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ゴーマニズム宣言 新戦争論 1―(3)

2015-08-31 05:45:35 | ⑤エッセーと物語
(2のつづき)

(4)2月(2004年)――日本の陸上自衛隊本隊がイラクのサマワに派遣。
   自衛隊は「復興支援」の名目で、「非戦闘地域」(?)に行くという
   ごまかしで派遣されたが、オランダ軍に守られる屈辱を味わったようだ。
   だが、幸いイラク人からは、「日本は米英とは違う。イラク人には
   武器を向けることもなく、復興の手助けをしてくれた」と感謝された。
   
   「集団的自衛権」で行ってないからこその評価かもしれない。

   4月8日――イラク、日本人人質事件が発生。
   政治家も自称保守派も「自己責任」と言いだした。

   4月28日――アブグレイブ刑務所において、米兵のイラク人に対する虐待が
   行われていた事件の第一報がCBSで報道される。

   米兵が中東の価値観をまったく理解せずに、占領している実態が暴かれた。
   アラブ人の反米感情は高まる一方だった。

   6月2日――イラク暫定政権発足。

   8月上旬――多国籍軍と、ムクタダ・サドル率いるシーア派民兵団
   「マフディ軍」の間で、大規模な戦闘勃発。

   9月13日――パウエル米国務長官、イラクの大量破壊兵器についてこう表明した。
   「いかなる備蓄も見つかっておらず、この先も発見されることはないだろう」

   9月28日――ブレア英首相、大量破壊兵器情報が誤っていたことを認め、謝罪。

   10月6日――イラク調査団の団長チャールズ・デュエルファーは、開戦時イラクに
   大量破壊兵器は存在しなかったという最終報告を提出。
   続々、自らの誤りを認める米英の様子が伝えられたが、
   日本の政治家・自称保守派の言論人は、だんまりを決め込んだ。
   何のための戦争だったか?何のために人を殺したのか?
   それを考える気は全然ないようだった。

(自らの過ちを認めない、誰も責任を取らないのは、日本のお家芸なのか!

 佐野研二郎さんが制作した2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレムが、
 使用を中止して取り下げられることになった。
 2015年9月1日の記者会見で、組織委の事務総長・武藤敏郎さんは、責任の所在を
 問われていた。
 【責任は全員で分担します】・・・一見、良識ある回答のように思わせて、
 なんという無責任な!
 この甘さ、このゆるさが、日本を筋の通らない国にしてしまったのではないのか!
 誰も責任を問われることがないから、その場限りの無責任なことが平気でできるのだ。
 【赤信号、みんなで渡れば怖くない】
 このいい加減体質、自己保身体質が日本全体を覆っているように、私には思えてならない)

   11月8日――夜明け作戦。米軍とイラク政府軍の連合部隊が、
   ファルージャへ再侵攻し、数日をかけて制圧した。

   11月16日――モースルの武装勢力掃討のため侵攻。

   12月1日――治安悪化と選挙に備え、米軍を1万2000人増派。
   13万8000人から15万人態勢となる。

   12月29日――米軍が選挙対策のため、バグダッド南部とバビロン州北部で、
   武装勢力の殺害と拘束を目的とした約1カ月の大規模作戦を開始。
   中西輝政ら「恐米派」が誇らしげに言っていた「イラク戦争の短期終結」は、
   完全に幻だった。

   もう一度言う。「戦闘」と「戦争」は違うのだ。
   国軍がなくなってもゲリラ戦は続けられる。
   戦闘員と民間人の区別がつかないから、ゲリラ戦が最も恐ろしい戦争である。

   2005年、イラクでは年明けから反選挙テロが相次いで、市民の死傷者が多数出る。
   治安状況は2005年から2007年頃が極めて悪く、大勢のイラク人が
   国外避難していた。

   3月3日――米兵の死者が1502人となる。米国では軍入隊志願者が急減し、
   定員確保が課題となる。

   3月16日――選出議員による初の国民議会が開催。

   3月31日――アメリカの独立調査委員会が最終報告書を発表。
   開戦前のCIAあるいは英情報機関の判断はほとんどすべて完全な誤りだったと結論!

  ●米英では「独立調査委」まで作ってイラク戦争を検証するが、日本では何もやらない。
   むしろ、この時の外交交渉の経過文書を日本政府は隠しているくらいだ。

   4月28日――移行政府が発足。大統領はクルド人のジャラル・タラバニ。
   暫定政権解消。

   5月――イラク全土で武装勢力のテロ攻撃。移行政府に反発するものと思われる。
   死者合計数百人。

   9月9日――パウエル国務長官、開戦前の大量破壊兵器に関する発言を、
   【人生の汚点】と発言。

   10月6日――米軍の兵力を13万6000人から15万2000人に
   増強すると発表。

   12月14日――ブッシュ米大統領がイラク開戦理由の一つである大量破壊兵器の
   情報に誤りがあったことを認める。
   「(大量破壊兵器などの)情報の多くは結果的に間違っていました」

  ●戦争を始めたブッシュですら認めたことを、小泉首相も安倍首相も、
   現在まで明確に認めていない。政治家にこんな無責任が許されるのか?
   安倍首相:「大量破壊兵器がないことをフセインが証明しなかったことが悪い」

(太平洋戦争も、イラク戦争も、福島第一原子力発電所の事故も、十分に検証すらしていない。
 こんな自浄作用の無い国、誰も過ちを認めない国、誰も責任を取らない国で
 安倍首相は、「集団的自衛権が行使されても、犠牲者が出ることはない」とまで言い切る。)

