㈱興電舎商事 社員のブログ

社員のひとりごと

岩戸神社 東・西本宮

2012-06-20 21:36:33 | 神話
 みなさん、ブログが静かですね。ネタ切れのようなので・・・ 古い話ですが。
思い出しながら・・・   まだ寒い頃の私達夫婦の会話です。
私のデジカメを操作して、写真を見ていた家内が突然
 嫁:「あれっ ここ いつ行ったの?」
 俺:「この前、バイクで行って来た。ずーっと前、子供達と一緒に行った時は
    俺は駐車場でモコ(愛犬)の番してて お参りしてなかったじゃん。
    だから今回 何十年振りかでお参りして来た。何か?」
 嫁:「ここで(天の安河原を指しながら)石を積みながらお願いすると
    願いが叶うそうよ。お願い事があるので、また行こうよ。」
 俺:「ハイ!了解しました!」敬礼こそはしませんでしたが、指示に従う私です。

 早速次の日曜日、岩戸神社へ またまた行って来ました。今度は二人乗りで。
えっ?バイク?・・・とんでもない!車で二人乗りです。

西本宮、入り口にあるアメノタヂカラオノミコトの像です。
 ご存知の通り、アマテラスオオミカミさんが岩戸に隠れていたのですが、外の
様子が気になって天の岩戸をちょっとだけ開けた所をこのタヂカラオさんが一気
に開いてアマテラスさんを外に連れ出したと言う力持ちの神様です。
 実はこれと似た状況が先日の社員旅行時にありました。
宴会終了後、自分の部屋を2次会の会場にされたくないS課長は部屋の内側から
扉を必死に押さえ、他者の入室を拒みました。諦めた数人のメンバーは別の部屋を
探しに散らばったのですが、私は息を殺しS課長が様子を見る為に扉を開けるのを
じっと待っていました。
 案の定、S課長はそっと扉を開けたのです。そこで、待ってましたとばかり手力男
の私が 開いたその隙間にすばやく足を入れたのでした。
お陰で、S課長の部屋が2次会の会場となりました。
してやったり!

 脱線しましたが・・・
ここは例のパワースポットです。橋の上で手をかざすといいと聞き、やってみます。



う~ん。霊感ないなぁ~。感じません。

天の安河原です。石を積んで願い事してます。



家内も私同様、この場所が天の岩戸と思っていたようです。この日に勘違いに
気付きました。良かった!良かった!これで夫婦ともども1つ利口になりました。

 時間があったので、先日行けなかった川向うの東本宮へ行きます。
西とはうって変わって寂しい限りです。
急な坂なので、お年寄りには厳しいでしょうね。裏には ご神水が湧き出ていました。














ここには、日本初、いや世界初?のストリッパーと噂?の高い(理由はわかりますよね。割愛)
アメノウズメさんの像です。

 どうなのでしょう。まちづくりの1つとしてここでストリッパーサミットでもやったら。
別にいやらしい意味ではなく、文化の伝承、芸術?古事記編さん1300年記念の発信?として・・・ですよ。
お堅い 県 がやるとマスコミ受けするかも???





愛宕山(展望台)

2012-03-28 12:38:06 | 神話
 古事記にも出てくる この笠沙のみさきと言われるところは
ここだけではなく、鹿児島にもあります。
(またかよ~ って感じですね)
鹿児島の薩摩半島に南さつま市がありますが、そこに笠沙町と言う
町があり、そこでも笠沙みさきの伝説があるようです。

 ところで、ここ愛宕山は展望台があり、延岡市内が見渡せます。
私は、遠方からお客さんがみえて、時間がある時はここ愛宕山に登り
市内を見て頂き、あと旭化成さんの展示場へ案内する事にしてます。


 展望台入口には延岡ロータリークラブの50周年記念で寄贈された
五ヶ瀬の鮎をかたどったレリーフと この五ヶ瀬川を題材にした
延岡の歌がセンサーで反応して流れる仕組みがあります。



