【きょうの人】 0212 植村直巳(直己、冒険家) 鉄眼道光(宇治宝蔵院を建立)
本日、ゆかりの人をご紹介します。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。
■ 植村直巳氏の冒険
冒険家として知られている植村直巳氏は、1984年2月12日に43歳の誕生日を迎えました。この日にマッキンリーにおける厳冬期単独登頂に世界ではじめ成功しました。ご存知のように下山途中で消息不明となってしまいました。世界に誇る日本の冒険家をこのように亡くしてしまったことは残念ですね。
登山家、冒険家としてして知られ、国民栄誉賞を受賞している植村直巳氏ですが、Wikipediaでは「直己」と表記されていることもあり、「なおき」と読む人が多いようです。生誕の届出を受け付けた役所員の誤記で「直己」と記され、本人も「直己」と記していたそうです。
植村氏が、なぜ冒険家を目指したのかは、いろいろ言われています。冒険という、リスクへの挑戦は、われわれ凡人には計り知れない面もあります。
バブルがはじけて以来、日本の経営者は、とりわけ大企業を中心に「株主重視」の短期視点での経営になってしまいました。そのために先行投資をする経営者が少なくなり、冒険を冒すようなリスクをできるだけ追わない方向に向いてきて、先行投資もかつてほどしなくなってしまいました。
日本的経営というと年功序列などの弊害面ばかりが強調され、社員を大切にするなど、その良さが失われて来ています。われわれ経営コンサルタントは、時には経営者に冒険をおかすように背中を押すことをしなければ日本の産業は萎縮の方向に向かうばかりでしょう。
何ごとをするにもリスクが高い今日であることは否定できませんので、むやみやたらと先行投資をすることは好ましくはありません。一方で、その必要性があるときには果敢に挑戦していくことも必要です。経営者がそれだけのリスクを負うかどうかの前に、経営コンサルタントが、自分の提案にどれだけ自信を持ち、成功させるだけの力を持っているかが問題です。
■ 鉄眼道光 宇治宝蔵院を建立
正字: 鐵眼道光(てつげん どうこう)
寛永7年1月1日(1630年2月12日) - 天和2年3月22日(20日説あり)(1682年4月27日)
江戸時代前期の黄檗宗の禅僧、諡号は宝蔵国師。
肥後国益城郡守山村(現・熊本県宇城市)に生まれ、13歳で出家しました。明暦元年、隠元や木菴に学びました。
大蔵経の観光のために全国行脚を行い、1678年(延宝6年)に完成しました。宇治黄檗山に宝蔵院を建てて、その木版を貯蔵しました。
その後、金禅寺(大阪府)、海蔵寺(東京都)など7か寺を開くなどの功績もあります。
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