日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

通勤

2014年03月30日 | インポート
4月1日より、自宅から通勤できる職場で働かせていただけることになりました。

60歳を過ぎて、働かせていただける職場があるというだけでもとてもありがたいことだと感じております。

昨年の4月から始まった単身赴任の生活も1年間で終わりとなりました。

毎週、金曜日の夜に佐世保市矢峰町から自宅に帰り、月曜日の早朝に佐世保市矢峰町の寮に戻るという生活でしたが、明日(3月31日)の1往復で終わりになります。

諌早市内の職場では、駐車場も割り当てて頂き、その場所の下見に本日行って来ました。

駐車場から職場までは、徒歩で3~4分程度の距離でした。

昨日の風雨で、諌早市森山町の桜街道の桜の花びらもだいぶ散ってはいましたが、桜並木のトンネルの景観はすばらしいものでした。

人生の中で、まさか今度の職場に通勤することになろうことなど夢想だにした事は無かったことでしたが、先の事が分からないのが人生の妙なのだと、つくづく感じております。

脳みその中身が、私の場合には粗悪品のようなので、新しい職場では分からないこと、知らないことの方が多いものとは思っておりますが、この年になって、新しい事を知る事ができる期待感が意識の中の多くを占めているように感じております。

自宅からの通勤の一年間を、大切に過ごさせて頂こうと思っております。



豊田一喜


墓参りと竹の子掘り

2014年03月23日 | インポート
昨日ひとりで掃除をして来た墓に、今日は妻とふたりで墓参りに行ってきた。

庭の花を何本か用意し、大き目のペットボトル6本に水道水をいれて、車で3分ぐらい走り、そこから徒歩で坂道を3分程度歩くと我が家の墓に着く。

花立の水を替え、水入れの湯のみ茶碗を洗って綺麗な水を供えてから、線香に火をつけてからのお参り。

手を合わせて、ご先祖様たちに、家族や一族郎党の無病息災をお願いして、ゆっくりと休んでくださいと念じる。

「南無阿弥陀仏」という言葉を心の中で唱えている。

子どもの頃から、朝晩に仏壇の前で手を合わせてお参りする事は、我が家での当たり前の習慣として定着していた。

別に宗教心に篤い家でもなかったが、仏様の前で手を合わせると自分の心が落ち着く。

墓参りに行くと、自分もいつかはここに入るのだと思い、自分が死んだあとには子どもたちもこのように墓掃除や墓参りをしてくれるのだろうかと思ってしまう。

とりあえずはお彼岸の墓参りを終えて、心が落ち着いたところで、昨日の午後に初竹の子堀をして、竹の子が出だしたということを確認していたので、妻と竹山に向った。

足の裏で竹の葉が積もっている地面を探り、微妙に突出している竹の子の先端部を見つけ出す。

専用のクワで丁寧にその周りを掘り、ある程度掘ったら竹の子の湾曲している側(弓で言えば弦の側)に向ってクワをう打ち込み、竹の子を切断する。

妻とふたりで一時間程度探したら、隣り近所におすそ分けできるぐらいの量の竹の子を収穫する事ができた。

家に帰ってから、竹の子を隣り近所におすそ分けしたあとは、恒例の親戚の墓参りツアーとなった。

隣町の妻の実家の墓と、同じく隣町の伯父の墓と、同じく隣町の祖母や伯父が眠っている墓にお参りした。

一年に何回かは、今はこの世にいない親類縁者の人達の事を思い出す日がある。

墓参りに行ける環境に居られる事をありがたく感じる。



豊田一喜




庭の春

2014年03月22日 | インポート
庭には春があふれている。

色々な花が、その色を競い合うかのように咲き誇っている。

職場の近くの公園の陽光桜は、一週間ほど前に満開で、濃い桃色で春の訪れを感じさせてくれた。

我が家の庭でも、春を体いっぱいに感じる事ができる。

ラッパ水仙、ゆすら梅の花、菜の花、そら豆の花、レンギョ、スオウなどの他にも、名前を知らないたくさんの花たちが満開で、それらの花たちに囲まれていると、心も体も明るく軽やかになったように感じてしまう。

