滋賀県東近江市の八日市散策。朝早くに着いてすぐに古い建物や町並みを巡る。施設によっては開いていないところ、営業時間開始前という場所もあり、多くは建物を外から眺めるだけになった。早い時間に「八日市ほんまち商店街」に行った後、散策を再開してから訪問したのは市役所など官庁が建ち並ぶ緑町にある食堂「甘党」。店内は土間にテーブル席が4つに小上がり席が2つとこじんまり。日曜ではあったが盛況だった。店名は”甘党”だが、品書きにそれらしきものは「クリームソーダ―」〔ママ〕くらい。昔は甘味処だったりするのかな。麺類、丼物、定食の他、オムライスやカレーなど洋食も少し。お願いしたのは「きつね丼」。
しばらくして「きつね丼」は蓋付きの錦牡丹の丼で運ばれた。蓋の上には黄色いたくあんの盛られた小皿がのっているという食堂での王道の提供スタイル。蓋を取ると中には、揚げ、長ねぎ、玉ねぎ、が玉子でとじられていて、上には刻み海苔。つゆの色は関西らしい淡い色付き。東海地方の古い麺類食堂なら大抵同様の具材で「しのだ丼」があるが、そちらは玉子でとじてはいない。色付きでは味も薄いかと思ってしまうが、そこはしっかり出汁も効いていて甘味もあり、物足りなさはなく旨い。途中でたくあんを挟みながらあっという間に平らげた。近辺に開いている食堂があまり無いからか、遅めの時間でもまだまだ客が入ってくるので席を譲って勘定してもらった。(勘定は¥680)
↓ 五個荘竜田町にある「淡海書道文化専門学校校舎(旧・淡海女子実務学校)」(大正時代建造)◇。元々は女子教育の場として創立された専門学校だとのこと。手前に校門と中華風の東屋(亭<ちん>)、奥に下見板張りの校舎が見える。枯れ木が目立つからかあまり現役感が無いがどうなんだろう。
↓ 近江商人「藤井彦四郎邸」(昭和9年・1934・建造)◇。元は迎賓館として建てられたそうで敷地内には洋館も建っていて回遊式庭園もあるらしいが、生活する主屋は質素なものだそう。現在は資料館として公開されている(開園前で邸内には入れず、洋館内部は窓から撮影)。なぜか敷地内には羊の像が点在していた。
↓ 五個荘金堂地区の「五個荘近江商人屋敷」を散策◇。3月初旬だったので用水には竹舟の雛人形が飾られていた(写真下2枚目)。風情ある建物が建ち並ぶ町並み。
↓ 「中江準五郎邸」(昭和初期建造)◇。呉服屋から始まり、戦前に朝鮮半島や中国大陸で20もの百貨店「三中井百貨店」を経営して財をなしたという中江勝次郎の生家。敗戦で対外資産の全てを失ったが、戦前は朝鮮半島で三越を超える売上規模だったとか。
↓ 「NIPPONIA 五個荘 近江商人の町 外村宇兵衛邸」(江戸時代末期建造)◇。現在は一棟貸しの宿泊施設として使われているようだ。用水の水を敷地内で利用できるようになっていて、この地域の他の邸宅でもいくつか見ることが出来た。
↓ 「外村繁邸」(江戸時代末期建造)◇。出自である近江商人の世界を描いた作家、外村繁の生家。こちらにも「入れ川戸」がある。
↓ 「弘誓寺」(宝暦3年・1753・建造)◇。国の重要文化財に指定されている。気になったのは境内南側の建物。用水端にタイルで出来た煙突付きの炉のような物が並んでいる。建物内に竃でもあるのだろうか。
↓ 五個荘竜田町の旧・中山道沿いに建つ「松居家住宅洋館(旧・五箇荘郵便局)」(大正14年・1925・建造、改修)◇。木造モルタル塗りの元郵便局舎。これ、現在住居として使われているということなのかな。中がどうなっているか観てみたい。国の登録有形文化財に指定されている。
↓ こちらも旧・中山道の武佐宿と愛知川宿の間にある茅葺き屋根の「片山半兵衛家」(建築詳細不明)◇。麻布類を扱う近江商人だったとか。普通にポストがあったので住宅として使われているようだ。
↓ こちらも同じく旧・中山道沿いにある呉服商人だったという市田庄兵衛家の本宅「萬松園」(明治初期建造)◇。裏手に廻ると一部洋風な意匠の部分(写真下3枚目)があるのが面白い。
お食事処 甘党
滋賀県東近江市八日市緑町2-5
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