【きょうの人】 0421 千利休忌 わび茶の完成車がなぜ切腹させられたか
本日、ゆかりの人をご紹介します。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。
■ 千利休忌
せん の りきゅう、せん りきゅう
大永2年(1522年)-天正19年2月28日(1591年4月21日)
戦国時代から安土桃山時代にかけての商人で、むしろ茶人として広く知られています。
わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、「茶聖」とも呼ばれています。また、今井宗久や津田宗及とともに、茶湯の天下三宗匠と称せられます。
「利休七哲」に代表される数多くの弟子を持ち、その子孫は、茶道の三千家として続いています。
豊臣秀吉の側近でもあり、茶道を通じて多くの大名にも影響力をもったといわれていますが、秀吉との関係に不和が生じ、最後は切腹へと追い込まれたことはよく知られています。
不和の真相については諸説があり、定説はないようです。
茶道を嗜む人でなくても利休を知らない人はいないでしょう。お恥ずかしながら私は、コーヒーショップで「お茶」はしますが、茶道の「茶」はしません。でも、時々妻が茶を入れてくれますが、何かホッとします。やはり、日本人なのでしょうか。
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