 この曲を作った小坂恭子さんはあの『思い出まくら』を歌った日南出身の
シンガーソングライターですよね。(古い方はご存知と思います)
多分、ヤマハのポプコン出身で、当時ヒット曲の多くは あのポプコンで
賞を取った方々の歌が占めていたような気がします。
 この『五ヶ瀬の流れに』はとても良い曲で個人的にも気に入ってます。
市内の行事などでは時々流れる事もあります。
 延岡市民は、村田英雄さんが歌った『ばんば踊り』
♪ 鐘ぇ~がぁ~鳴ぁ~る鳴ぁ~るううう、城山の鐘ぇ~が~♪
の次に好きな歌と言っても過言ではないのではないでしょうか。
 あっそうそう、あとマラソンをテーマにした『ウイニングラン』も
歌ってますね。(延岡はマラソン強かったですから・・・)


北を見たところです。
旭化成さんの1火力、2火力の発電所の煙突が見えます。
旭化成さんは火力、水力併せて十数万キロワットの発電所を持っています。


西側です。この奥に神話の故郷、高千穂があります。車で1時間程度です。


東側です。
先日紹介した3火力の煙突が見えます。ずーっと日向灘です。
見える範囲は砂浜が続きますが、北の方はリアス式の海岸で 某釣り人には
絶好のロケーションです。


こちらが南向きです。
宮崎方面となります。


そして、このほぼ下になりますが・・・
我が興電舎グループが見えます。


 この水色の長い建物が興電舎本社工場、その右の白い建物が本社事務所。
そしてその右、空き地(駐車場)を隔ててある白い建物が我が興電舎商事の
本社事務所です。ジャジャーン!
 JR南延岡駅から徒歩15分、日豊線沿いですから電車の窓からよく見えます。
お近くに来られた際はぜひお立ち寄り下さい。

 ところで、ここからの夜景は県内で唯一夜景百選に選ばれていると聞いて
います。今寒いので写真は取りませんが まぁ暇があればそのうちに紹介
しましょう。

愛宕山(笠沙のみさき)

2012-03-26 22:18:23 | 神話
 神話のカテゴリーで今まで いくつかブログに載せて来ました。
中には宮内庁の認定したやつや、同じく宮内庁が「う~ん。微妙だから
参考地にしよおっと!」(本当そうなのかは分かりません。私の想像です。)
としたもの。または観光協会が決めた所とさまざまです。
 今回のは・・・
市民の会が提唱し、市が認めた?のでしょう。
延岡にある可愛山稜以外の神話がらみのスポットを紹介します。

それは愛宕山です。
南延岡駅の西側にある標高251mの山です。


弊社から


愛宕神社入り口


愛宕山登り口



駐車場です。


展望台への階段

なな何?この黄色の旗は?


そうなんです。これなんです。神話がらみとは・・・。
天孫”ニニギノミコト”が ”コノハナサクヤヒメ”と出会った地、
ここが 笠沙のみさきだと言うのです。


展望所に出会いの聖地と言う事でこんなんが作られてます。











かぎでガッチリつながってもう離れないと言う事ですね。
結構それなりのスポットになってます。





吾平山稜 あいらさんりょう (高千穂)

2012-02-26 11:05:17 | 神話
 まぁ 皆さんにとってはどうでもいい事なのでしょうが、私にとっては
一大感心事で、吾平山稜を探しに再び高千穂へ行って来ました。
 高千穂温泉の裏辺りというのは掴んではいます。
先日、行きかけて途中で引き返した地点まで行き、そこからゆっくりと
進んで行きました。看板があるのでは?と期待して通りましましたが
そんな物見当たりません。とうとう元の218号線に出てしまいました。
 しかし、今回はそんな事もあろうかと高千穂の資料館を調べています。
218号線を走り、武道館に横の資料館(高千穂コミュニティーセンター)
に到着です。



中へ入ってみます。2階に展示場があるようなので入場料払って見てみました。



石器時代から現代までの物が展示されてます。中には戦時中墜落した米軍の
爆撃機の破片もありました。
一通り見て回り、1階に降り受付の職員さんに吾平山稜について尋ねましたが
ご存知ではないようでした。
あらっ?期待はずれ!
仕方なく、先ほど来た道を今度は逆に走って見る事にしました。

