」と。
私の中に思い浮かんだのは、取り組んでいる小説の主人公たちのこと。より具体的になって、描写が深化しました。
「トン汁」「おまじない」「しおり」「記念日」「帰郷」「五百羅漢」「また次の春へ」の7つお話が入っています。
どのお話にも印象に残る場面がありました。
どのお話も、どこかで震災が関連していて、喪失があります。
喪失の中で、それでも継続している何かがある。それがこの短編集のテーマとなっているのかなと思いました。
失われた世界で、何が残っているのだろう? 何が私たちをこの世界に繋ぎ止めているのだろう?
母が急に亡くなって、父が作ったもやしだけが入った「トン汁」。小学生の頃、一番の仲良しと交わした再会するための「おまじない」。津波にさらわれた同級生に貸していた本に挟まっていた手作りの「しおり」。被災地に送ったカレンダーに書き込んでいた「記念日」を修正液で消した跡。
「帰郷」には、お寺さんの一角にある絵馬堂が出てきます。そこに納められているのは、幼くして亡くなった子たちがせめてあの世で幸せな結婚生活を送れるようにと祈って作られた結婚式の絵や人形たち。中には合成写真を使っているものもある。「冥婚」というのだそうです。知りませんでした。
「五百羅漢」もまた未知の世界でした。釈迦の没後一年に集まった聖人たち五百人をモデルに作った仏像たちのこと。私の住んでいる近くで言うと、川越の喜多院にあるそうです。幼い頃、母を亡くした主人公は、継母が来たあと、実の母を探すようになった。そんなとき、おばさんが五百羅漢に連れて行ってくれた。この中にお母さんがいるから探してきなさい、と。そして彼は見つけました。母は、優しい笑顔で見守っていました。それ以後、継母を母と呼べるようになった。その記憶を、津波で亡くなった教え子のお父さんから、その子の子供の描いたお父さんの似顔絵を見せられて思い出す。
「また次の春へ」では、行方不明となった両親が密かに残していたメモリアルベンチが主人公を受け入れてくれる。その人は、どうしても死亡届を出せないでいました。自身に悪性腫瘍も見つかっていた。メモリアルベンチは、北海道のある町が、間伐材を使ったベンチを購入してもらうことで永く関わってもらおうと企画したもの。両親は名前しか入れていなかった。もっと言葉を入れられたのに、変に遠慮してしまって、それが親らしくて。ただそこは河原沿いで、春になるとサケが帰ってくる。桜も咲く。その場所を訪れ、気に入った両親と、主人公は確かにまた会うことができた。
どのお話にも血が通っていて、たくさん、浮かび上がってくるものがありました。
今、また必要とされることが増えるかもしれません。
私としては、どうしてこんなにしみる小説が書けるんだろうと、感嘆ばかりしてしまいます。
「想像力の貧しさ」を自覚することからでしょうか。
「帰途」にも触れたので、そんなに長い作品ではありませんので書き写しておきます。
出典は「戦後名詩選①」(思潮社、2000年発行)の87ページです。
帰途 田村隆一
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きていたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
重松清 著/文春文庫/2016
今年もよろしくお願いします。
と、言っておきながら、気持ちは沈みます。
「明けなければよかった」と、思っている人たちもいるでしょう。
正月の16時に震度7とは。
翌日に羽田空港での事故。
震災がなかったら。
なぜ、私が?
こんなとき、田村隆一の詩の一節を思い出します。
「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」(「帰途」の冒頭です)
人は言葉を覚えたから、意味を探す。
でも、その地震は言葉を持っていない。
人は、物語っていくしかない。
語って語って、やっと受け入れ難いものを少しずつ消化していく。
言葉があるからこそ苦しみ、言葉があるからこそ救われる。
実際には、言葉にできないことの方が多いかもしれません。
それでもアートやスポーツや、あらゆる手仕事に、気持ちを託すこともできます。
この本は、年末に少しずつ読んでいたものです。
この本も、仙台の3・11メモリアル交流館で出会ったもの。
重松さんの作品は、これで何作目かわからないほど。敬愛している作家の一人。
その人が、東日本大震災の被災地を度々訪問し、作品にしていたことは知りませんでした。
まさに今読むべき、私に必要な本でした。
一度読んだだけでは読み飛ばしたところがあるかもと思い、続けてもう一度読みました。
著者は言います。「想像力の乏しさは本書にも及んでいるかもしれない」と。
「読んでくださったひとの胸になにかを浮かび上がらせるよすがになってくれたなら、と願って、祈ってもいる」と。
私の中に思い浮かんだのは、取り組んでいる小説の主人公たちのこと。より具体的になって、描写が深化しました。
「トン汁」「おまじない」「しおり」「記念日」「帰郷」「五百羅漢」「また次の春へ」の7つお話が入っています。
どのお話にも印象に残る場面がありました。
どのお話も、どこかで震災が関連していて、喪失があります。
喪失の中で、それでも継続している何かがある。それがこの短編集のテーマとなっているのかなと思いました。
失われた世界で、何が残っているのだろう? 何が私たちをこの世界に繋ぎ止めているのだろう?
母が急に亡くなって、父が作ったもやしだけが入った「トン汁」。小学生の頃、一番の仲良しと交わした再会するための「おまじない」。津波にさらわれた同級生に貸していた本に挟まっていた手作りの「しおり」。被災地に送ったカレンダーに書き込んでいた「記念日」を修正液で消した跡。
「帰郷」には、お寺さんの一角にある絵馬堂が出てきます。そこに納められているのは、幼くして亡くなった子たちがせめてあの世で幸せな結婚生活を送れるようにと祈って作られた結婚式の絵や人形たち。中には合成写真を使っているものもある。「冥婚」というのだそうです。知りませんでした。
「五百羅漢」もまた未知の世界でした。釈迦の没後一年に集まった聖人たち五百人をモデルに作った仏像たちのこと。私の住んでいる近くで言うと、川越の喜多院にあるそうです。幼い頃、母を亡くした主人公は、継母が来たあと、実の母を探すようになった。そんなとき、おばさんが五百羅漢に連れて行ってくれた。この中にお母さんがいるから探してきなさい、と。そして彼は見つけました。母は、優しい笑顔で見守っていました。それ以後、継母を母と呼べるようになった。その記憶を、津波で亡くなった教え子のお父さんから、その子の子供の描いたお父さんの似顔絵を見せられて思い出す。
「また次の春へ」では、行方不明となった両親が密かに残していたメモリアルベンチが主人公を受け入れてくれる。その人は、どうしても死亡届を出せないでいました。自身に悪性腫瘍も見つかっていた。メモリアルベンチは、北海道のある町が、間伐材を使ったベンチを購入してもらうことで永く関わってもらおうと企画したもの。両親は名前しか入れていなかった。もっと言葉を入れられたのに、変に遠慮してしまって、それが親らしくて。ただそこは河原沿いで、春になるとサケが帰ってくる。桜も咲く。その場所を訪れ、気に入った両親と、主人公は確かにまた会うことができた。
どのお話にも血が通っていて、たくさん、浮かび上がってくるものがありました。
今、また必要とされることが増えるかもしれません。
私としては、どうしてこんなにしみる小説が書けるんだろうと、感嘆ばかりしてしまいます。
「想像力の貧しさ」を自覚することからでしょうか。
「帰途」にも触れたので、そんなに長い作品ではありませんので書き写しておきます。
出典は「戦後名詩選①」(思潮社、2000年発行)の87ページです。
帰途 田村隆一
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きていたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
重松清 著/文春文庫/2016
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