The Notebook Of Things I Don’t Know About

日々遭遇した出来事について、あれこれ考え、想像してみる。
ユーモアを添えて...。

「人は探求をやめない。そして、探求の果てに元の場所に戻り、初めてその地を理解する(T・Sエリオット)」

2010年12月30日 17時29分19秒 | 人々

映画『フォッグ・オブ・ウォー(2004年)』の中で、エロール・モリス監督はマクナマラの言葉を通して〝キューバ危機での核戦争ギリギリの局面、東京大空襲や原爆投下の犠牲の背景、ベトナム戦争の泥沼化への道、ケネディー大統領の苦悩やジョンソン大統領との対立〟を映し出す。映画の最終局面、インタビューの中で、ロバート・マクナマラは次の詩を引用し、自らの心境を語った。

どんな司令官も戦争の際にミスを犯している。〝フォッグ・オブ・ウォー〟戦争は霧の中の存在だ。戦争は複雑で、すべての変化を読むことは人間にはできないという意味だ。我々の判断力や理解力には限界があり、不必要な死者を出す。ウィルソンは〝戦争をなくす戦い〟と言った。私は戦争をなくせると思うほど単純ではない。人間の本質は変わらないだろう。人間には理性があるが、それだけでは不十分なのだ。T・S・エリオットの詩にこんな言葉がある。
「人は探求をやめない。そして、探求の果てに元の場所に戻り、初めてその地を理解する(T・S・エリオット)」
ある意味で今の私がそうだ。(映画 フォッグ・オブ・ウォーより)

マクナマラがこの詩を口にした時、彼の心中に去来していたものは何か、本人の口からそれは語られることは映画の中では無かった。第二次世界大戦の頃やキューバ危機の頃の話について、いくつか裏話を語ってくれてはいるものの、ベトナム戦争の泥沼化についての問いかけ、なぜ戦争に反対しなかったのか、マクナマラ自身の戦争責任についての問いかけに対 しては強い嫌悪感を抱きつつ、次のように語った。

〝多くの人があの戦争を理解せず-、私のことを理解せず、口汚く非難する。〟〝複雑な問題なのでこれ以上語れば、後で補足や修正が必要になる。-私は語らないほうを選ぶ。〟

 
映画『フォッグ・オブ・ウォー』より          ジョンソン大統領とマクナマラ

この言葉を聞くと、サイゴン陥落後、35年たった今も、ベトナム戦争という存在が、アメリカにどれほどの暗い影を落としているのか、理解できる。マクナマラの自身の沈黙、それ自体が、彼の〝探究の果ての、その地〟の意味に、晩年になって、ようやくたどり着いたということを表しているのだろうか?

アメリカ合衆国自体は、〝その地〟の意味を理解しただろうか?冷戦後の1991年以降、アメリカは、湾岸戦争、ソマリア派兵、イラク空爆、ハイチ派兵、ボスニア・ヘルツェゴビナ空爆、スーダン空爆、アフガン戦争、イラク戦争など立て続けに他国に軍事介入している。しかし、2008年に希望の光が見えた。オバマ現大統領だ。アメリカ合衆国の大統領がオバマになり、そして、プラハ演説で〝核なき世界〟を高らかに呼びかけ、2009年のノーベル平和賞を受賞した。アメリカもその他の国も何かしら〝CHANGE〟するかに見えたのだけれども...プラハ演説のスローガンは、あくまでも理念を〝高らかに〟謳っただけであった。現実はそんなに甘くはなかった。現在もアメリカの核関連の軍事費は微増している。

私は戦争をなくせると思うほど単純ではない。〟

たどり着いた〝その地〟がこの言葉の意味するところだとすれば、あまりにも空しい...だけども、これが現実...。



エリオットは前述の詩を表した、長編作品『四つの四重奏』で次の詩も表した。

〝 What we call the beginning is often the end
     And to make an end is to make a beginning. 〟

〝 いわゆる始まりは、しばしば終わりであり
                                   終わることは始めることである。 〟


さあ、2010年が終わり、2011年が始まろうとしている。、新しい年のスタート。〝 exploration 〟、探究の始まり、全力を尽くしての探究でなければ、到底、果てには到達しないだろう。

意味を問うな!目の前のことに全力でぶつかれ。物事の意味は、きっと、探究の果てにしか存在しないのだから。


最新の画像もっと見る