こんにちわ、久しぶりにやってまいりました、大宮鉄道博物館です。
新しい弁慶号ご紹介の大きなパネルの写真が壁に貼ってありました。
機関車室には髭を生やしたアメリカ人と日本人がいますよ。
1872年(明治5年)第一号蒸気機関車を輸入して、6年後に日本人の運転手がやっと
お目見えしました。
それまではイギリス人の運転手でした。
弁慶号には、余裕の日本人運転手がいました。
長い月日の必要な人材育成でした。
ご苦労様でした。
SLとは、STEAM LOCOMOTIVE(蒸気機関車)の略称です。
この大きな口の広い煙突はダイヤモンドスタックと呼ばれる。
1883年(明治13年)アメリカからやってきた蒸気機関車は第一号機関車
よりとても大きく性能もよかった。
その中で特に興味をそそられましたのは、当時の列車敷設工事で働く北海道での
人々の風俗的な姿や服でした。
幌内鉄道の建設に携わったクロフォードと他のアメリカ人技師と日本人関係者
皆さん、姿勢が良くてびっくりいたします。
左端に紋付袴姿の人が行事で来たのか、正装をしています。
その隣には、、中央にいる無帽おおじさんは見物人でしょうか?
着物の上に腰あてのような防寒具を身につけてます。
その隣に立っている人たちは、厚い半纏を来て、レールの舗装工事をしていたのか
道具を手に持っています。
ねじり鉢巻きをしている若い人も見えます。
長く厚い半纏を来て、しっかりと紐帯で締めています。
あまりにも正確に木のサイズを仕上げたのにアメリカ人も驚いたに違いありません。
江戸のサイズ尺からセンチメートルの世界へ大転換をしたのです。
戸惑い大変だったでしょうが、読み書きそろばんの得意な国民性案外とすんなりと
適応したのでしょう。
左端の人は着物にズボンを履いて、長いブーツを履いています。
指導者なのでしょうか。
その隣のあごひげの長い人は、ユダヤ人みたいです。
顔の横から髭を生やすのが彼らの特徴の一つです。
金のチェーンが見えます、時計をポケットに入れているのかな。
ベストに質の良い厚手のジャケットみたいなのを着ています。
右端に長い防寒具を2枚着ているかのような人がクロフォードさんでしょうか?
ちょつと分からなくてすみません。
弁慶号の石炭貨車の上には、機関手の制服を着た人が見えます。
窓からパイプを口にくわえたアメリカ人の機関手が顔とあごひげを出し
ています。
もうこの時期には文明開化の英才教育を受けた人々が先頭で指揮を振るい
初めました。
西部劇のようにかっこいいです。
ウエスタンシネマのようです。
この明治時代の服装が昭和時代まで続いていました。
よくラクダのももひきを履いていましたね、おじさま!
つづく・・・・・とても簡単で失礼を致します。
ここまでのお付き合い有難うございました。