庭には春があふれている。
色々な花が、その色を競い合うかのように咲き誇っている。
職場の近くの公園の陽光桜は、一週間ほど前に満開で、濃い桃色で春の訪れを感じさせてくれた。
我が家の庭でも、春を体いっぱいに感じる事ができる。
ラッパ水仙、ゆすら梅の花、菜の花、そら豆の花、レンギョ、スオウなどの他にも、名前を知らないたくさんの花たちが満開で、それらの花たちに囲まれていると、心も体も明るく軽やかになったように感じてしまう。
墓掃除のあとの今年初めての竹の子掘りでも、地面の中から足の裏に感じる芽吹きを探し出して、初竹の子を収穫することもできた。
3月9日には娘の結婚式のために、久し振りに東京に行って来た。
東京都小金井市の、自分たちが結婚生活をスタートした頃に住んでいたアパートを探索してみたら、その建物はそのままの状態で残っていた。
自分たちが住んでいた頃には「たちばな荘」という名称だったが、今は看板だけが「コーポ たちばな」に変わっていた。
中央線武蔵小金井駅の周辺はかなり変貌していたが、そのアパートの路地付近はあまり変わってはいなかった。
33年前の夫婦の生活の場であり、そのアパートから徒歩で10分のところに職場はあった。
航空写真測量の精密立体図化機のフリーのオペレータとして、色々な自治体や政府開発援助の一環としての開発途上国の基本図(地形図)の図化などの仕事をしていた頃の、思い出多き場所。
入籍は1年5ヶ月前にしていたが、身近な親戚だけには披露をしておきたいということで、今回結婚式を挙げた娘は、その頃に授かった。
娘の結婚式で一番嬉しかった事は、私たち両親に対して、娘が感謝の言葉をくれた時だった。
「とうちゃん、かあちゃん、いままで見守っていてくれてありがとう。」
我が家では、自分たち親の事を「とうちゃん、かあちゃん」と呼ぶようにして育てた。
おとうさん、おかあさんではなく、私たちは「とうちゃん、かあちゃん」としてこれからも子どもたちの中では存在する。
そのようなおめでたいこともあって、今年の春は一段と春を感じているように思う。
なにやらおかしげな世の中の動きだが、家族が共に暮らしていけるような平和だけは維持してほしい。
出征などという言葉を二度と使う事の無い、私たちの国「日本」であってほしいと切に願う。
「庭の春」が、そのような思いを強く想起させる。
満開の庭の花々たち(画像をクリックすると拡大する)
色々な花が、その色を競い合うかのように咲き誇っている。
職場の近くの公園の陽光桜は、一週間ほど前に満開で、濃い桃色で春の訪れを感じさせてくれた。
我が家の庭でも、春を体いっぱいに感じる事ができる。
ラッパ水仙、ゆすら梅の花、菜の花、そら豆の花、レンギョ、スオウなどの他にも、名前を知らないたくさんの花たちが満開で、それらの花たちに囲まれていると、心も体も明るく軽やかになったように感じてしまう。
墓掃除のあとの今年初めての竹の子掘りでも、地面の中から足の裏に感じる芽吹きを探し出して、初竹の子を収穫することもできた。
3月9日には娘の結婚式のために、久し振りに東京に行って来た。
東京都小金井市の、自分たちが結婚生活をスタートした頃に住んでいたアパートを探索してみたら、その建物はそのままの状態で残っていた。
自分たちが住んでいた頃には「たちばな荘」という名称だったが、今は看板だけが「コーポ たちばな」に変わっていた。
中央線武蔵小金井駅の周辺はかなり変貌していたが、そのアパートの路地付近はあまり変わってはいなかった。
33年前の夫婦の生活の場であり、そのアパートから徒歩で10分のところに職場はあった。
航空写真測量の精密立体図化機のフリーのオペレータとして、色々な自治体や政府開発援助の一環としての開発途上国の基本図(地形図)の図化などの仕事をしていた頃の、思い出多き場所。
入籍は1年5ヶ月前にしていたが、身近な親戚だけには披露をしておきたいということで、今回結婚式を挙げた娘は、その頃に授かった。
娘の結婚式で一番嬉しかった事は、私たち両親に対して、娘が感謝の言葉をくれた時だった。
「とうちゃん、かあちゃん、いままで見守っていてくれてありがとう。」
我が家では、自分たち親の事を「とうちゃん、かあちゃん」と呼ぶようにして育てた。
おとうさん、おかあさんではなく、私たちは「とうちゃん、かあちゃん」としてこれからも子どもたちの中では存在する。
そのようなおめでたいこともあって、今年の春は一段と春を感じているように思う。
なにやらおかしげな世の中の動きだが、家族が共に暮らしていけるような平和だけは維持してほしい。
出征などという言葉を二度と使う事の無い、私たちの国「日本」であってほしいと切に願う。
「庭の春」が、そのような思いを強く想起させる。
満開の庭の花々たち(画像をクリックすると拡大する)