西部邁といえば、マルクス主義から保守へ180度の旋回をした人物である。北海道の長万部出身で吃音だったといい、テレビ番組でもしゃべりは聞き取りにくかった記憶がある。育ち盛りの頃の影響は後々まで続くもので、やはり、厳しい環境ではなかったかと思われる。そして、豊かな環境で生活すると、保守への転向も早いし、自己への総括も簡単にできるのだろう。一方、マルクス主義のカール・マルクスなどは、逆に家庭を持って貧困のどん底にいたようで、その貧困のため(研究のため)に次々と子供を亡くすという環境だったというのを何かで読んだことがある。
「死の一般論はない」、、、何を言いたいのか全くわからない感傷的な記事を読むと、腹の中がいつまでもすっきりしない感覚にとらわれてしまう。
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