そしたら ・・・ なにやら それらしきものが
あった!ありました。ここでしょう
来る時は後ろを振り向かないと分からないし、何と言っても民家の隣で
したから気づかなかったようです。



登って行きます。


登りきりましたが何にもありません。

はるか向こうに何かあるような気もします。
再度バイクにまたがり、その地点を目指します。
やった、ありました。ここです。



鹿児島は宮内庁が正式に認めているようですが、ここは残念ながら観光
協会レベルでした。


文献にはひむかの吾平山稜と書いてあるらしいのですが・・・。
残念です。
しかし、見つけて良かった!良かった!
これで気がかりが1つ無くなりました。



可愛山稜(えのさんりょう)

2012-02-18 18:36:07 | 神話
 神話では【ニニギノミコト】が高千穂に降臨して来とあります。
だったら県北に【ニニギノミコト】由来の何かないだろうかと思って
いたら・・・ ありました。

ここです。可愛(えの)山稜と言います。




【ニニギノミコト】のお墓と言われているところです。
ただ、これも鹿児島にも宮内庁が認めた山稜があるようです。
では ここ北川のものは 何?・・・。それは 写真をご覧ください。

10号線、延岡の市内を抜け、北川方面に行く途中にあります。
西南戦争の際、西郷隆盛がこの場所で陣を張ったという所があります。





ここの見学は次回に廻すとして・・・、この裏になるのでしょうかぁ・・。


あった! ありました。



この野口雨情の詩がいいですね。誰? のぐちあまのじゃく と言ってるのは。
のぐちうじょうですよ。有名な方ですよね。童謡のしゃぼん玉とか赤い靴、
七つの子等の作詞をした方です。
何か寂しそうな、憂いのある歌詞と曲が今でも心に沁みついてます。



この地に来られたのでしょうか。『心して吹け 朝風夜風 ここは日向の
可愛の山稜』。いい詩ですね。

ここかぁ~









宮内庁の指定ではなく参考地となってます。微妙です。

言い回しも微妙ですが、この作りも実に微妙です。
左側はそれなりにブロックが気持ちですが積んであるのですが、



右側は途中で途切れてまして 簡単に中に入れます。
中に入って撮った写真です。



標識も立ち入り禁止ではなく、みだりに立ち入らない事となってまして
微妙です。
だって写真には写ってませんが、この後ろには民家が見えますもの。

指定地と参考地の差は天と地の差がありますね。

なぜ、鹿児島と宮崎に同じようなものがあるのでしょうね。
まぁ それなりの理由はあるようです。

それはともかく、これも もっとPRすればいいのに。
と 思いました。

天岩戸神社

2012-01-31 20:01:30 | 神話
 神話、高千穂 と言えば 外せないものの1つにこの天岩戸神社が
あります。
 天岩戸の神話はみなさん良くご存じなので割愛しますね。
写真だけ見て下さい。(今回は西本宮です)



当日駐車場は結構多かったのですが こういう時、バイクはいいですわ~。
どまん前に停められて。(勿論、交通誘導員の方の指示です。)






私もここに来たのは何十年か振りです。







天安河原


神様達が集まって話合いをしたところだそうです。
やはりここは それなりの雰囲気ありますよね。
私は昔 ここが天岩戸だと思ってました。











 ここです。
江原某氏がパワースポットと言った橋です。

残念ながらパワー感じませんでした。

 先日鹿屋の吾平山稜を紹介し、高千穂にも同じものがあるらしいとお話
しておりましたが、実はこの後、高千穂の吾平山稜を探しに行きました。
しかし、分かりませんでした。看板くらい出ているだろうと思ったのですが
見つけられませんでした。
次回、もう1度吾平山稜を探しに高千穂に行く事にします。


お船出の地(美々津)

