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【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第112段 明日は遠き国へ

2024-10-03 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに
■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第112段 明日は遠き国へ 
  「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
  高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆第112段 明日は遠き国へ 
 出家した兼好の、自分自身が歩んできた道と徒然草に記述してきたことへの矛盾が苦悩として滲み出ている段のように読み取れます。
 私自身も「明日は遠き国へ」という年齢であり、何か兼好のこの段を書いたときの気持ちが少しわかるような気がします。私の驕りかも知れませんが・・・
【原文】 明日は遠き国へ
 明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心閑(こころしずか)になすべからんわざをば、人、言ひかけてんや。にはかの大事をも営み、切(せち)になげく事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁へ・喜びをも問わず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやうたけ、病にもまつはれ、いわんや世をも遁(のが)れたらん人、またこれに同じかるべし。

 人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙(もだ)しがたきに随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は雑事(ぞうじ)の小節(しょうせつ)にさへられて、むなしく暮れなん。日暮れ塗(みち)遠し。吾が生(しょう)既に蹉駝たり。

 諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。信をも守らじ。礼儀(れいぎ)をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし情なしとも思へ。毀(そし)るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ。
【用語】
 愁(うれ)へ: 弔事などの悲しいこと
 問う: ここでは「見舞う」の意
 たけ: 盛りを過ぎる、長ずる、円熟味を増す、日が高くなる
 人間の儀式: 世の中の風習などあるこまごましたしきたりなど
 黙(もだ)す: 無視する
 雑事(ぞうじ): 日常生活で発生する社交辞令の細々とした事柄、「儀式」ほど形式張らない
 小節: 小さな義理的な事項
 必ずとする: キチンと実行する
 さえる: 妨げる
 塗(みち): 前途
 生(しょう): 生きること、人生
 蹉駝(さだ): 道につまずいて思う様に前進できない
 諸縁: 世間との関わり
 放下(ほうげ)す: 手から物を放ち捨てる、世間との関係を放ち捨てる
 信: 裏切らないこと
 うつつなし: 正気を失っている
【要旨】
 明日は、遠い国へ赴くはずと聞いている人に、穏やかな気持ちにしなくてはならないような事を、他の人が、その人に対して話し掛けるでしょうか。普通はそのようなことはしないでしょう。
 突然起こった重大事に集中して、その処理に没頭しているような人や、切実に嘆くことがある人は、他人の言うことなどに聴く耳を持つ余裕はありませんし、他人の心配事や喜びも尋ねることもないです。
 しかし、尋ねないからといって、「どうして尋ねないのか」と相手を責める人も無いです。
 ですから、だんだん年を取って盛りを過ぎているような人や、病気にかかっているような人もまた同様に他のことにまで配慮するゆとりはないです。ましてや世を捨てて出家隠遁している人でありましても、同様に、他人と関わらないという点においては、これらと同じことに違いないでしょう。

 世の中の風俗・しきたりは、どれも必要で、避けがたいものばかりです。
 無視できない世間の社交儀礼という習慣に従って、これをキチンと実施しなければならないと考えますと、やりたいことや願望も多いなかでは、自分自身も窮屈であり、心にゆとりもなくなり、一生はこまごました雑事の小さな義理立てだけに煩わされ、空しく一生を過ごすことになってしまうのでしょう。
 日は暮れてしまいましたが、いまだに前途は遠いです。
 自分の人生も、すでに行き詰まってしまっています。

 それゆえ、あらゆる縁を切り捨て、その重要さに気がついた今、仏道に励むべきときであると考えるです。
 他の人からの信用などなくてもよいのです。
 礼儀に惑わされる必要もないのです。
 この気持ちを理解できない人は、私のことを狂人と言いたければ言わせておけば良いのです。正気を失っているとも、人情に欠けるとも、その様な人には言わせておけば良いのです。
 人がなんと言いましょうとも、私は苦しむことをしないようにします。
 逆に、聞き心地の良い言葉で誉めてくれたとしても、それを喜んで、耳を貸さないでいようと思います。
【 コメント 】
 兼好は、世俗の煩わしさに自分自身も巻き込まれそうになり、自分自身に向かって、世俗に煩わされるなと戒めているのでしょう。

 一方で、世の中の風俗習慣は、それはそれで必要であると認めています。他方で、世俗の社交儀礼をキチンとこなそうとしますと、自分の人生が、それに追われてしまい、息苦しい人生となってしまうことを懸念しています。
 周囲の人の喜怒哀楽に巻き込まれるような人間関係は絶つべきであるとも聞こえます。

 兼好自身は、俗世に身を置いているわけではありませんので、俗世から離れ、仏道に専心することができる環境にいます。

 一方で、私達は、「社会の一員」ですので、社会の構成員と離れた生活をすることは困難です。むしろ、「共生」という言葉がありますように、他の人と共に生きていくことで、相互にメリットを感じられる社会であるべきです。

 話は飛びますが、私が身を置いてきました「経営コンサルタント」という専門職業では、自分自身が、得意分野に特化し、コンサルティング技術を磨き、その分野で活躍できるようになったとしても、経営コンサルタントとして成功したとは言い切れません。

 「専門莫迦」という言葉がありますが、その分野に通じていても、他の分野では素人同然です。むしろ、専門分野に引きずられてしまい、素人と言われる人達にとっては「常識」といえるようなことが身についていないことがあります。

 「共業・共用・共育」といいまして、共に仕事をしながらノウハウを蓄積して、それを仲間と使いながら、自分も仲間も共に学び合ってゆくという考えを、半世紀の経営コンサルティング経験の中で活かしてきました。

 兼好の生き方とは、真逆の生き方かも知れませんが、経営コンサルタントにとっては、専門分野も仲間も、クライアントやそれを構成している社会とも切り離して生きていくことはできないのです。それどころか、それこそが、経営コンサルタントとして生きていく活路といえます。
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