岡山城へ行った時の様子をまとめました。
天守閣は、1931年(昭和6年)に当時の国宝(現行の法律では重要文化財に相当する。)に指定されていましたが、太平洋戦争での岡山空襲によって、1945年(昭和20年)6月に消失しました。その後1964年~1966年(昭和39年~昭和41年)に天守閣は、再建されました。
天守の正面です。構造は4重6階で鉄筋コンクリート造りで再建されています。天守閣の入り口は、再建された現在の構造では、天守台の石垣を切り取った形で設けられています。消失前の当初の天守閣では、正面左側にある白壁の建物“塩蔵”から入って階段を上って行くのが登閣順路になっていたようです。現在の入り口は再建する際に天守台の中に新設されたもので、正面を入ってすぐの、岡山城の案内表示では「地階」と呼ばれている空間も存在していなかったようです。
平成5年の発掘調査で発見された、築城当時の石垣です。
天守閣は、1931年(昭和6年)に当時の国宝(現行の法律では重要文化財に相当する。)に指定されていましたが、太平洋戦争での岡山空襲によって、1945年(昭和20年)6月に消失しました。その後1964年~1966年(昭和39年~昭和41年)に天守閣は、再建されました。
天守の正面です。構造は4重6階で鉄筋コンクリート造りで再建されています。天守閣の入り口は、再建された現在の構造では、天守台の石垣を切り取った形で設けられています。消失前の当初の天守閣では、正面左側にある白壁の建物“塩蔵”から入って階段を上って行くのが登閣順路になっていたようです。現在の入り口は再建する際に天守台の中に新設されたもので、正面を入ってすぐの、岡山城の案内表示では「地階」と呼ばれている空間も存在していなかったようです。
平成5年の発掘調査で発見された、築城当時の石垣です。
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