■【きょうの人】 0524 ■ 伊達 政宗 独眼竜は何をした ■ 始皇帝 ハレー彗星発見?
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■ 始皇帝 ハレー彗星発見
しこうてい
紀元前259年2月18日- 紀元前210年
秦の始皇帝は、古代中国の戦国時代の秦の第31代王(在位:紀元前247年- 紀元前221年)です。
秦王として即位したのち、紀元前221年に中国史上初めて全ての国の統一を成し遂げます。歴史上最初となる新たな称号「皇帝」に即位(在位:紀元前221年-紀元前210年)し「始皇帝」と名乗りました。
名は、嬴政または趙政で、現代中国語では、秦始皇帝、または秦始皇と呼称されます。
統一後は、重臣の李斯らとともに主要経済活動や政治改革を実行しました。
従来の配下の一族等に領地を与えて領主が世襲して統治する封建制でした。彼の改革では、中央政権が任命・派遣する官僚が治める郡県制へと全国的な転換(中央集権・官僚統治制度)を行いました。
国家単位での貨幣や計量単位の統一、道路整備・交通規則の制定なども行っています。
万里の長城の建設や、等身大の兵馬俑で知られる秦始皇帝陵の建設など、後世に残ることになった大事業はよく知られています。
法(法家)による統治を敷き、批判する儒者・方士や書物の弾圧を行った焚書坑儒は有名です。この時に重要は文書が灰に化したのではないでしょうか。
紀元前210年に旅の途中で49歳で急死するまで君臨しました。
特記すべきこととして、あまり知られていませんが、『史記』によりますと、秦始皇本紀に、紀元前240年(始皇帝7年)、「ハレー彗星出現」と、確実で最も古い記録があることです。
■ 伊達 政宗 独眼竜は何をした
だて まさむね
永禄10年8月3日(1567年9月5日、グレゴリオ暦1567年9月15日)-寛永13年5月24日(1636年6月27日)
出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主です。近世大名としては仙台藩の初代藩主です。
幼名が梵天丸であることはよく知られています。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、「独眼竜」の異名があります。没後は、法名から貞山公と尊称されています。
天正17年11月、後北条氏が真田領へ侵攻したことにより、豊臣氏により征伐が行われることになりました。政宗は父・輝宗の時代から後北条氏と同盟関係にありましたので、再三の、秀吉からの督促にもかかわらず、秀吉と戦うべきか小田原に参陣すべきか、直前まで迷っていたといいます。
最終的には、秀吉に恭順の意を示すのですが、その際に、白装束(死人の装束)で臨んだことは有名です。
秀吉・文禄の役では、派手な装いで軍を引き連れ、そのことから派手好みに着こなす人を指して「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになりました。今日の「伊達男」に通じます。
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【 注 】
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