ぬかが和子の想い

区議会議員ぬかがかずこ(額賀和子)の日々の活動や出来事、感じたことを綴るページ

飯館村、浪江町、南相馬を訪ねてNO2

2014年10月23日 | 日記
今日は浪江町編ですが、まず腹ごしらえ。

食べる店が少なく、除染作業員などで宿泊施設も満杯の状況だそうで、案内をしてくれたSさんの個人的なつながりで準備をしていただきました。
当初1000円でお弁当…。
と思いきや、こんな素敵なお料理と、食後のコーヒーまで準備をしていただきました。


いよいよ浪江町に入ります。

浪江町は、原発立地に一番近い自治体です。
でも原発立地ではないため、原発マネーも受け取っていません。
事故直後、町長さんも含め東電からはいっさい連絡がなく、TVの報道で事故を知ったとのこと。
事故の時、東電社員は家族に、お友だち作戦を行った米は米軍兵に「なるべく遠くへにげなさい」と指示し、東京に来た東電や原発労働者の家族がたくさんいましたが
「我々浪江町民は、何にも知らされず、近くでうろうろと移動、避難を転々としていた」と案内のSさん。

長淵剛さんは「カモメ」という曲を書き、浪江のことを歌い上げています。支援にも入ったそうです。今でもこの曲を聴くと涙がでてしまいます。

街の入り口には検問があり、事故後3年半経った今でも、誰でもが街中に入れるわけではありません

この許可証があるので入れます。




被災地では、震災直後から盗難が多発。
だからこんな看板もありました。


様相が一変し、除染すらままならない現実がありました。


福島第一原発が視界の先に見えます。
あの原発さえなければ、事故さえなければ…自然災害だけなら…今頃復興へ着実に進めたのに…


左の方(かた)が案内をしてくれたSさん。
「今まで平穏に暮らせていたことがどんなに幸せだったか…」
「自然災害は納得できる、次に
 踏み出せる。でも原発事故は…」
「悪いことをしていないのに転々とし 帰れない」「悔しい…」

Sさんの言葉が胸に響きます。

Sさんは、浪江の漁師で、福島第一原発に一番近い地域の「9条の会」の世話人です。
 Sさんのおかげで居住者がいないと入れない浪江町まで入れました。Sさんは、事故前から「原発反対」を訴え、漁協からは「お前は何を言っているのか」と村八分にされそうになりながらも危険性を訴え続けてきました。不幸にも危惧してきた通りの事態に。その悔しさを思うと胸がつぶれる思いです。
「この現実を見て、多くの人に知ってほしい」の言葉が印象的で、決意を新たにしました。


同じ場所にて

私の地域から参加された方々と撮影

高村光太郎の智恵子抄で「本当の空がある」と言われた福島の美しい空(智恵子抄の空は安達太良山の上ですが)。お米も評判で「美味しい」と人気があがっていたそうです。
その農地はすべて荒れ野原に。こんなにきれいな空なのに。目に見えない放射能のために、東京に供給する電力の原発事故のために…
故郷を奪われた悔しさ。
「自分は悪いことをしていないのに。最初は仕切りのない体育館に避難。仮設住宅へと転々とし、故郷にも自宅にも帰れない。このつらさは体験してみないと…。宅地を買うことも新しい家をつくることもできない…」Sさんが淡々と語ります。

長くなったので今日はここまでです。



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