2012-01-25 22:10:44 | 神話
こんにちわ。
神社・仏閣・パワスポ担当で~す。・・・ってか?
一応、カテゴリーは神話のくくりでお届けします。

 今回、神武天皇東征お船出の地 美々津へ行って来ました。


天孫【ニニギノミコト】が高千穂に降臨し、その後二代目【ホオリノミコト】
(山幸彦)、三代目【ウガヤウキアエズノミコト】と代々勢力を伸ばしていき
4代目【カムヤマトイワレヒコ】(神武天皇)の代になって『こんな西の果て
の田舎じゃぁダメだ!東のもっと豊かな いい土地で一旗上げよう』と言った
か どうかは知りませんが、この港から出て行ったそうです。
 この時、宮崎県内の優秀な人材を全て引き連れて行ったから、その後の
宮崎には・・・と言う方もおられます。
うちの家系も東征に一緒に行けなかったくちです。・・・・。
冗談ですよ。もちろん冗談。軽く流しましょう。


ここは美々津町並保存地区に指定されており、ほんと・・・ここだけ時間が
止まっているような気がする街並みでした。


暖かい午後のひと時 恐らくご夫婦でしょう 中年のカップルがちょうど、
街並みを散策してました。何だかほんわか ほっとするような光景でした。
(さすがに写真は撮ってませんが、いい雰囲気でした)

 私は街中をバイクでくるっと回り10号線の橋の上からよく見える神社を
目指します。
最初に目についたのが・・・・







神武天皇が兵隊さんを連れて船で出て行ったところですから 考えように
よっては そう・・・海軍なのでしょうね。
 昭和15年、皇紀2600年の記念事業の1つとして昭和17年、皇紀26
02年太平洋戦争の最中建てられたようです。
しかし、戦争で負け進駐米軍から壊された物を昭和44年に地元有志が防衛庁の
協力の元、再度建て直したと書いてありました。
 神話というよりそれを軍事的思想に利用した物と言えばそうでしょうが日本に
限らずどこの国でも宗教と戦争は深い関係があるように思えます。
ちなみに今年は皇紀2672年になります。

神話の香りの残る物は・・・ と言うと・・・
この立磐神社でしょうか。







この右側手前にある石に神武天皇が腰かけ指揮を取ったと言われているようです。
触ってくりゃ 良かった。(後で知りました)

みなさん!近場でパワスポあったら紹介して下さい。
先行き???の時代 こうなりゃ、神頼みだ!





吾平山稜(あいらさんりょう)

2012-01-11 20:20:08 | 神話
 昨年末、鹿屋の吾平山稜(あいらさんりょう)へ行ってきました。
または吾平山上稜(あいらやまのうえのみささぎ)と読むと思います。
実は弊社のお客さんの会社のすぐ近くにあり、何だろう?と興味のあった場所です。
 ここは神武天皇の両親、【ウガヤフキアエズノミコト】と【タマヨリヒメ】
のご稜です。仕事で近くを通らなかったら全く知らなかった場所です。



 ちなみに【ウガヤフキアエズノミコト】の父親は【山幸彦】または【ホオリノミコト】
と呼ばれてます。
延岡人にはどこかで聞いた名前のような気がします。
そうです”ほおり川”や”ほおり町”と同じじゃん!
しかし、関係あるかどうか知りません。
ただ、【ホオリノミコト】の奥さんは【トヨタマヒメ】と言いますが、高千穂に
”祖母山”って山があります。その【トヨタマヒメ】と”祖母山”は何か関係
あるそうです。聞いたけど忘れましたが・・・。

 神武天皇からは【トヨタマヒメ】は おばあちゃん、そうです、祖母にあたる
ので”祖母山”と名前が付いたと聞きました。地名の由来って面白いですね。
しかし、だったらその近くにご稜があってもいいような気がしますよね。

うちの宮崎営業所のある木花(きばな)も【コノハナサクヤヒメ】の生れた所か
ら付いた名前だとか・・・。どうだとか・・・。

 話は戻ります。途中、橋を2本?3本?渡って行きます。



確か最初の橋の名前は鵜戸橋と言い、ご稜のある山を鵜戸山と言うのだと思います。
(宮崎県人は どこかで聞いた名前でしょ)

紅葉がきれいでした。



どんどん、


どんどん


奥まで歩いていくと・・・



見えてきました。あの洞窟です。


この最後の橋の部分は立ち入り禁止です。

たまたま私一人で他には誰もいません。静寂の中、張り詰めた空気、何か神聖なものを
感じました。

 実はこの吾平山稜・・・ 宮崎にもあるみたいです。
1つは高千穂(ねっ!さっき言ったでしょ!)もう1つは日南、鵜戸神宮の所です。
今度、その2つを訪問してみようと思います。

