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「死の一般論」などというものはない、、、

2018/2/2の「異論のススメ」(asahi)に載っていた。「死は」、あくまで個人的な問題である。に続く言葉が表題である。そして、自分なりの「死の哲学」を模索するしかない。と、筆者は書いておられるが、いつもの論理展開とは違って、個人の日記みたいな内容であった。何を感傷的なまでに書いておられるのかと想えば、どうも『西部邁の自死』が影響しているのではないかと思った。

西部邁といえば、マルクス主義から保守へ180度の旋回をした人物である。北海道の長万部出身で吃音だったといい、テレビ番組でもしゃべりは聞き取りにくかった記憶がある。育ち盛りの頃の影響は後々まで続くもので、やはり、厳しい環境ではなかったかと思われる。そして、豊かな環境で生活すると、保守への転向も早いし、自己への総括も簡単にできるのだろう。一方、マルクス主義のカール・マルクスなどは、逆に家庭を持って貧困のどん底にいたようで、その貧困のため(研究のため)に次々と子供を亡くすという環境だったというのを何かで読んだことがある。

「死の一般論はない」、、、何を言いたいのか全くわからない感傷的な記事を読むと、腹の中がいつまでもすっきりしない感覚にとらわれてしまう。
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