   12月22日――ブレア英首相が翌年前半の英軍撤収を検討している旨を首相として
   初めて発表。

   年末までに開戦からの米軍の死者が2200人に達した。

   2006年1月31日――開戦からの英軍の死者が100人に到達。

   2月22日――シーア派聖地サーマツラーのアスカリ廟(びょう)で爆発テロ。
   シーア・スンニ両派が衝突し、戦闘終結宣言後、最大の200人以上が死亡。

   3月19日――アッラーウィー前首相(暫定政府)が現状を「内戦状態」だと断言。

   3月31日――ライス国務長官がこう表明した。
   「我々は戦術的に多くの誤りをおかした」

   4月8日――エジプトのムバーラク大統領が「内戦はほぼ始まっている」と発言。
   イランがシーア派に影響力を持つことにも懸念を表明。

   4月22日――統一イラク同盟(UIA)が首相にヌーリー・マリキを擁立。
   スンニ派とクルド人も容認し、連邦議会が再開。

   5月20日――正式政府が発足。

  ●7月17日――陸上自衛隊、撤退完了。
   航空自衛隊は残ったが、実は毎日のように武装した米兵や爆弾を輸送していたのである。
   もちろんこれは明白な憲法違反である。

   12月30日――バグダッドで、フセイン元大統領の死刑執行。

   年末までに開戦以降の米軍の戦死者が3000人に達する。

   2007年1月10日――ブッシュ大統領は2万1500人のイラクへの増派を決定。

   2月14日――マリキ首相は計9万人を投入し、アメリカ軍と共に
   「法の執行作戦」を開始。

   3月16日――米国防総省は4400人の増派を発表。

   2008年、米紙ロサンゼルス・タイムズ記者・ボブ・ドローギンが著した
   『カーブボール』が、「大量破壊兵器」情報はたった一人のイラク人、
   コードネーム「カーブボール」に全面的に頼り、裏もとってなかったことを暴露した。

   3月24日――開戦以降のイラク駐留米軍の戦死者が4000人に達した。

   2009年1月――イラク駐留米軍の地位協定発効。

   2月――オバマ大統領、戦闘部隊の撤退計画発表。
   「撤退」という言葉ではあまり屈辱的な印象はないが、実際は「お手上げ」
   だから逃げたい、つまり「退却」と言った方が正解だろう。
   戦闘後の「占領政策」に失敗して、嫌になったから放り出して逃げる、
   これは「敗北」である。
   イラク戦争は「敗戦」したのだ。

   6月――米軍戦闘部隊が都市部から退却!

   7月――英軍が退却!死者数179.

   2011年3月――連邦議会選挙挙国一致内閣組織。

   8月――最後の戦闘旅団が退却!
   オバマ大統領、戦闘任務終結を宣言。
   ここでも「戦闘」を使っており、まだ「戦争」は終わっていない。

   2011年2月――亡命イラク人、コードネーム「カーブボール」本人が
   英紙ガーディアンで真相を証言。

   12月――治安維持・部隊育成が目的の駐留部隊も退却。
   米軍退却・完了! 
   米軍の死者数4486人。

   結局、一国を破壊して再建することなく、アメリカは逃げ帰った。
   イラク戦争は国連安保理の許可を得ない武力行為であり、国連憲章違反であった。
   「大量破壊兵器」が存在しなかった。

   WHOはイラクで2003年3月から2006年6月までに15万1000人が
   死亡したと推定。
   アメリカのジョンズ・ホプキンス大学ブルームバーグ公共衛生大学院の研究では
   約65万5000人のイラク人が死亡したと推定している。

   米国ではこのイラク戦争に関する「公的な謝罪」はしていない。
   白リン弾や劣化ウラン弾の使用や、アブグレイブ刑務所での拷問など、
   戦争犯罪に対する謝罪も必要だろう。
   国連人権委員会は一体何をしているのだろう?

   日本人は日本政府を追及し、国連はアメリカを追及するのが 
   世界平和のための真の正義である!

   イラク戦争は終結することなく、内戦状態に突入した。
   中東は「民主化のドミノ倒し」どころか、「混沌(こんとん)化ドミノ倒し」の
   様相になっている。
   
   現在のイラクの状況も把握しておかなければならない。
   「集団的自衛権」が行使できるようになったのだから、自衛隊が行く可能性もあるのだ。
   米軍退却後もイラクの状況は悪化する一方・・・
   失敗国家・・・というか、もう国家の体(てい)をなしていない有り様だ。

   2011年末、マリキ首相は、スンニ派の政治勢力を排除し始めた。

   2012年、地域によって脅威の度合いは異なるものの、イラク政府機関、治安組織、
   宗教関連施設、民間人等に対する攻撃や爆弾テロ、宗派対立をあおろうとする
   攻撃等がひんぱんに発生。死者数は毎月300人超だった。

   2013年、シーア派からの権力奪還を狙うスンニ派が、政権を揺さぶるためテロ攻撃を
   頻発させ、ここ数年で見られなかった頻度の大規模テロが首都バグダッド、イラク北部、
   中部を中心に連続して発生。死者数が1000人を超える月もあった。   
   (4につづく)


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-05-30 17:40:08
自己責任言うたら自称保守とかあほか

自己責任かどうかでいえは自己責任にきまってるだろ、外務省が勧告だしてる地域にいったんだから。
それ自体は、国が国民を保護する義務があるのとは別の話だし、紛争地にいった人間を保護するのに国がやれることには限界がある
そんだけの話でしかない
そもそも命の覚悟もっていってなくてみっともないから批判されるんだろ
返信する
Unknown (Unknown)
2016-05-30 18:47:46
Unknown  様

ご意見をありがとうございます。
返信する

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