おいちゃんの田舎暮らし日記

定年になって田舎で小さな小屋を作りながら暮らしています

帰宅困難者

2011-04-27 19:23:15 | 日記
昨日は雨、今日も雨の予報だったので昨晩山から愛知の自宅に帰った
 しばらく家に帰っていなかったので銀行に行ったりいろんな支払いの手続き、ワンコの散歩や洗濯までした。4時頃から雨、風今夜から明日朝にかけて東海地方は強雨の予報
 
おいちゃんはこの3月まで東京で単身赴任生活を、7年間送った。
 
3月11日14時46分頃発生した東北地方太平洋沖地震の時、東京駅近くの丸の内側のビル7階に居た。
10名ほどで会議中だったが仙台の人の携帯電話が突然鳴った、少し話してから、今仙台で大きな地震があったらしい、っと言い終わるかどうかの時突然大きな揺れがこのビルにも起こった。
 
驚いた、こんな大きな揺れはこれまで体験したことはない、揺れは続いている、とりあえず携帯でテレビを見た。すごいことになっている、ここもビルが揺れ続けている東京は震度5だという、さてどうするまだビルは揺れている外を見るともうすでに結構な人々が外に出ているのも見える。
 
こういう時は建物の中にいた方が安全なのだと誰かが言った、しかしおいちゃんは建物の中にとどまるのは無理だと思った。
ビルが倒壊するとすれば中に居るのはいやだ、ビルの谷間に居て瓦礫の落下にやられる確率は高いが自力で避ける事が可能かもしれない。
 
恐怖は震度5で終わるのか6になるのか7になるか次の予想がつかないところである。もう外に出ようと決意し、ビル中央部にある階段を駆け下りた。一階には結構な人が居たがそれほどバタバタしている様子はない。
 
丸の内側には比較的新しいビルがあり現在建築中のビルも何棟かある。ビル群を見上げると建設中のビルのトップにはクレーンが設置されている、余震のあるたびにこのクレーンが数メートル(だと思う)は揺れている、いつ吹っ飛んでも来ても不思議ではない揺れだ。
 
もし今この様なものが落下してきたらJRの高架下に逃げようとなるべく高架寄りを歩いた(これが正解かどうかは不明だが・・・)
 
どこに行くか、このあたりで建物がないところは皇居だ、皇居の方に行くことにした。
皇居外苑と言うのか皇居前の広場で松の木の植えてあるところまで来た、とりあえず上から落ちてくるものはない、このあたりにはすでに近くのビルから退避してきたサラリーマンたちが大勢いる、ヘルメットを被っているものも結構いる。
 
しばらくこの場所で様子を見ることにした。車は動いている、ニュースでは道路も渋滞を起こし始めているらしい。目の前にタクシーが止まっており運転手も避難している様子、少し年配のご夫婦がこのタクシーと交渉しているが、運転手が言うのには今はお客を乗せてはいけないような指令が本部からきているので無理だとか言っている。
 
言うまでもなくこれくらいの地震が来たら交通機関は全滅だ、ホテルもむりだろう、これからどうする?地震が収まったら先ほどのビルに帰って泊めてもらうことは可能かもしれない、しかしもうホテルも含めて高層ビルの中に入るのはいやだ。田舎者のおいちゃんは高層ビルは苦手だ、非常の場合の逃げ口が限られているからだ、アパートも2階に住んでいる。
 
 
幸い今朝は少し寒かったので、裏付きのコートと厚手の手袋、マフラーを持参していた。この天気だとこのまま公園で夜を明かすのも無理ではないだろう。しかしどこかないだろうかと二重橋方面に向かって歩いて行くと、大きなバス駐車場があり平屋作りの待合室のようなものがある、中に入るとかなり広いし簡単なレストランにもなってるような建物であった。外にはトイレもあるし自動販売機もあり電気も点灯している。
 
ここで避難できたら十分だと思った、他にも同じように帰宅困難者となった人たちが数名いた。今から歩いて帰れるところまで帰ろうかと一瞬思ったがあったがそのようなエネルギーを使いたくない、もうすぐ夜にもなる。明日になれば何とかなるだろう、
 