 そこを見終え、帰り道、何気なく走っていたら・・・アレっ?と見過ごしかけた
表示があり後戻りしました。


これ です。


これ・・・日向の美々津にもありますよネ。
神武天皇お船出の地 です。
あらら!これもまた美々津を見に行きましょう。
(実は美々津は近い所なのですが、いつも素通りの場所です。これを機会に
ぜひ訪問してみます。)





江田神社

2011-12-12 19:59:56 | 神話
 市民の森の南側にあるのが江田神社です。
本殿まで玉砂利をザックザック言わせて歩いて行くと途中、
ご神木があります。





TVに出ていた江原某氏がパワースポットだと言った木だと思います。
早速タッチ。(写真撮るの忘れました)
 以前、この神社でミニチュアの矢の形のお守りを買った事があります。
車の運転席のサンバイザーに挟んでいたのですが、6・7年前事故に
遭いました。



 上り坂のカーブで(相手は下り)対向車の10tダンプがスリップし
真横になって私の車に激突。座席上部が削り飛ばされるか?と身を伏せ
ましたが運よくダンプは運転席ドア部で止まりました。



車はダメになりましたが私はかすり傷ひとつありませんでした。
運転席のこのお守りのお陰と 今でも思ってます。
 私の前を走っていた車は微妙にすり抜けたと思ったのですが数m先で
止まってました。運転手はうずくまってました。
ダンプがその車に接触したお陰で私への衝撃は緩和されたようでした。
 あまりに運が良かったのでその日時の数字でロト6買いましたが見事に
外れました。恐らくこの件で私は一生分の運を使い果たしたのでしょう。
 ご先祖さまと神様が私を守ってくれたのにロト6を買った私は何とバチ
あたりなのかと我ながら情けなく思います。

 話は戻りますが、ここに例の【イザナギノミコト】と【イザナミノミコト】
が 祀られてます。
勿論、私が6・7年前の御礼をしたのは言うまでもありません。


みそぎ池

2011-12-07 23:22:57 | 神話
ゴメン!TAMさんとかぶってしまいました。

だけど今上げないとずーっと忘年会ですから上げる暇ありません。
ブログ上げます。以前話していた神話ネタです。

 宮崎まで行って来ました。
場所は宮崎市阿波岐原にある みそぎ池 です。


神事で祝詞に出てくるところです。
『ちくしの ひむかの たちばなの おどの あわきがはらの
・・・・・ はらいたまえ きよめたまえ と ・・・』の 場所です。





 神話では日本の始まりは 【イザナギノミコト】(男)と【イザナミノミコト】(女)
と言う夫婦の神様からです。
地球が出来た頃、天から棒のようなもので地球の水?(泥水?)をクルクルかき混ぜ、
ポタッと落ちたところが島になって行き、そうやって落としたしずくで日本の島々が
出来たとされます。これを大八洲(おおやしま)と言い日本の事です。
 その後、この夫婦の神様で色々な神々を生んで行きますが、最後に 火の神様を
生んだ際に この火で火傷をして【イザナミノミコト】が死んで、黄泉の国に行って
しまいます。
 嘆き悲しんだ夫の【イザナギノミコト】は黄泉の国に行き、妻の【イザナミノミコト】
を連れ帰そうとします。
 しかしそこで絶対見ないでくれと言われた妻の姿を見た時、
【イザナミノミコト】は無残にも腐れかけた姿をしていました。
よくも見たな!と言う事で【イザナミノミコト】が追いかけて来ます。
それを からくも逃れ下界にたどり着き、けがれを落とそうとしたのがこの場所です。
 ここで清めている時に、【アマテラスオオミカミ】、【ツキヨミノミコト】、
【スサノオノミコト】が生れたのです。
天孫降臨のまだ前の話です。


石碑にその説明があります。


みそぎ池 または御池と言います。



ご存知の通り市民の森の北側にあります。
市民の森病院の向かい側です。