墓掃除のあとの今年初めての竹の子掘りでも、地面の中から足の裏に感じる芽吹きを探し出して、初竹の子を収穫することもできた。

3月9日には娘の結婚式のために、久し振りに東京に行って来た。

東京都小金井市の、自分たちが結婚生活をスタートした頃に住んでいたアパートを探索してみたら、その建物はそのままの状態で残っていた。

自分たちが住んでいた頃には「たちばな荘」という名称だったが、今は看板だけが「コーポ たちばな」に変わっていた。

中央線武蔵小金井駅の周辺はかなり変貌していたが、そのアパートの路地付近はあまり変わってはいなかった。

33年前の夫婦の生活の場であり、そのアパートから徒歩で10分のところに職場はあった。

航空写真測量の精密立体図化機のフリーのオペレータとして、色々な自治体や政府開発援助の一環としての開発途上国の基本図(地形図)の図化などの仕事をしていた頃の、思い出多き場所。

入籍は1年5ヶ月前にしていたが、身近な親戚だけには披露をしておきたいということで、今回結婚式を挙げた娘は、その頃に授かった。

娘の結婚式で一番嬉しかった事は、私たち両親に対して、娘が感謝の言葉をくれた時だった。

「とうちゃん、かあちゃん、いままで見守っていてくれてありがとう。」

我が家では、自分たち親の事を「とうちゃん、かあちゃん」と呼ぶようにして育てた。

おとうさん、おかあさんではなく、私たちは「とうちゃん、かあちゃん」としてこれからも子どもたちの中では存在する。

そのようなおめでたいこともあって、今年の春は一段と春を感じているように思う。

なにやらおかしげな世の中の動きだが、家族が共に暮らしていけるような平和だけは維持してほしい。

出征などという言葉を二度と使う事の無い、私たちの国「日本」であってほしいと切に願う。

「庭の春」が、そのような思いを強く想起させる。


満開の庭の花々たち(画像をクリックすると拡大する)
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ヤマメ釣り解禁(諌早市高来町境川)

2014年03月01日 | インポート
昨年の10月1日から昨日(平成26年2月28日)までの禁漁期間が終わり、本日から、諌早市高来町の境川(轟の滝がある川)ではヤマメ釣りが解禁となった。

5ヶ月間の、渓流釣りを抑制されていた我慢の期間が終わり、春の日差しの中で、待ちに待ったヤマメ釣りに出かけた。

雲仙市吾妻町から諌早市高来町までは、諌早湾干拓の堤防道路(正式名称は、「雲仙多良シーライン」というハイカラな名前が付いている)を利用すれば、7分間程度で到達する。

雲仙市愛野町の自宅から諌早市高来町のヤマメが釣れる場所までは、車で30分もあれば到達できる。

解禁日なので、たくさんのヤマメ釣り愛好者が境川に集結しているのかと思っていたが、午前9時ごろの境川沿いの道路には佐世保ナンバーの軽自動車が1台止まっていただけだった。

山道で車を止める時には、帰りの事を考慮して、車の頭は下りの方向を向けて止めておくということが肝要だが、その佐世保ナンバーの軽自動車はそのようにして止めてあった。

山釣りに精通している人の車であろう事は想像できた。

その軽自動車が止めてあるところから数百メートル上流のところから川に降りて釣り始めた。

これもまた山釣りの不文律みたいなもので、なるべく多くの人で渓流釣りの楽しみを分かち合えるように、先行の釣り人がいたならば、そこからある程度の間隔を開けて釣り始めるということになっている。

というのも、ヤマメなどの渓流魚は、誰かが竿を出した後のしばらくの時間は、警戒して、同じ場所で釣れにくい状況となるので、他の人が釣っている近くの場所は、その人の楽しみのために場を荒らさずに残しておくという配慮をするということで、そのようなルールを守るようにしている。

はやる心を抑えながら、ハリス0.4号の釣り針にシマミミズを付けて第1投目を振り込む。

小さな渕の流れの末端付近で、明確なあたりがあり、軽く合わせると、力強く引き込んで抵抗する。

その感触を楽しみながら魚体を抜き上げる。

体長20cm程度の、綺麗な体色のヤマメに、今シーズン初めて会う事ができた。

禁漁期間の5ヶ月間に、確実に成長しているヤマメが生息している事が確認できて、嬉しかった。

その後も、ヤマメが居そうだと見当をつけた所では、8割がたヤマメのあたりがあり、綺麗な魚体のヤマメが遊んでくれた。

本日は、およそ200メートルの区間で、初ヤマメ釣りを楽しませてもらったが、天然孵化もしくは稚魚放流の野生化した個体と思われる、成長した綺麗な魚体のヤマメが釣れてくれた。

自分の中の趣味の世界には、春が訪れた。



豊田一喜


本日の釣果
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