日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

墓参りと竹の子掘り

2014年03月23日 | インポート
昨日ひとりで掃除をして来た墓に、今日は妻とふたりで墓参りに行ってきた。

庭の花を何本か用意し、大き目のペットボトル6本に水道水をいれて、車で3分ぐらい走り、そこから徒歩で坂道を3分程度歩くと我が家の墓に着く。

花立の水を替え、水入れの湯のみ茶碗を洗って綺麗な水を供えてから、線香に火をつけてからのお参り。

手を合わせて、ご先祖様たちに、家族や一族郎党の無病息災をお願いして、ゆっくりと休んでくださいと念じる。

「南無阿弥陀仏」という言葉を心の中で唱えている。

子どもの頃から、朝晩に仏壇の前で手を合わせてお参りする事は、我が家での当たり前の習慣として定着していた。

別に宗教心に篤い家でもなかったが、仏様の前で手を合わせると自分の心が落ち着く。

墓参りに行くと、自分もいつかはここに入るのだと思い、自分が死んだあとには子どもたちもこのように墓掃除や墓参りをしてくれるのだろうかと思ってしまう。

とりあえずはお彼岸の墓参りを終えて、心が落ち着いたところで、昨日の午後に初竹の子堀をして、竹の子が出だしたということを確認していたので、妻と竹山に向った。

足の裏で竹の葉が積もっている地面を探り、微妙に突出している竹の子の先端部を見つけ出す。

専用のクワで丁寧にその周りを掘り、ある程度掘ったら竹の子の湾曲している側(弓で言えば弦の側)に向ってクワをう打ち込み、竹の子を切断する。

妻とふたりで一時間程度探したら、隣り近所におすそ分けできるぐらいの量の竹の子を収穫する事ができた。

家に帰ってから、竹の子を隣り近所におすそ分けしたあとは、恒例の親戚の墓参りツアーとなった。

隣町の妻の実家の墓と、同じく隣町の伯父の墓と、同じく隣町の祖母や伯父が眠っている墓にお参りした。

一年に何回かは、今はこの世にいない親類縁者の人達の事を思い出す日がある。

墓参りに行ける環境に居られる事をありがたく感じる。



豊田一喜