 
その建物の中に入って椅子に座っていた、他にも数人居た、支配人のような人が来てどう対応したらよいのか困惑しているようだった、ここは公共の施設のようだ、従業員もいるし当然今日は皆自宅に帰る事はできないだろう。
 
 
そのうち夕暮れがせまると同時にこの建物には多くの人が集まってきた。この状況でこれだけの人がすでに建物内に居るのに今更出て行ってくれとは言えないだろう、先の支配人のような人がスピーカーで、この施設は避難場所として提供させていただきますので使ってもらって良い、というようなアナウンスをした、責任者に正式に許可を得たのだろう。皆から自然と拍手がわいた、
 
100名近い人が居た、夜はもっと人数が増えていたようだ。携帯テレビでニュースを見ていたら少し年配のご婦人から声をかけられた。私は秋田から来ているんだが秋田方面の状況はどうでしょうか?と言われた。テレビでは東北、太平洋側の災害を主に伝えていたので秋田は比較的大丈夫のようです、ご婦人は大変心配されたことでしょう。
 
 
自動販売機も動いていたし、コンセントもあったので混んではいたが携帯の充電もできていたようだ。おいちゃんは予備のバッテリーを持っていた。
夜中も余震が頻繁に起こり、その都度皆の携帯電話の災害避難警報が鳴り、皆が一斉に外に外に出ようとしたり外に出た。一夜のうちにそれを何回繰り返したことだろう、この建物は平屋建てなので倒壊する事はないだろうが天井の落下はあるかもしれない、壁や一部の構造物が割れているようなところもあった。
 
 
ほとんど眠る事も出来ないまま朝が来た、幸い地下鉄など交通機関も動いているものもあり、徒歩で行動する人もいるだろう、避難している人数もだんだんと減ってきた。その施設の人からアナウンスがあって皆さんへの食べ物は出せませんが、今から味噌汁を配りますのでよろしかったら召し上がって下さいとのこと、これだけおいしいと感じた味噌汁はなかった(感謝)。
 
東京に勤務しているみなさんどうなったのか?皆無事なのか?一部の人にはメールで確認した。家族や親せきの者から安否確認のメールがあった。携帯はなかなかつながりにくかったが、メールは何回かやると送信できた。
 
早朝は何かと込み合うだろうと予想して、だいぶん遅く時間をずらしてアパートに帰るべく東京駅に向かった。一度はこのまま名古屋に向かって新幹線で帰ろうかとも思ったが、新幹線に乗るのも今はなんだか不安だ。
 
 
東京駅の朝は当然すごく混雑していた、JR総武線の乗り場まで行ってみようと改札を入り地下3階に向けて降りて行ったが、すごい人だ、大勢の人達だがきっちりと列を作って皆並んでいた。この電車は千葉方面に向かうメインのJR線なので込み合って当然だ。もうこの電車はあきらめよう、地下鉄で行けるところまで行って後はタクシーや徒歩覚悟で帰ることとした。
 
 
地下鉄や地上の電車は動いていても間引き運転で、ものすごく混んでいた。何台か列車をやり過ごしやっと隙間がありそうな列車が来たので乗った、なんとかアパートに帰りつく事が出来た。
 
古いRC造りの3階建アパートであったが建物は無事で、戸も開けることができた、机の上の本が少し落ちていた程度で電気もガスも出る、ひび割れているようなこともない、とりあえず問題ないだろう。
 
近所のコンビニに行った、ご飯類やパン類は一切売り切れでお菓子のようなものだけだった。かみさんから電話があり新幹線が動いているらしいのでそのまま愛知に帰ってきたらどうか?と言う。よく考えるとこれから先通勤するとしてもどうなるの?定年も近い、それほど重要な仕事を抱えているわけでもない。会社には申し訳ないが一旦愛知県の自宅に帰らせてもらうこととした。
 
 
続きは次回に


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